何を信じて食べたらいいの 高校生、松岡りえ子 18
食の安全性を疑わせるニュースが続いている。私が子供のころにはあまり聞かなかった問題だ。最近も、化学物質メラミンか混入したパンが病院などの給食として流通していた。消費者ははふだん、何の疑いもなく食事をロにしている。
まさか自分が被害に遭うとは誰も予期していないし、どの商品が危ないうなんて予測できるはずもない。最近はスーパーで買い物をするときに、国産の商品を買う人が増えているけれど、やはり中国産のものは安いからそちらに手を伸ばす人もいる。それは自分の目で商品を選んでいるのだからまだしも、病院や福祉施設の給食は出されたものを食べるしかない。 生きていくうえで、食事は欠かすことができない。
私たちは何を信じて、何を食べたらいいのか、とても不安だ。生産者や販売者はもっと責任を持って食品を扱ってほしい。 (大阪府高槻市)
法律よりも大事な「おきて」 高校生 中山孝一 17
産地偽装や不正販売など、食品業界の不祥事が後を絶たない。そこには、共通点として企業本来の理念を踏まえた「おきて」に対する軽視があるように思う。 おきては外部からは見えないが、企業や組織が社会に存続するための内部宣言であり、企業独自の条件、ルールだ。 だから、おきては自ら妥協を認めず、許さない。
品質や製造業、商品管理なども時代とともに向上する。ときには封建的に見えるおきても数百年の老舗企業の存在がそのことを証明明している。 ところが、このおきてを軽視すると、たちまち堕落する。なぜなら一般社会では最低のルールールに合わせてしまうからだ 品質から流通・販売まですべての基準を最低のものに合わせると人は安易にみ”違反さえしなければいい”と思うようになり、やがかてはその法律も犯すようになる。
どんな企業にも創業時の精神や企業理念を具現化したおきてが存在する。いま一度、見つめ直す
ことが大事ではないだろうか。(千葉県野田市)
見知らぬ人に教わった勇気 中学生 柳田怜意
小学5年生のとき、おばあちゃんと弟の3人で、午後の商店街に買い物に行ったときのことです。 おばあちゃんは「買いたい服があるから」と、弟は「見たいものがあるから」と3人がバラバラになり、僕は商店街の中を散歩することにしました。しばらくぶらぶらしていると、人けのない脇道で、押し殺したような男の声が聞こえました。恐る恐るのぞいてみると、OL風の若い女性が2人の男に囲まれ、「金をよこせ」と脅迫されていました。
「やめろ!」と叫びたくても僕は怖くて足がすくみ、声も出ません。するとそこにスーツ姿の男性が「おい、やめろ! 警察を呼ぶぞ!」と近づいてきました。2人の男は慌てて逃げ、僕も呆然とし、その場を去ってしまいました。 でも僕は今でもそのことが忘れられません。そしてそのスーツの男性に勇気を教えてもらったような気がしています。 (東京都立川市)
人の役に立つ「個性」が大事 中学生 酒井喜明 14
「個性の尊重」や「個性の主張」など、個人の権利の権利を重視する言葉を耳にすることがあります。また、その個性を貴重な才能であるかのように特別視する人もいるようです。 僕も、個性とはその人自身であり、すべての人がもっている大切なものだと思っています。 しかし、だからといって個人の主張をすべて認めていいとは思いません。
僕が「個性が大切」といえるのには条件があります。その個性が世の中の人々に役立つかどうかです。もし悪影響を与えるのであれば、それは間違っていることになり、考え直さなくてはいけません。 もちろん、人への役の立ち方は個人によって違うとは思いますが、大事なことは、個性は変えることができるということです。
個性の尊重を主張する前に、その内容をよく考え、人の役に立つ個性に変えていくことが大切だと思います。 (宇都宮市)
仲間を信じるキャプテンに 高校生 佐々木直弥 16
私は高校でサッカー部に所属しています。3年生が部活動を引退し、新チームでキャプテンを務めることになりました。初めのうちは、何をしてよいのか分からず、不安でいっばいでした。キャプテンはチームをまとめなくてはなりませんが、こちらの指示がなかなか全員に伝わらず、練習もうまく進みませんでした。 「このまま、キャプテンを務めていていいのか」とすごく悩みました。そして、「指示をすぐに行動に移してくれない」と部員に腹を立ててばかりいて、いやになってきました。
そんなときに私を助けてくれたのが、先輩たちや副キヤプテンで心た。私はすべてを自分ひとりでやろうと考えていたから、かえって思いどうりにいかなかったのだとおもいます。 これからは、困ったときも仲間を信じ、チームのみんなから信頼されるキャプテンになれるよう、努力していきたいと思います。 (兵庫県姫路市)
相互理解へさみなる交流を 中学生 増沢美欧 15
私の住む横浜市には駅名にもなっている大きな中華街があります。そこは中国人が多く住み、おいしい中華レストランや、かわいい中国雑貨を売るお店など中国風の建物が並ぶにぎやかで楽しい街です。家の近い私は子供のころから遊びに行っており、中国という国に親しみを覚えていました。
ところが最近、中国のことを知るたびに私の思いは壊されています。体制維持のためなのでしょうか。反日教育やチベットなどの人権問題。そして急激な経済発展による環境汚染やギョーザ問題に代表される食品汚染など、日本人にとって中国は信頼できない国になってしまいました。
でも、だからといって私は中華街を嫌いにはなれないのです。それは日本と中国との間には長い交流で培われた文化などの魅力があるからだと思います。一時の判断で全否定せず、さらなる交流でお互いを理解する努力が必要だと思っています。 (横浜市港北区)
食べ物への接し方再考して 中学生 保高成美 13
私はテレビの大食い番組を見るたびに、とても悲しくなります。 味や体裁などどうでもよく、決められた時間内に詰め込めるだけおなかに詰め込ませるという感じです。 テレビ局はその映像で番組を盛り上げたいのでしょうが、食べ物がもったいなく、申し訳ないような気持ちになります。
日本ではないないのでしょうが、外国では食べ物がなく、子供が飢えて死んでいる国があります。テレビ局ではそんな国の子供たちのことを考えたことがあるのでしょうか。かりに子供たちに分けてあげられなくても、食べ物の扱いは大切にしなければいけないと思います。
まして日本は食料自給率が低く、海外に依存しなければいけない状況です。日本の将来や貧しい国の子供たちのためにも、食べ物について大人は真剣に考えてほしいと思います。(東京都立川市)
「最近の若者は」と言う前に 中学生 中村朝実 13
先日、映画を見に行ったときのことです。 映画のラスト近くになって、私の目の前に40歳くらいの女性が2人やってきました。何をしていたのかよくわかりませんでしたが、何やら混乱しているようで、大声で話をしながらスクリーンの前を行ったり来たりしていました。.せっかくよいシーンだったのに、邪魔されたようで、「大人なのに、かっこ悪いな」と思いました。
このような大人は、他の場所でも見かけます。電車などで、体の不自な人などに学生が席を譲っているのに、−人で2人分の座席を占めている大人や、優先座席なのに、平気で携帯電話を使っている大
人。街には、赤信号なのに横断歩道を渡っている人もいます。
もちろん、こうした人は一部ですが、「最近の者は…」とこぼす前にまず大人から自分たちのマナー
を再確認してもらいたいと思います。 (大阪府高槻市)
子供も自己責任の意識大切 高校生 難波 渚 16
小学6年の男児が、給食.のパンをのどに詰まらせて窒息死する事故が起きた。ニュースを見たが、校長は悲痛な表情で会見し、男児の親は当初、学校の説明に不満を漏らしていた。気の毒な事故だが、男児は自分の手でパンを食べた。誰かに押し込まれたわけでも、先生が早食いを強制したわけでもない。それなのに、学校の責任を問うような報道が気になった。
「振り込め詐欺」にしても、銀行員の説得を振り切って現金を振り込むケースが多いという。テレビや新聞で「すぐに振込まばい」 「誰かに相談する」などの注意を呼びかけているのに、やはりだまされる。だます方が悪いののっは当然だが、確認を怠り、自分の手で振り込んだなら、それは自分の責任だ。 何かが起これば、管理責任だとする間違いではないだろうか。子供のうちから「自己責任」の意識を植えつけることが大切だと思う。(神戸市西区)
生活を見直し、無駄なくそう(産経新聞H20.11.28) 中学生 奥村侑衣 14
日本は恵まれた国だと私はいつも思う。 先日、テレビでブラジルのスラム街に住む12歳の少女の生活ぶりが報道されていた。 母親は外で働いているが貧しく、生活用水は川の水で電気は盗電。食物は市場で傷んだりして捨てられたものを拾う生活だ。少女は家事に追われる毎日で、学校に通うどころではねい。 そんな少女に比べ日本の子供はどうだろう。日々の三度の食事や食べ残しは当たり前。お菓子も買える。蛇口をひねれば水が出、電気もつく。そして誰もが平等に学校に通っている。 でも私たちがこんな当たり前と思っている生活を、いまだに営めない子供が世界にはまだまだたくさんいるのだ。
私たちは日本に生まれたことを感謝するとともに、日々の生活を見直し、無駄が出ないよう心がけていくべきだと思う。 (東京都世田谷区)
公の精神説く「10代」に感動 会社役員 土橋俊文 53
9日付「10代の声」に掲載された中学生、宮沢紗瑛さんの「正しい日本語を使えるよう」を拝読しました。若者の公の場での聞き苦しいしゃペり方や、目上への敬意に欠けた言葉遣いを自戒を込めていさめる趣旨でした。素晴らしいのはご意見を貫く「公の精神」が、祖父母をはじめとする家庭のしっけで培われたことです。
電車内での飲食、化粧は言うに及ばず、あらゆるところで目にする「公の精神の欠如」は取り返しがつかない悪影響を社会に及ぼしひいてはわが国を崩壊させる要因になるような気がしてなりません。そういう風潮の中でのご意見は、家庭でのしっけがいかに大切かを思い起こさせてくれました。大げさでなく、日本もまだまだ捨てたものじゃないと感じ入った次第です。
「家庭」は社会を構成する最小単位ですが、最重要単位でもあります。家庭でのしつけ=教育が国を左右するといっても過言ではないと考えます。今一度、社会全体でこのテーマを再考すべき時ではないでしょうか。 (東京都武蔵野市)
隣国同士のつながり大切に 中学生 宮 葉子
(産経新聞H21.1.23)
テレビを見ていて、中国の街の商店や食堂の入り口に「営業中」という看板がかかっているのに気がつきました。私は「営業中」という言葉は中国から来たのかと思いました。
しかし、本当は日本で作られた言葉なのだそうです。日本は江戸時代の終わりに外国から開国を迫られ西洋の学問や技術がどっと入ってきました。それを理解するため、多くの学者が、それまで日本になかった考え方や事柄に漢字の訳をつけていったそうです。
それから遅れて中国に多くの西洋文化が入ってきたときに、中国は日本で作られた訳語を使いました。日本は中国から入ってきた漢字の恩〃を、日本製の訳語でお返ししたのです。
このように周囲の国のおかげで私たちの国は発展し、生活も豊かになってきました。このように世界中
の国々が互いに助け合ってきたことを自覚すれば、国同士の争いも少なくなるのではないでしょうか。
(広島県福山市)
新たな道変化あって開ける 中学生 本橋樹代子 13
国語の授業で『葉っぱのフレディ』という本を読んだ。そのとき教室でも話題になり、今でも印象に残っている言葉がある。 それは「まだ経験したことがないことは、怖いと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化し続けているんだ。変化しないものはひとつもないんだよ」。今、こうしている私も変化しているのだろう。
そして、死ぬことも変化のひとつという。「死」には何か恐ろしいイメージがあるが、怖くはないのだ。この解釈には、心に傷を負った人などの心に染み込んだりして、救われた人がいると思う。
自殺を考えている人でもやがて「死んだらもったいない」と思うかもしれない。変化があるから新たな
道が開けるのだろう。 (東京都小金井市)
ペットは最期まで見守って 高校生 藤井優佳
私の家には茶色と黒の2匹のチワワがいます。飼い始めて8年になりますが、実はこの2匹は、もう少し
で保健所に引き取られ殺されるところでした。一緒に生活を送り、いろいろな場所へ行き、遊んで、最後まで見守るのがペットの飼い主の責任です。でも「飼うのが面倒になったからと言って捨ててしまい、「自分の持ち物なのだから、どうしようと勝手」と言う人が少なからずいます。
人間は時に、残酷で冷酷になります。保健所で殺される犬やネコは一年間で約50万匹にのぼるそうです。 けれど、ペットを心から愛し、抱きしめ、笑顔を見せる人も多くいます。そんな人に飼われた犬やネコは安心し、うれしそうた顔をして、私たちの心を癒してくれます。
愛情を注げば、動物たちは必ず心を聞くれます。このことを多くの人が知り、殺される犬やネコが少なくなることを願います。(大阪府池田市)
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