国際的にも立派な国・日本 作 家 元文化庁長官 三浦 朱門 国連は元来が第二次大戦中の連合国の組織を、そのまま戦後に持ち込んでドイツなどの「危険」な国を監視する意図で作られ、戦後の国際秩序を作った。連合国側の旗印は平和の維持、民主主義の擁護と人権の確立だったから、この3つが国連の旗印のようになった。 日本などに対する旧敵国条項というのもあって、加盟国は必要とあらば、日独などに出兵して、暴力的政権を倒す権利まである。連合国の中心であった米ソ英仏、それに中国が常任理事国として、拒否権を与えられているのは、この組織の原型が第二次大戦中に成立したからである。 昭和20年代の日本は平和、民主、人権の国として認められたくて、国連加盟に熱心であった。しかし、国連の常任理事国すべてが人権尊重の民主国家でなかったのが、国連の偽善である。 ソ連と共産中国はこれらの理念とほど遠いことは、誰でも知っている。英仏だって戦後、いやいやながら植民地を手放したものの、植民地には人権も民主主義も存在しなかった。米国にしても、日本より20年ほど遅れて、民主・人権尊重の国になった。 米欧に負けない民主国家 1960年にはじめて米国に行ったとき、南部の諸州では黒人と白人は公共の乗り物は、座席が分けてあり黒人は実際問題として、選挙権を行使できなかった。レストランなどでも、主な店は黒人お断りである。有色人種と白人の結婚を禁止する州が、第二次大戦後でも存在した。それに比べると、1960年という線を見れば、日本は世界有数の民主国家といえる。少なくともアメリカより民主的であった。それでも戦前から日本は「白人待遇」を受けてきた国だからまだ良かった。 しかしヨーロッパ諸国に植民地にされ、散々、差別を受けてきて、戦後、やっと独立した国はアメリカや英仏に、民主的にやれ、人権を尊重しろといわれても、せせら笑ったことであろう。 日本でも植民地人には選挙権はなかったが、敗戦の色濃い1945年4月には勅令で植民地人にも選挙権を与えることになり、勅選の貴族院議員が植民地人から選ばれた。そのころでも日本は英米仏と似たりよったりの民主国家であったのである。 ただ、アメリカという国は、フランス革命の以前から、民主的で人権を尊重する国家になろうと努力して、建国200年ほどしたこの20、30年前に、やっと理想に近い国家を形成した。その努力と苦難の道は敬意を払ってよい。しかし世界各地で民主主義と人権尊重の先進国面をするのは偽善だし、その戦いは失敗している。 この国は国連の決議を無視しても、平和と民主主義のためとして、中近東などに兵を出す。しかしその本心は石油の確保にあると考えてもあながち間違いとは言えまい。 卑屈な態度とる必要なし 国といってもさまざまだ。ソマリアという国は海賊で食っているような国らしい。国連はそれに積極的なことを何もしない。アフリカ諸国はしばしば旧植民地の境界がそのまま国境になっていて、その線には必然性がないから、内乱というか、国際紛争というか、武力抗争が絶えない。 ドル紙幣の偽造と麻薬で食っているらしい北朝鮮の、日本国民拉致事件で国連は何をしたか。 しかも日本は国連分担金の16%を払い、その額は米国を除く他の常任理事国の総計に等しい。日本は国連にとって、金を唯々諾々と払うが、無視してもよい国、と思われているようだ。日本は国民が思っているよりも、はるかに立派な国なのである。今上陛下が即位されて20年、この平成の御代にしみじみとそう思う。 それなのに、国際的に何処か卑屈な態度をとりたがる。国連という弱体の、しかもいかがわしい国家と称する団体の集まりに、何か理想のイメージを描いている。国連中心外交などというが、その意味は私には分からない。 今度の経済的混乱の中でも、日本は株価は下がったが、それは世界どこでもそうなので、日本経済が実体以上に虚勢をはっていた訳ではない。その証拠に、円価は上がるばかりである。 隣の韓国を見れば、自国が経済危機に見舞われて、日本経済の後ろ盾が欲しいから、年末には大統領が太宰府までやってきたし、竹島のことなどオクビにも出さない。日本は国際社会において、自国の実体に目覚め、自信を持って、主張すべきは主張する国になるペきであろう。 (みうら しゆもん)情報源:産経新聞、正論 H21('09)1.7 平成21年(2009年)1月19日 月曜日 曽野綾子の透明な歳月の光 317 用心を欠かさない「世界の常織」贈り物にも監視は必要 ガザの戦闘に関して、テレビ番組に出演する識者の中には、日本の政治家がもっと積極的に停戦を呼びかけるべきだ、と言っている人もいたが、そんなことは日本の役目ではないだろう。むしろ何も関係ない人がしゃしゃり出てきた、という眼で見られるのが落ちだと思う。ユダヤ人とパレスチナ人はもう三千年もいがみ合ってきた仲だ。 昔国連パレスチナ難民救済機関に呼ばれて、ガザなどの難民キャンプをみたことがある。 確かに難民たちの生活は楽ではなかった。段々に建てられた狭い掘っ立て小屋の屋根の上には、乾いた生ゴミや錆びた古自転車が捨てられていた。しかし中にはカットグラスのコレクションをしている富裕難民もいた。キャンプでは、子供のレンジャー部隊の訓練をしていた。七歳くらいの子供にも、綱渡りや武器の扱い方を教えている。子供はすべて痛めつけられるだけの無垢な立場ということもない。もっともイスラエル側も、有刺鉄線で陣地化した新入植地を抗戦的に作っていたが、そういう村の子供たちも銃の使い方くらい熟知しているはずだ。 イスラエルでは小人数の小学生が近くに写生に行くときでも、付き添いの教師は自動小銃を携行する。子供たちを撃たれるままにはしない、応戦するというのが言い分だ。 その時、ガザなどの難民キャンプで会った抗戦的な態度の女教師は、口をきわめてアメリカを罵るので、私は、「あなたたちはそのアメリカに経済的に助けられているんです」と言った。当時もパレスチナに対する支援額は、一位がアメリカ、二位が日本だったのである。するとこの女教師は、急にアラビア語になって喚き出した。実はこういう事態を予想して、私はアラブ女性を秘書の名目で自費で同行していた。 彼女は日本人の妻で国籍も日本人だが、生粋のアラブ人だから周囲の人が何を言っているのかを私に喋く役目を果たしてくれていた。この女教師は私がわからないのを幸い、次のように言ったらしい。「アメリカが金を出すのは、パレスチナに悪いことをしたという自覚があるからだ。もっと取ってやればいい。そしてこういうことをいう女(私)は誘拐してやればいい」その日以後、私は宿泊先のホテルから国連の車以外、タクシーにも乗らなかった。 一月初めの報道によれば、日本はパレスチナに九億円の人道支援を決定した。 日本人は、日本がパレスチナに出す金は、公正な人道上の行為だと相手も理解してくれるだろう、などと思う。困難な時に贈られる援助の金品は、同じパレスチナ人なのだから、確実に困っている人に廻るだろう、と思う。しかしそうでもないだろうと用心するのが当然だ。金品を着服しようとする人も、その金でつまりは武器を買おうとする人もいるだろう。贈り物にも適当な監視が必要だというのは、世界の常識だ。 |