国防の目・頭脳ずたずた


     
 「慰安婦決議」は日本の危機である
 
国家の名誉を汚す濡れ衣は必ず晴らさなければならない。 米下院本会議は七月三十一日(日本時間)、旧日本軍によるいわゆる「従軍慰安婦」問題で日本政府に公式に謝罪を求める決議案を可決した。決議案は一月未にマイク・ホンダ議員が提出したもので、六月二十七日(同)に米下院外交委員会で可決されていたもの。決議案は、旧日本軍によって強制的に、「集団レイブ」が行われたとするもので、「残虐性に前例がない」「二十世紀における最大の人身売買の一つ」などと断じられている。 かかる反日プロパガンダをかねてより憂慮し、六月十四日、米紙「ワシントンポスト」に「THE FACTS」と題する全面広告を掲載した作曲家のすぎやまこういち氏にお話を伺った。

☆「慰安婦決議」は危機管理の 問題だ

Q: 反響はいかがでしたか。
すぎやま 賛否両論ありました。賛成の方々は、「よくやった」と。賛同者として名前を連ねて下さった方々はもちろんのこと多くの方々が、あの米下院の決議に対して日本からの初めての堂々とした反論でよく言った、と評価して下さいました。批判のほうは二種類あって、一つは、感情的に「けしからん」というもので、広告を出したこと自体に対する非難がほとんどで、肝心の広告の中身、つまり私たちが提示した「事実」に対する批判は一つもありませんでした。当のマイク・ホンダ議員の事務所は「検討するに値しない」と言っていました。しかし、私たちが出したのは「意見」ではなく、「事実」なんです。事実を提示したわけですから、それに反論するためには、その事実を覆すだけの事実をもってしなければなりません。しかし、そんな事実があるわけがないんです。ですからホンダ議員は敵前逃亡するしかなかったのではないか。

 
批判のもう一つは、事挙げせずに嵐が過ぎ去るのを頭を下げて待ってればよかったんだというものです。あの広告に反発して決議案賛成に回った議員もいたから逆効果だったんじゃないかと。日本のマスコミもそんな論調で批判していましたね。しかし、そういうやり方は危機管理への対応の仕方として間違っていると思います。 私はこの「慰安婦問題というのは、危機管理の問題だと思います。「慰安婦」非難決議案がアメリカ議会に提出されたということは、日本の危機だと思います。この危機にどう対応すべきなのか。

 
昨今世相をにぎわす数々の不祥事を通して、日本人もようやく危機管理のあり方について勉強したと思います。そのなかで、危機管理への対応においては、その場しのぎの対応というものが最悪のやり方だということが十分にわかったはずです。だから「慰安婦」決議という国家的危機に対して、何も反論しないでそっとしておくというその場しのぎでは絶対駄目なんです。

 
その場しのぎの典型が「河野談話」でした。事実を歪曲してまで政治的妥協を優先したことが、未だに我が国を縛り窮地に追い込んでいる。罪、万死に値します。一時波風が立とうが抵抗が激しかろうが、その場限りの対応をしてはいけない。これまでのそういうツケをここで踏みとどまって堂々と真正面から事実関係を追及して根気強く反論していくことで、いつかはこの禍根を断たなければならない。その第一歩が今回の広告だったのです。

☆事実を武器として


Q: 海外メディアに広告を出そうとされたきっかけは何だったのですか。
すぎやま 
外国の反日プロパガンダに対抗するには、日本はオピニオン 意見)ではなく、ファクト(事実)を武器としなければならない、と考えたからです。 ものごとは、事実をもとに判断し行動しなければならない。これが私の信念です。元々私は理科系の人間で、事実に反することにはものすごい拒否反応がある。はじめは「南京事件」だったんです。「三十万人虐殺」なんて中国が言っているが、常識的に考えてそんな数は無理だと。原爆を落としたわけでもないし、ナチスのようなホロコーストの施設もなかったわけですから。

 
いろいろ調べてみると、当時南京の人口は二十万しかいなかったとか、虐殺の仕方が日本民族の文化にはないようなやり方だったとか、そもそも「南京大虐殺」の第一報を欧米メディアに報じたティンパーリは蒋介石の国民党政権に雇われていた宣伝マンだったとか、そういう事実が分かってきた。冗談じゃない、これは放っとけないと。そこで、アメリカの新聞に広告を出そうと思い立ったのが二年ほど前でした。

 
本業が忙しくて作曲家としてのスケジュールの隙間をぬって勉強してようやく形になったのが、今年の春頃でした。「南京大虐殺はなかったという証拠」を提示した全面広告をニューヨークタイムズに出そうとしたところ掲載を拒否されました。そうこうしているうちに、今度は「慰安婦」決議が上がりそうだということで、急遽、テーマを「慰安婦問題に切り替えて、働きかけた結宋、ワシントンポストに掲載されました

 
その際はいろいろな方々に助けて頂きました。屋山太郎さん、櫻井よしこさん、花岡信昭さんには「歴史事実委員会」 (編集部注 広告はこの組織名で出している)としてだけでなくご助言なども頂きましたし、ジャーナリストの西村幸祐さんは半ば事務局のように動き回ってくれました。また平沼赳夫先生を初めとして多くの国会議員にも賛同者として名前を連ねて項きました。


 
今回の米下院の決議問題は、やはり日本人であれば放っとけませんよ。これは日本国及び日本国民全体に対する名誉穀損だと私は思っています。 だから事実関係について徹底して争わなければならない。例えば裁判において正しい判決の判断材料の第一は物証であり証言でしょう。しかし証言が虚偽の場合もあるから、裁判では必ず反対尋問によってその証言の信憑性をはかるわけです。ところが、米下院外交委員会が証言させた元慰妾婦に対しては反対尋問らしきものは何一つ行なわれなかった。そもそも彼女らの証言は十数年に初めて彼女らが世に出たときからくるくる内容が変わっている。

 
そんな証言を鵜呑みにできるわけがないじゃないですか。話にならないお粗末な証言を根拠に日本が非難されて黙って見過ごせますか。 だから私は、今回のこの広告を機会に、事実で物事を判断しようという国民運動が起きるところまでいけたらいいなと思っています。

☆「強制をしてはならない」が 日本政府の意思だった

Q:広告で提示された具体的な「事実」について、一部紹介いただけますか。(編集部注 広告の日本語原文の全文は10〜11頁に掲載)

すぎやま
 
「河野談話」を出した当の河野洋平氏は、のちに行なった講演の中で、「日本軍の強制を示す文書、資料はなかった」と言っている。安倍総理も、「強制性を裏付ける証拠はなかった」と会見で述べている。しかしながら、私に言わせれば、その方針自体が間違っています。論理学のイロハですが、「なかった証明」というのはほぼ不可能なんです。完全な全数調査が必要ですからね。問題は当時の日本政府及び日本軍の意思は何だったかということです。慰安婦は人類の歴史と共にあったわけですから、日本が非難される理由はただひとつ、政府および軍の意思として慰安婦を強制的に集めたかどうかという点です。ところが当時の内閣や軍部の通達を調べてもそんな文書は一つも出てこない。逆に出てくるのは、「軍部の名前を利用したりしてはいけない」「本人の意思に反して慰安婦にしてはいけない」などとして、これらに違反した業者は罰するという指示を出した文書等です。そして実際に処罰された業者もあったのです。つまり、「強制をしてはならない」というのが当時の日本政府の意思だったのです。その物証は現にあるのです。

 
当時の日本政府の意思が明らかな以上、日本政府や軍部を非難するのは間違っています。実際に悪徳業者がいて、人さらいまがいのことをしたじゃないか、という人たちがいる。それはあったでしょう。でもそれで政府を非難するのは間違っている。どの国家でも泥棒はいけないとして窃盗を禁ずる法律はある。それは政府の意思です。でもそういう法律があっても泥棒はいる。泥棒が存在するということは、政府が泥棒を奨励したということではない。
慰安婦は実際にいたじゃないかと非難するのは、そういう頓珍漢な話にすぎません。実際に業者を罰しているわけですからね。いかに政府がルールを作ってもどこの社会にもルールを破る人間はいるわけで、それは政府の罪ではない。


☆反日包囲網の歴史は繰り返 されるのか?


すぎやま 
今日のテーマは危機管理ということだと思いますが、とくに日本は何か問題が起きたときに海外に対する情報発信力が弱すぎますね。今回の米下院の決議問題に関して、僕の年代でピンときて恐ろしいと思ったのは、アメリカにおける中国のプロパガンダの影響力ですね。僕の子供の時分は支那事変にはじまる日支戦争の時代でしたが、あの時代から、新聞やメディアを通して感じていたことは、アメリカがみるみるうちに反日に傾いていったということです。あとで分かったことですが、それは自然にそうなったのではなかった。蒋介石夫人の宋美齢がアメリカに行ったりして三十年かけてアメリカ全土を宣伝によって反日一色に染め上げていった。さらに背景にはコミンテルンの策謀があったことも最近明らかになりつつある。そういう反日プロパガンダが大東亜戦争の一つの背景となっていった。正にいま起ころうとしているのは、その再現ともいうべき中国がアメリカを反日一色に染め上げて行こうという運動です。今回の決議もその一貫だと捉えるべきだと思います。

Q: 戦争反対という人たちは、なぜあの戦争が起こったのかという真相を本当には知らずに言っている人たちが多いですね。

すぎやま 
日本は引きずられ、追い込まれていったんですね。最近、中西輝政先生の研究などで、ヴエノナ文書が知られるようになった。それでマッカーシーは正しかったとか、日本国憲法作成に携わった連中にもコミンテルンの指令で動いていた工作員がいたとか分かってきた。つまり世界はそんな謀略が渦巻いている。それは昔も今もずっとそうなんです。それを日本人全員が直視しなければいけない時期に来ていると思います。

 
いま、世界で起きている対立の構図は「左翼」対「右翼」の対立の構図ではない。「全体主義」対「民主主義」の対立の構図なのです。左翼・右翼という区分は間違っている。いま、中国がやっていることなどは、かつてナチスドイツの宣伝相ゲッペルスが「嘘も百遍言えば本当になる」と嘯(うそ)いてプロパガンダをまき散らした、あのやり方ですよ。

 
全体主義の人たちは、民主主義者を右翼という。私もよく右翼と言われますよ。でも私は民主主義者です。 例えばニューヨークタイムズのスタッフ、あるいは米下院の議員たちに、「貴方は民主主義か全体主義か、どっちの側に立ちますか」と質問すれば、多分、民主主義のサイドに立つというでしょ。でも実際には全体主義の側に立っている。こんな矛盾はないですよ。だから今、この世界の対立構造は「全体主義」対「民主主義」だということを理解してもらうキャンペーンが必要だと思いますね。

 
その意味で、安倍内閣が価値観外交を掲げて推進しているのはいいことだと思います。ヨーロッパから太平洋までの自由と民主主義の弧を作ろう、というのは正しい大局観だと思いますね。

☆教育とは日本人を作ること


Q: 最後に、教育の問題についてお聞きしたいと思います。
すぎやま 
「慰安婦決議」のような濡れ衣を晴らさないまま、日本の子供たちが国に対する誇りを失うことは何としても避けなければなりません。 教育の根本は一言でいえば、日本人を作るということです。日本人が日本人であること。これが一番の大事です。

 
私は作曲家ですが、どんなスタイルの曲を書いても日本人としての感性というものがどこかに出ますね。たとえばゲームソフトの「ドラゴンクエスト」の曲で、ヴィバルディのようなバロック音楽スタイルの曲を作ることがありますが、やはり日本人としての感性は入りますし、ジャズの曲を書いても日本人の感性が反映されます。著作権法では、その人の作曲した曲、創作物はその人の人格の一都だという法体系になっています。音楽はその人の人格の
一部だというわけです。私の人格の一部が日本人である以上、作る音楽に日本人としての感性が入るのは自然なことだと思います。


 
私は日本人だということを強く意識した体験があります。いまから三十年くらい前に、ポーランドのソポットという所で世界ポピュラー音楽祭が開かれて、私がその日本代表の審査員として呼ばれて行ったときのことです。会場には五十何カ国かの国旗が掲げられていましたが、見ると日本国旗がない。漏れていたのです。「冗談じゃない」と、その音楽祭の事務局に怒鳴り込んでいったら、「あ、しまった。まったくのミスでした」というから、その場でワルシャワの日本大使館に電話させて、急遽飛行機で日章旗を届けさせた。ところが事務方は「ではこの辺で」と端っこのほうに掲げようとするから、「ふざけるな、こんなミスしたんだから、真ん中にしろ」と言ったら、結局、真ん中にアメリカ、日本、ポーランド、ソ連の四カ国の国旗が並ぶことになった。日本から同行した歌手やマネージャーたちも感激していましたけど、そのときは日本人としての意識が燃え上がった瞬間でしたね。

 
まず日本人が日本人であることが教育の一番の目標だし基本だと思います。 レコーディングのお仕事が終わったばかりとお聞きしました。御多端の折り、貴重なお話を賜り、本日はまことにありがとうごぎいました。(七月二十三日インタビユー

          国家の名誉を守れ  すぎやまこういち氏に聞く
 昭和六年、東京生まれ。幼少の頃より音楽を愛する家庭で育ち、高校時代から作品を書き始める。東京大学教育学部卒業後、文化放送を経て開局一年前にフジテレビに入社し、ディレクターとして「ザ・ヒットパレード」「おとなの漫画」「新春かくし芸大会」などの番組を手がける傍ら作曲家としての活動も始めた。「亜麻色の髪の乙女」「花の首飾り」「恋のフーガ」「学生街の喫茶店」など多くのヒット曲、CM音楽、東京・中山競馬場で使用されているファンファーレとマーチなど幅広いジャンルの音楽を手掛けている。人気ゲームソフト「ドラゴンクエスト」の音楽を発売以来担当している。そして、青少年のオーケストラ入門になればと、オーケストラによる交響組曲「ドラゴンクエスト」のコンサートを続けている。(情報源:日本の息吹 (平成十九年九月号)