高校生エッセイ・コンテスト入賞作品紹介

外務大臣奨励賞    餞平名(よへな)玲美   (沖縄尚学高2年)

真の国際交涜と平和
「おれは日本人が大嫌いだ。お前たちは世界一残酷な民族で、おれたちフィリピン人はひどい目に遭ったんだ」突然言われたその言葉に、私は唖然としてしまった。待ちに待ったベルギー留学が始まり友達作りに奮闘していた矢先、同じクラスにいたフィリピン人の男の子にそう言われた。悔しさと悲しさで心がぐちゃぐちゃになり、その時私は何も言うことができなかった。だがそれから段々と私の心は「怒り」に満ちあふれてきた。「どうして"私″にこんなことを言うの? 日本が犯してしまったフィリピンでの残虐行為を否定するわけではないけれど、それは私が生まれるずっと前に起こったこと。私には何の関係もないじゃないか!」。

私はこれまでフィリピン人に対して何かひどいことをした覚えはないし、私が彼らから非難されなきゃいけない要素は何もない。その「怒り」を誰か同じ日本人と共有すべく、私はその日の経緯を日本の学校の先生にメールで説明した。だが、心待ちにしていたその返事には意外なことが書かれてあった。実はその先生も日本語教師として中国で2年間働いた経験があり、そこでは「日本人」であるが故に、中国人から罵声を浴び、大変つらい思いをしてきたそうだ。そのメールには続けてこう書いてあった。「あのね、子供がしたことに対して親が責任を取るというのは当然でしょ。それと全く逆のことを考えればいいのよ。歴史的な問題の場合、上の世代の過ちに対して、下の世代の人たちが責任を取らなくちゃいけないの」。その言葉に百パーセント納得したと言ったらうそになる。少しの理不尽さを感じたものの、私は彼らから「試されている」と感じた。歴史を変えることはできない。だが、これからの日本を築いていくのは、紛れもない「私」なのだ。

私は次の日、彼に話しかけてみた。本当のことを言えば、顔を合わせることすらはばかれる。だができるだけ彼とコミュニケーションを取るようにした。私を通して、「彼の日本のイメージを変えたい!」と思ったからだ。そうして彼と向き合い、お互いのことについて知っていくうちに、彼と私はいつのまにか毎日一緒にお昼を食べ、将来の展望についてまで語り合う”親友”となったのだ。もう彼が以前のように日本とフィリッピンの歴史については何も触れなくなった。その”無言のメッセージ″を受け取った私は、−年間彼と真っ正面から向き合って本当によかったと心から思った。

日本に帰国した私は、世界100カ国以上の学校が参加している国際交流の部活に参加した。そこでは、テレビ会議を通してさまざまな国との文化交流や地震の救済支援のための募金活動、フィリピンの貧困地域住民のため、中古パソコンの寄付などたくさんの国々との共同学習、支援活動を行っている。そこで一番印象的だったことは、寄付金やパソコンを、直接、相手国に届けたことであった。お互いの顔と顔を合わせることで、その信頼関係が何倍にもなるからだ。

 私は、この留学体験や部活動を通して、真の国際交流とは、人と人との直のコミュニケーションなのだと感じた。メディアなどの言葉をうのみにせず、きちんとその国の人と向き合い、自分の目で判断してほしい。そうすることで、互いの信頼関係が広がり、争いのない平和な世の中が生まれるのではないだろうか。

生きる幸せ

                          文部科学大臣奨励賞 千葉美華子 (岩手県立盛岡四高2年)

 
5年前に出合った数枚の写真。私よりもはるかに厳しい経済状況の中で、「私は幸せ」。そう言う子供たちの真っすぐでキラキラと輝く瞳に、大きな大きな生きる強さをもらいました。 私は、幼いころに自殺で父親を亡くした自殺遺児です。身の周りには、両親の愛に満たされ育った友達。父親がいないことが、小さいころから私のコンプレックスでした。 毎日何気なく耳にする父親という単語。私にとってその単語は、生きようとせず自ら死を選んだ父親の存在を連想させるものであり、その父親の希望になれなかった自分へのむなしさを倍増させるものでした。

当時の私は、父親という単語を嫌い、父親を連想させる存在をすべて嫌いました。自分の存在価値が分からず、生きることにとてつもない恐怖を抱きながら、それをどうすることもできず、生きる恐怖につぶされそうな自分を保つことで精いっぱいでした。 そんな私に、前を向くきっかけを与えてくれたのがアフガニスタン難民募金活動でした。募金活動と言っても、募金箱を持って募金を集めるのではなく、バザーやミュージカル、公演会や写真展を主催し、集まったお金をアフガニスタンへ送る、というものでした。

その中で、私はアフガニスタン難民の子供たちの写真と出合いました。自分と同じ年の子が、兵士として銃を手にし、道路の上で山のようになって寝て寒さをしのぎ、食べ物を十分に得られず栄養失調になっている。それらの写真を見ていくうちに、自分は今までどれほど狭い視野で世界を見てきたのかを思い知りました。生きていくことがい、それが単なる甘えだと、やっと気がついたのです。子供たちの真っすぐで、曇りのない目が、表情が、私の甘えを消し去ってくれました。 たった半年間のボランティア活動。そこで出合った数枚の写真のおかげで、「生きる」ことが、恐怖ではなく幸福へと変わり、未来が真っ暗な闇から明るい光へと変わりました。生きることが、未来を見つめることが怖くなくなったのです。今まで当たり前だった毎日が、「幸せ」だと感じるようになりました。友達や先生、家族、私にかかわる人すべてを大好きだと思えるようになりました。意識せず、自然に笑えるようになりました。人生が明るいものへと変わりました。

 そしてもう一つ。募金の活動を通して、私が教わったのは命の大切さです。発展途上国お呼ばれる国々で生まれた子供はたいていが5歳の誕生日を迎える前に死んでしまいます。そんな彼らにとって生きていることはこの上ない幸せであり、子供たちは自分が生きていることで、「私は幸せ」。笑顔でそう答えるのだそうです。 その話を聞いたとき、涙が出てきました。自分より辛い環境の中で、幸せだと言う彼らの純粋さに、強さに感動しました。自分も毎日を強く、幸せに生きよう、そう思いました。

 写真との出合いから、ボランティア活動から、強く幸せに生きようと決めてから、5年の月日がたちました。5年の間に将来の夢ができました。それは、発展途上国について知ってもらう旅行プランを作成するツアープランナーになることです。5年前の私のように、自分を見つめ直す機会をたくさんの人に与えたい、元気をくれた、幸せの意味を教えてくれた子供たちのことを知ってもらいたい。それが、子供たちからもらった、未来の光から私が見つけた答えです。 そして、私の人生を大きく変えてくれた、写真の中でしか会ったことのない子供たちに、いつか直接会って、「ありがとう」。笑顔でそう伝えたいと思います。