情報源:日本の息吹 (平成二十年十二月号)

日本人が忘れてはならない『道』と『徳』
先人が大切にしてきたもの@   全国退職女性校長会顧問    安元百合子


 多くの学校の先生たちは、教育現場でまじめに一所懸命に勤めています。しかし今の教育には大切なことが欠けていると思います。「悪いことは、悪い」のです

 何かとすぐに学校に文句を言いに来る「モンスターペアレント」といわれる父母が増えていると言われていますが、今の教育に欠けているのは、お互いが信頼する心ではないでしょうか。「先生と父母」「先生と子供」「管理職と先生」、それら互いの信頼関係が薄くなっているのではないかと思います。私は小学校で担任をしていた頃、一番初めの四月の保護者会で、「先生の悪口や批判を子供の前で言わないで下さい。もし親として納得のできないことがあった時は、直接私に言って下さい」と、お母さん方にはっきり話していました。当時のお母さん方はそれを理解して受け入れてくれました。親が子供の前で先生の批判をすれば、子供はそのまま受け入れてしまいます。それでは教育は成り立ぢません。先生を敬う心、信頼関係があってこその教育です。今そのような教育の土台が極めて弱くなっています。教育に、欠けてしまっているものの一つです。

 平成十年、栃木県の中学校で女性教師が刺殺される事件がありました。授業に遅れた男子生徒が、先生に注意されてカッとなって刺殺した事件です。その時ある新聞が「先生は逃げることを知っていなければいけない」と書いたのです。女性教師が逃げずに真っ正面から子供に注意をしたから教師は刺され、子供を罪人にしたというのです。見当違いも甚だしいと思います。悪いことは悪いのです。授業に遅れてきた男子生徒が悪かったのです。「悪いことは悪い」としっかり言えない大人、教育者、社会で果たしてまともな教育が成り立つでしょうか。子供に「どう思う?考えてごらん」と聞くばかりではなく、「嘘をついてはいけない」「弱い者をいじめてはいけない」と、悪いことは悪いときちんと言える社会にしていかなくてはいけません。幼い時からきちんと教えないので、青年がキレて、「嫌になったから」と言ってたくさんの人を巻き添えに刺し殺すような事件が起こってしまうのです。


 かつて会津藩の藩士の子弟は十歳になると藩校に入る決まりになっていました。入学前の六歳から九歳までの幼い少年たちはしっかりとした生徒になろうと子供たちだけの集まりを作り「什(じゅう)の淀」を誓い合いました。

 一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。

 二、年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。

 三、うそを言うてはなりませぬ。

 四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。

 五、弱い者をいじめてはなりませぬ。

 六、戸外で物を食べてはなりませぬ。

 七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。

最後に、「ならぬことはならぬものです」と。


 私が校長をしていた時は、全校の保護者会で、「什の捉」のような態度で「いけないことはいけない」と親ははっきりと注意して下さいと話していました。教師も教育委員会も、事無かれ主義ではいけません。きちんと「悪いことは悪い」と言うことが大切なのです。

「国への誇り」「親への孝行」

 それから「国への誇り」「孝行」という最も大事なものも欠けています。五年ほど前の読売新聞の調査によると、十代の少年は「日本が外国に侵略されたらどうするか」の問いに、四四%は「逃げる」、一二%は「降参する」と答えたそうで、国を守るという意識に欠けています。これは歴史・公民教育に大きな原因があると思います。規範意識については、(財)日本青少年研究所の調査で、「学校をずる休みすることは本人の自由」と答えた日本の高校生は七九%。「親に反抗するのも本人の自由」と八五%が答えました。「孝行」についても、「どんなことをしても親の面倒は自分が見たい」と答えた高校生は四三%で半数もおりませんでした。アメリカや中国が七〇〜八○%でしたから恥ずかしい限りです。明治から大正にかけて日本に訪れた諸外国の人々は、「日本人は皆礼誇り高い」と讃えていましたが、どうしてこうなってしまったのでしょうか。

 規範意識が低く、親の面倒を見る気持ちが薄くなった原因の一つは、戦後の道徳教育です。「道徳」の指道丙容や副読本には「孝行」という言葉が全く出てこないのです。また親にも原因はあります。親が厳しく躾をせず、あまり家事をさせません。子供をアメリカにホームステイさせた教育委員会の人から聞きましたが、アメリ力人から「日本の子供を預かりたくない。働かないから」と言われたそうです。子供には「学び・遊び・仕事」の三つのバランスの取れた生活をさせなければなりません。学校では掃除等の勤労を、家庭では手伝いを、責任を持ってさせていくことが子供の教育にとって大切なのです。また先日、産経新聞に世田谷区の日本語特区の取り組ゑが紹介されていました。世田谷区独自で「日本語」の教科書を作り、論語、詩、短歌、俳句などを子供たちに素読をさせて、語彙や表現能力、日本の文化や伝統への理解を身に付けさせています。子供たちは喜んで覚えて、学校帰りに「師日わく…」と暗諦しながら帰っているそうです。

実はずっと以前から、足立区の梅島幼稚園(山下有一園長)ではそれらを実践していたそうです。四歳児の教室の黒板には「神無月十六日木曜日」と仮名も振らずに書いてあります。そして授業の最初に「お父様、お母様がお喜びになることをします。天は自らを助くるものを助く。先生、皆様、おはようございます」と、背筋をピンと伸ばして挨拶をするそうです。このような教育こそ大切なのです。もう一度、学校・家庭の教育を見直していく時なのではないでしょうか。(つづく)

安元百合子
大正14年東京生まれ。東京第一師範学校女子部本科卒。昭和20年より都内の公立小字校に勤務。50年から世田谷区の小字校校長に。57年から60年にかけて全国公立小学校婦人校長会会長を勤め、61年定年退職。60年には春の園遊会に招かれる。その後、麻布台教育研究所研究員、世田谷区立社会教育委員、退職女性校長会会長などを歴任。現在、日本の会代表理事、(社)日本郷友連盟理事、全国退職女性校長会顧問などを務める。