風の間に間に 皿木喜久

「国」を歌えなかった世代

 田舎で育ったせいか、この季節になると「田植」という小学校唱歌を口ずさみたくなる。「そろた出そろたさなえがそろた…」
今と違っで女性たちが田んぼに入り、列をなして苗を植えていく昔の田植えの風景が目に浮かんでくるからだ。
戦前の文部省唱歌にあったのを引き継ぎ、戦後はだいたい4年生ぐらいで習っていたはずである。
ところが同じ歌でありながら、戦後と戦前で歌詞がーカ所だけ違うことを知った。

 昭和30年前後の音楽教科書ではいずれも冒頭に続き「植えよう植えましょみんなのために」とある。だが昭和π年発行の文部省「初等科音楽一」では「み国のために」となっている。戦争中という理由もあったかもしれない。だがこの国にとって「コメづくり」
がいかに大切かを教えるような歌詞だったのである。

 なぜ「みんな」に変わったのだろう。詳細はわからないが、戦前をすべて「悪」とする戦後の風潮の中で、「み国」はまずいとなったことは十分、想像できる。もうひとつ「里の秋」という愛唱歌がある。「しずかなしずかな」で始まり、叙情豊かなメロディーで、今でもよく歌われる。

 昭和20年暮れ、NHKから依頼を受けた海沼実氏が「復員兵を迎える歌」として作曲した。歌詞の元になった詩は、千葉県で教師をしていた童謡詩人、斎藤信夫氏の「星月夜」だった。こちらは、先の大戦の始まった直後の昭和16年12月に書かれた。それが、海沼氏の目にとまったのだ。ただ「星月夜」は4番まであったが3、4番はボツとし、新たに父親が南方から帰ってくるのを待つという3番を加えた。

 斎藤氏の童謡詩集『里の秋』によれば、ボツとなった3番は父親の武運長久を祈るもので、4番は次の詩だった。


 
大きく 大きく なったなら
  兵隊さんだよ うれしいな
  ねえ 母さんよ 僕だって
  必ず お国を 護ります


 確かに「復員兵を迎える」趣旨と合わないかもしれないが、「里の秋」のメロディーに合わせて歌うと、少年の凛々しいまでの「愛国心」が伝わってくる。だがそれもあっさり葬り去られた。

 これらはほんの一例だが、戦後世代は「国」から隔離されるようにして育ったのである。音楽だけでない。日本史でも、この国の成り立ちや国を護ってきたことの尊さを教えられることはなかった。むしろ国は、国民と対立するものと位置づけられてきたのだ。

 櫻井よしこさんは本紙1面コラム「鳩山首相に申す」で、普天間飛行場移設間題で、安保政策への無知をさらけ出した首相を「戦後教育の失敗例」と断じていた。政治家一家に育ちながら、国家観や国や国民を守るための価値観を全く身につけていない。だから「経済的豊かさに満足し、自立と名誉を忘れた鳩山家の、さらにいえば、戦後日本の恥ずべき姿そのもの」だというのだ。

 鳩山首相はもはや63歳である。政治家や宰相を目指した以上は当然、自らそうした国家観や安保観を求めるべきだった。しかし首相と同世代の戦後育ちには、
いまだに「国益」や「国防」といった言葉に拒絶反応を示す人が多い。やはり、首相ひとりの問題ではないのかもしれない。「国」を歌わせず、「国」を考えさせなかった戦後教育の罪は大きかったのだ。(論説委員)

(情報源:産経新聞H22('10)5.25)

コメント:

その一「肩を並べて 兄さんと 今日も学校に 行けるのは 兵隊さんの おかげです お国のために お国のために 戦った 兵隊さんよありがとう」今も自然と出てくる歌・歌詞の一つです。敗戦時=国民学校一年生

その二:中国共産党のプロパガンダと反日韓国の徹底した旧日本軍の悪行を並べたて、しかも捏造までして日本を貶める歴史教育を戦後の左翼学者たちによってなされて来た結果が今日の歴史教科書問題であろう。それをいち早く指摘し、自分で調べ、書かれた歴史書(渡部昇一氏)を読み、これが本当の日本だよと喝采したことがよみがえる。

 それが新装成って「全七巻」出版されている。ヤングたちよ是非とも読んでほしいものだ。きっときっと、目が覚めるでしょう。あなたの、おじいちゃん、お兄ちゃん、おじさんたちが青春を賭けた時代です。坂本竜馬に見る日本人の真摯な態度に今、全国民は感動しているではないか、一部の戦場のできごとを針小棒大に=オーバーに煽り、愚かな政治家まで同調する姿は、もう哀れとしか言えない。・・・歴史とは何であるかをも考えさせてくれること間違いなし・・・と。

 長崎・広島にとどめの原爆(異種原爆)を見舞われ、二度と立ち上げれない日本民族にされようとしたときに、わが命はどうなってもよい、国民の窮状を救ってほしいとマッカーサー元帥に話されたことがGHQマッカーサーの心を捉え今日の繁栄を築いてきたことはみなさんご存知のとうりです。戦後の左翼思想の氾濫で左翼以外は人にあらずの雰囲気を撒き散らしてきた彼らの罪は大きい。あの戦後の惨状を、見て、知ッているものが二度と戦争はしてはいけないという全国民の一致した思想となっていたことは間違いなかろう。

 時のGHQは政府は、朝鮮戦争の勃発で再び戦争の様相になり、アメリカは日本に軍備を要求することになっても時の吉田総理は頑として受け付けなかったが警察予備隊の形で日本の空洞化に対処している。以来、国内は安寧・平和がつづき世界が見張る経済成長をして世界第二位の経済大国となった。これは、アメリカの世界戦略の一環でもあったと思われるがこれを、着実に実行してきたのは自民党政権であったのも事実だ。

平和65年の世の矛盾が方々に出だし、これに、マスコミが真の国家の姿を語らず、欲を煽って、真のアメリカの姿を語らず、悪の部分のみを煽ってきたアメリカナイズが今日の鳩山政権の姿が象徴しているともいえよう。普天間問題に対する社民党の姿も、何一つ解決できないことは明らかである。世界情勢も見えず、あたかも、自分たちだけが平和勢力であり、他はアメリカの言うなりであると独断し、反米思想は変わっていない、愚かな行動をしている。いずれ、近い将来に歴史という裁判の場で明確に証明されるであろう。