神道の精神を世界に広めたい(San Marino Jinja) 「切れ味鋭い和包丁 素晴らしさ海外に伝えたい」 |
文明の衝突から抜粋 ・・・・最後に、学者たちは人類の歴史の主要文明や現代社会に存在する文明の特徴について、お、おむね一致した見解をもっている。しかし、歴史に存在した文明の総数という点では意見が分かれている。キグリーは歴史上明確な文明が一六、ほかにおそらく八つあったと主張している。トイソピーは最初は二一という数を示したが、あとで二三に訂正した。シュペソグラーは八大文明について述べている。 マクニールは歴史を通じて九つの文明について論じている。バグピーも九大文明と判断し、日本を中国と区別し、東方正教会を西洋と区別するなら、一一になるとしている。ブローデルとロストファニーは現代の主要文明を七つとしている。このようた意見の相違のもととなるのは、一つに中国人やイソド人などの文化集団を歴史的にずっと単一の文明をもっていたと考えるか、あるいは二つかそれ以上の密接な関係にある文明をもっていて、そのうちのいずれかが他方から生まれたと考えるかのちがいである。 こうしたちがいはあっても、主要文明の区別についての異論はたい。「むりなく意見が一致するところでは」と、メルコは文献を検討したうえで結論をくだし、歴史的には少たくとも主要な文明が十二存在し、そのうち七つはもはや存在せず(メソポタミア、エジプト、クレタ、古代ギリシア・ローマ、ビザンティソ、中央アメリカ、アンデス)、五つが現存する(中国、日本、イソド、イスラム、西欧)と述べた。この五つの文明にロシア正教会文明とラテソアメリカ文明、それにあるいはアフリカ文明を加えると、いまの世界のわれわれの目的にかなっている。そういうわけで、現代の主要文明は以下のようにたる。 ☆中華文明:すべての学者が認めていることだが、さかのぽること少たくとも紀元前一五〇〇年に、そしておそらくはその一OOO年前から一つの明確た中国文明が存在していたか、あるいは二つの文明があって、西暦の最初の数世紀のあいだに片方がもう一方を継承したと考えられている。『フォーリソ・アフェアーズ』誌の論文で、私はこの文明を儒教文明と名付けた。しかし、中華文明という言葉を使うほうがもっと正確ではある。 儒教は中国文明の重要な要素ではあるが、中国文明の要素は儒教だけにとどまらないし、政治的たまとまりとしての中国を超越している。中華文明という言葉は大勢の学者によって使われてきたが、これは中国はもちろん、東南アジアなど中国以外の土地の中国人社会と共通の文化、さらにはヴェトナムや朝鮮の関連する文化を適切に表現している。 |
☆ヒンドゥー文明:イソド亜大陸には少なくとも紀元前一五〇〇年ごろから一つまたはそれ以上の文明が存在したと広く認められている。それらは一般にイソド文明もしくはヒソドゥー文明と言われ、最近の文明をさす場合にはヒンドゥーという言葉が使われている。 紀元前二〇〇〇年以降、ヒソドゥi教はいろいろなかたちで亜大陸の文化の中心だった。「宗教あるいは杜会の制度にとどまらず、それはイソド文明の核である」。ヒソドゥー教は近代以降もずっとその役割を担いつづけてきたが、イ・・・・・・(文明の衝突P−58) |
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