「天皇皇后両陛下御大婚50年をお祝いする集い」・・・両陛下の五十年に奉謝のまことを捧げて

       両陛下は私たちのお手本    作家 佐藤愛子

 天皇皇后両陛下が御大婚五十周年をお迎えになりましたことを心よりお慶び申し上げます。昭和八年、陛下がお生まれになりました時、私は小学校五年生でした。その頃、内親王のご誕生が続き、皇室も国民もこぞって日嗣御子(ひつぎのみこ)のご誕生を待ちもうけておりましたときに、皇太子殿下がお生まれになったわけです。全国が熱狂しました。私も旗行列に参加して、「日嗣御子は生(あ)れませぬ、日嗣御子は生(あ)れませぬ」と歌を歌って、勢いよく日の丸の小旗を振ったことを覚えております。

 私の父は、神棚に
御灯(みあかし)をあげまして日嗣皇子が御誕生になりましたことを神様に感謝し、将来の皇室がご安泰であられますようにと、長いこと祈っておりました。

 昭和八年という年は、軍事色が強まっていた時代で、それ以降は日独同盟、中国との戦争から、アメリカ、イギリスを向こうに回すという状況にまでなっていきました。だんだん戦況が悪化していった昭和十八年に、皇太子殿下が栃木県の日光にご疎開遊ばされたという新聞の報道を読みまして、私は何かずしんと奈落の底に落ちていくような気がいたしました。皇太子殿下が皇居を離れて、田舎にいらっしゃるということは、そこまで日本の戦況は切迫しているのかと。

 当時、殿下は十歳でいらっしゃいました。十歳といいますと、まだ両親に甘えたい少年もいるような年頃でございます。そんな時分に殿下は、田舎へ疎開なさいました。陛下の孤独はその時から始まったように私は思います。

 もう、十歳の頃には、将来天皇におなりになる方としての帝王学もお受けになっておられましたでしょうから、国の先行きを思ったり、ご自分が背負わなければならない重責を思ったり、不安に駆られたり慰めて励ます人はおられたのかどうかは分かりませんがーそういう孤独を背負った十歳というのは、私はいま思うだに心が痛みます。

 それから日本は戦争に負けまして、十二歳の時に殿下は東京にお戻りになりましたが、
焼け果て、焼けただれた東京をご覧になって、本当にびっくりなさったということで、その時のお気持ちを付度いたしますと胸迫る思いがいたします。

 やがて昭和三十四年になって覆っていた雲が晴れました。美智子様との御成婚によって、殿下の孤独は無くなった、ああ良かったとひそかに安堵しておりました。その時に殿下の英語の家庭教師をされていたヴァイニング夫人が、美智子様のお写真を見られてこういうことを仰ってます。「私の心が思わず歌い出したほど、勇気と優しさと聡明さに満ちたお顔だった。私はこれで大丈夫だと思った」と。ヴァイニング夫人はそう思いながら東宮仮御所を訪問しお祝いをなさったのですが、それについてこう書いています。

 「私は殿下にお目にかかって、すぐ殿下がお変わりになっておられるのを感じた。殿下は幸福そうであった。そればかりでなく、深い内的な自信をお持ちのようだった。それはあるものを得たいと心からお望みになって、その目的を達するためにあらゆる努力をお傾けになり、ついにみごとに目指すものを獲得なさったところから生まれてきたものであった」

 ここで、陛下の孤独の雲は完全に拭い去られたと私は思います。ところが、国民がこぞってお祝いをした時が過ぎますと、今度は、皇室が神秘の扉の向こうにあった時代には無かったような新しい雲が現れてきまして、そのうち五十年経ちました。

 この五十年で、日本はすっかり変わってしまいました。率直に言いますと、言いたいことを言える時代、したいことを出来る時代。それに、美しいものと醜いものとが混乱してしまっている時代。価値観の多様化などと言って、かつての日本人が少しずつ変貌しつつあって、そしてついに今日に来たという、私のような大正生まれはそういう感を殊に強く持つようになっております。しかし
考えてみますと、国民は、自由気ままに享楽的に暮しているにもかかわらず、皇室は少しも変わっておられない。

 天皇陛下の
無私と寛容、そして皇后陛下の努力と忍耐力、お二方共に強靱な精神力をもって培われた美徳だと私は思います。お二方だけが日本人の伝統的なあるべき日本人の姿を失うことなく私たちに示しておられるのです。だけど、私たちはそれを天皇皇后お二方だけのお姿として、お手本にしようという気持ちも失っております。

 皇后陛下が、天皇陛下御即位十年の天皇誕生日に詠進されたなかにこういう御歌がございます。

             
うららか
            
ことなべて御身ひとつに負ひ給ひ
            うらら陽のなか何思すらむ


 この御歌にあらわれる皇后様の天皇陛下に対する切々たるお気遣い、私はこの御歌を拝するたびにその美しいお気持ちに、胸打たれます。お二方は、私たちが苦しい人生を生き抜くための、私たちのお手本だと私は思っております。これからは両陛下の御心が安らかにあらせられますように、それのみを私は祈っております。

情報源:日本の伊吹 日本会議6月号(平成21年(’09)