日本は「いい国」なのだ 政論探求.
 
紙面編成の都合だとかで、このコラムは今回が最終回である。お読みいただいた読者に感謝するとともに、最後であるならば、書きたくてもこれまで書けなかったことに触れる。

 田母神俊雄前空幕長は「日本はいい国だと言ったら更迭された。悪い国だったと言い続ければ褒められるのか。日本人よ、誇りを取り戻そうではないか」と訴えた。職を賭したのだから、立場をわきまえよといった官僚的理屈はもうどうでもいい。田母神氏の思いに共鳴する。どの国だってその歴史には暗い面もある。だいたいが半世紀以上も前のことをいまだに自虐的に謝罪し続けている国など、どこにもない。「日本はいい国」であるはずなのだ。


 
大量の日本人拉致という国家犯罪を重ねた北朝鮮、「南京30万人大虐殺」をでっち上げる一方で6兆円にのぼる日本のODAに謝意も示さない中国、漢江の奇跡といわれる復興は日本の支援抜きにはあり得なかったのに反日に走る韓国、中立条約を一方的に破棄し、シベリア抑留の悲劇を招き北方四島を不法占拠しているロシア、さらに広島・長崎への原爆投下に原罪意識すら持たないアメリカ…。 そう考えていくと、日本および日本人は、道徳的・倫理的・人間的に、はるかに優位に立っているはずなのだ。だが、日本側は、そのことをあえて口にはしない。それを「武士道の国の矜持」として意識しているのかどうかが問題だ。

 
国際政治の舞台では、憲法9条の制約があるがゆえに、日本の外交パワーはどうしても弱くなる。「使えない軍事力」は抑止力にはなり得ない。集団的自衛権の束縛を解かない限り、「テロとの戦い」を展開している国際社会の一軍プレーヤーにはなれない。

 「村山談話」は当時の社会党委員長を首相に担がざるを得ない政治的混迷が背景にあった。自衛隊違憲、日米安保破棄といった基本的主張を一夜にしてひっくり返していったのだから、旧社会党内に不満が渦巻いた。それに対する回答として強引に閣議決定に持っていったのが村山談話であった。

 その政治状況は一変し、旧社会党(現社民党)は解党寸前にあるのだから、政治的には村山談話に拘束されるいわれはない。なし崩しに葬ってしまうというのが政治の知恵であるはずだった。

 麻相太部首相が田母神氏更迭という防衛官僚の甘言に乗せられずに保守政治家としての気概を示していたら、その後の政治情勢は違っていたかもれない。いずれ9月までには総選挙が行われる。政権交代が実現するかどうかはともかく、この国のありよう、国家戦略をめぐる一大論争の場となるのであれば、大きな意味合いが出てくる。そのくらいの構えで今後の政治を見つめたい。
(客員編集委員 花岡信昭)おわり H21.2.25