君に伝えたい、 日本,雑誌「正論」編集長 上島嘉郎=かみじまよしろう

元気を取り戻すために

 日本はこれまでの歴史の中でいくつかの危機と遭遇し、それを乗り切ってきました。唐・新羅と戦った663年の白村江(はくすきのえ)の戦。日本の入貢を求めた元のフビライを拒絶して戦った文永・弘安の役(元寇)。大航海時代に始まる西欧列強の圧力に抗しての明治維新。いずれも一歩道を誤れば、国そのものを滅亡に追い込みかねない危機でした。 その後、大東亜戦争の敗北による一時的な被占領という経験はしたものの、日本という国は、他の民族や国家の支配をほとんど受けることなく過ごせた”幸運の民”といえるかもしれません。われわれはずっと「日本」であり続け、「日本人」であることを自明としてきました。

 それでいて日本人はど己に自信のない、外国との比較による「日本論」や「日本人論」が好きな国民はない、と外国人から椰輸されもします。一体「日本人」とは何か。また「日本人であり続ける」とはどういうことか。連綿たる生命の流れに思いをはせたとき、歴史の集積としてのわれわれ(日本人)にとって、後世に伝え残したい日本とは何か。

 連続エッセーの冒頭で明治神宮国際神道文化研究所の今泉宜子さんが触れたように、今年は明治維新140年です。開国似後の日本は一貫して西欧近代の文明を吸収しながら、同時にそれと対峙するという逆説の中で自らの生存を図ってきました。

 実は、こうした白本を守る (永続させる)ために、日本を削り取ってゆく(日本人の固有性を希薄化、多様化させてゆく)という奇妙な作業は、今も続いているのではないか。明治の指導者、知識人が苦悩したことは、先の大戦を経て、冷戦の終結を見て以後のグローバル化の今こそ、より熾烈になっているのではないか。

 さらに実感はともかく、経済的な繁栄を手にしたかに見える今の日本人は、日々絶え間なく流れる情報の波にさらされ、自画像や自らの進むべき道筋を見失って”漂流”しているのではないか。それは、これまでの日本の歩みの中で最大の危機ではないのか。

 このような問題意識のもと、2カ月半にわたって櫻井よしこ、日下公人、ロマーノ・ヴルピッタ、福田和也、茂木健一郎各氏に、後生の日本人に伝えたい日本の姿(歴史の集積、価値観、美意識、才能等々)をご執筆いただきました。縦横に語り合っていただくシンポジウムは明日(25日)開催です。来し方行く末を考え、日本の元気を取り戻すために多くの方々のご来場をお待ちしています。明治神宮の杜でお会いしましょう。 =おわり
ニッポンの未来は明るい・・・人の、国の悪口ばかりでは国も滅ぶ・・・と(橋本大阪府知事)。・・いい子達が育っているニッポン!
10代の声(産経新聞H20('08)10.24金)

食料自給率を上げてほしい  
       小学生 山本通雄 11
 ぼくは社会で食料の輸入のことを勉強しました。輸入した食料のよい点は、日本にはない食べ物があることと値段が安いことです。悪い点は、害のある食べ物が交じっていることがある点です。 いま、日本の食料自給率は40%を切り」ほかは輸入にたよっています。ぼくは、このまま輸入が増えていくことに反対です。害のある食べ物が入ってくるかもしれないし、もしかすると自給率が0%になってしまうかもしれません。外国の食べ物ばかりで国産のものがなくなるとこまります。食べ物のために外国の言いなりになってしまってはもっとこまります。 そして、国産の食べ物がなくなると畑や田がなくってしまいます。すると緑がなくなって環境も悪くなってしまいます。 ぼくは食料の自給率をもっと上げてほしいと思います。 (兵庫県加古川市)



仕事の苦労学んだ職業体験   中学生 溝潮紀乃佳 14
                                                          
 9月に学校で職業体験があり、私は3日間、歯科医院へ行ってきました。とても楽しい経験をすることができました。 体験させてもらったのは、バキュームという治療中に患者のだ液を吸う機械の操作です。最初は歯科衛生士さんに操作を見せてもらい、その後、実際にやらせてもらいました。なかなかうまくいかず「これでいいのかな」と思っていましたが、患者さんも何も言わずに治寮を受けてくれました。やさしい患者さんばりで、やりやすかったです。 今まで私は、働くといことがどんなことかよく分からずにいたけれど、今の体験ですごく大変なことだとわかりました。そん
仕事を毎日続けている大人はすごいな、と思います 私も、今やるべきことをきちんと行い、しつかりとした大人になろうと思いました。   (高松市)



 私の将来の夢は、音楽の教師になることです。中学生 児玉エナ 15

 小さいころから歌うことが大好きで、家族や仲間の前で歌ったとき褒められたりすると「また頑張ろう」という気持ちになり、努力します。 私は最近、人間というのは誰もが他人に支えられ、影響されて生きているんだなあと思うようになりました。 ですから、いくら話が合わない人や嫌いな人でもまず笑顔で接し、対話をする勇気を持つこと。そして自分を理解してくれる相手には感謝の心を持つことが大事だと思います。 私がそう考えるようになったのは、どんな生徒とも笑瀕で接し一生懸命に話し掛け、子供たちの才能を見つけようとしている先生方の姿に感動したからかもしれません。 私も、笑顔や大好きな音楽で子供たちと接し、共に喜び、そしてその子の才能を伸ばせるような情熱教師になりたいと思っています。   (千葉県松戸市)



心開いて話すことの大切さ  高校生 梶原 翔 17
                               
 先日、私が所属する筝曲(そうきょく)部が全国大会で優勝しました。他校に比べて練習時間は少なく技術的にも秀でたわけではありませんが、優勝できた理由は、みんなの心をひとつにする「異体同心」だと思っています。 それは簡単なことではありませんが、私たちは話し合いの場を多く持つようにしました。 その結果、それぞれが心を開いて話せるようになり、相手がどのような考えを持っているのかが分かるとともに、自分の思いも相手に伝え、相手を動かすことができるようになりました。 五・一五事件(昭和7年)で、犬養毅首相は襲撃してきた急進派の青年将校に「話せばわかる」と言っても無視されましたが排他的な対話からは何も生まれません。 現状を理解し、より良い方向を目指そうという前向きで建設的な話し合いは飛躍を生み出し、お互いが理解できるまで対話すれば、可能性は大きく広がると思います。   (東京都国分寺市)