村上春樹氏:カタルーニャ賞スピーチ全文

公正と信義の国:ウオッチング

新聞一日の命ではもったいない・モッタイナイ・MOTTAINAI”・・・・・年頭にあたり・・・作家:曽野綾子
・・・・都知事・対談・在日外国人
この国の行方・・・・年頭にあたり・・・宗教家:山折哲雄・・・・対談:目覚めよ日本

平成23年ニッポン国 棋聖の挨拶  民主主義  国歌・国旗

想いはみな同じ 呉善花女史 われは海の子 ゆく寅くる卯 神仏の国

子供たちに伝えたい日本の誇り・・・7つのポイント
国家再建を目指し 東京裁判からの脱却を!(中島 實86歳)
恥を知り・足るを知り・程を知れば・・・国は元気になると誰か云う。
日本は「核は持てるが持たぬ」が賢明
緊急事態への対処法整備を急げ

アメリカのいらいら

最高指揮官



一人ひとりの覚醒が国を元気にする 金美齢(情報源:倫風2月号)

就職活動で疲れている若者、将来に不安を抱える高齢者。新年を迎えたというのに、街往く人々の後姿は心なし悄然としている。日本を覆うこの閉塞感を、どうすれば吹き払えるのでしよう。日本で暮らし始めて五十年目に日本国籍を取得した評論家の金美齢さんは「国民の一人ひとりが目覚め、伝統的な倫理観を蘇生させることで日本は元気になる」と強調します。

目覚めて考える人を増やしたい

二〇一〇年の秋、私は「美齢塾」と呼ぶ会員制の勉強会をスタートさせた。二十代から四十代で、男女を問わず社会のために何か役に立つことをしたいと真剣に考えている人々の参加を募り、膝を交えて意見を交換する会だ。「この国はどうあるべきか」「人はいかに生きるべきか」などについて共に考え、それを深め、各自が実行に移してもらいたいと思ったからだ。

孫文はかつて、「人間は大きく三つに分けることができる」と語った。時代のパイオニアとなるひと握りの「先知先覚者」、何かのきっかけで目覚めて学び始める「後知後覚者」、社会の動きに無関心で自分の利益しか考えない「不知不覚者」の三種だ。いつの時代も、ほとんどが後知後覚者で占められ、先知先覚者や不知不覚者はほんのわずかしかいない。

ところが悲しいことに現在の日本は、半数近くが不知不覚の人で占められているのではないか。そんな印象がしてならない。それは、日本の伝統的道徳遺産ともいえる「日本精神」が死語となりつつあることと無関係ではない。日本人は古くは、中国から文物を学び、維新以後は西洋から科学技術を学んで、今日の豊かな社会を築き上げてきた。

新しいものを積極的に吸収して自分のものとする進取の気性、和を尊び公徳心を重んじる生き方、暮らし方や暮らしの場にも清潔を求める潔癖な生活態度こうした日本人の気質の総称が「日本精神」だ。

だが、それが今失われつつある。このままいくと日本はどうなってしまうのか、行く末を考えるとじっとしていられなかった。微力ではあっても、目覚めて考える人を一人でも増やしたい、そうすることで「日本精神」が失われるのを食い止めることができるのではないか。そんな思いもあって「美齢塾」を開設したのだ。

きん・びれい●評論家。昭和9年台湾・台北市生まれ。日本統治下の台湾で育つ。同34年早稲田大学に留学、台湾独立運動に参加。英・ケンブリッジ大学客員研究員、早稲田大学講師などを歴任。63年JET日本語学校を設立。平成12年から18年まで台湾総統府国策顧問を務
める。評論家としてテレビなどで活躍。家族・教育・社会・政治分野でさまざまな提言をする。『夫婦純愛』『日本人の覚悟』『私は、なぜ日本国民となったのか』など著書多数。

個人と国は対立するものではない

日本精神の衰退は、戦争を起こしたのは戦前の価値観が悪かったからだと、敗戦時に戦前の価値観を否定したことから始まったと思う。

俳人・芭蕉は「不易流行」を唱えた。永久不変の真理を知らなければ基礎は確立せず、時代の変化を取り入れなければ新たな進展がないといった意味である。世の中には変えてはならないものと変えなければならないものがあるということだ。

戦後の日本は、GHQ(連合国軍総司令部)の指令があったとはいうものの、何を残すべきで何を変えるべきか、冷静に見定めることなく、戦前の価値観に潜む不変の価値までも悪しきものとして排除した。結果的に自国の歴史の正当性や家族の絆を否定し、日本精神を衰退させることになってしまったのだ。そして今日その弊害が現われるに至って、やっと戦前の価値観を無分別に否定したことを反省する意識が芽生えつつあるのではないだろうか。

英語に「take it for granted(当然のことと思う)」という表現があるが、高度経済成長期に青春を迎えた団塊の世代も、生まれ落ちた時から社会はすでに豊かだった若い世代も、日本が豊かであるのは当然のことだと思っている。当然のことだから、ことさら豊かさを支える努力について考えないのだろう。だが、グローバルな時代に入ると、「国家、民族、家族、個人とは何か?

そしてどう生きるべきか」という問題を考え、態度を明確にしておかなければならない。これはきわめて大事なことである。日本人が現在の暮らしを維持するためには、こうした明確な意識の下に強い意志を持って努力することが求められるのだ。

例えば、今の日本人は自分と国との関係を真面目に考えない。日本人が国について考えなくなった原因のひとつに、マスメディアが「個人と国とは対立するものだ」というメッセージを国民に刷り込んできたことがある、と私は思っている。

「反権力、反体制」を唱えることが正義であり、ひと言「国を愛する」などと言おうものなら、すぐに「右翼」か「軍国主義者」のレッテルが貼られ、揶揄と冷笑の対象にされてしまう。こうした風潮が、国の在り方を真剣に考えることを妨げている。

「国を愛する」という感情は素朴で自然な感情に根ざすものだ。郷里に住む父や母、美しい風景、暮らしている土地に対する愛着そんな感情が「郷土愛」となり、それが愛国心へと昇華されていくのだ。民主主義国家は、国あっての個人であり、個人あっての国という意識に支えられて、国家が成り立っていることを忘れるべきではない。

結果平等主義の弊害

「日本精神」の衰退に反して幅を利かせるようになったのが、「結果平等主義」という考えだ。経済的な営みやその他あらゆることは、その結果において平等であるべきだという考え方だ。しかし、機会はすべての人に平等に与えられるべきだが、その結果の平等は保証できるはずもない。どう行動して、いかに努力するかによって結果は当然、異なってくる。

好運・不運はあるが、結果は、各人の才能や努力に応じて本人の意思でもたらしたものなのだ。その責任は本人に帰すべきである。昨今、社会問題として取り上げられる「格差社会」を否定する言葉の根底には、この結果平等主義の発想が潜んでいるのではないだろうか。機会が奪われたことによって生じた格差については、是正する余地はあるが、結果において生じた格差は誰もが甘んじて受け入れなければならない。

日本の「格差社会」は、イギリスにみられるように厳然とした階級社会ではない。単に経済的格差現象をとらえた言葉だ。有力メディアは、「非正規社員やワーキングプアーがあふれている日本は、若者にとって夢も希望もない国」と書き立てる。だが、それは現実の一面に過ぎない。

実は、日本は豊かな社会で、あらゆる情報が簡単に手に入る。だから生き方にも多様な選択肢があることを知り、努力と行動でよい結果を出せる。こういう面にも目を向けるべきだ。就職難といわれるが、地方の中小企業や介護の現場は、いまだに人手不足で困っている。大企業だけが会社ではない。日本には、まだ努力が報われる環境が十分整っているのだ。

「私が上手くいかないから、あの人が上手くいくのは許せない」という妬みが社会に蔓延し、成功者の足を引っ張るようなことになれば、その社会は衰退の道をたどるほかない。嫉妬や妬みは何ももたらさない。

才能ある人や一生懸命働いた人たちの成功は、それとして喜び、自分は自分の持ち場で一生懸命努力をすればいいのだ。能力のある人たちにはしつかり働いてもらい、多くの税金を納めてもらう。その税金で、身体的・精神的にハンディキャップを持った人たちを支援する。それが健全な社会の在り方ではないだろうか。

美しい国を守り育む

今、日本は内憂外患の真っただ中にある。円高株安で景気は低迷を続け、経済力にも翳(かげ)りが出ている。世界第二位の経済大国の座は中国に奪われた。国の財政も悪化の一途をたどつている。尖閣諸島や北方領土の国境問題でも中国やロシアに翻弄されて苦しい立場にある。マスコミや国民は、政府の対応に不満を抱き、さまざまな批判を繰り

広げる。なかには「政権交代」を叫ぶ人々もいる。だがよく考えていただきたい。現在の政権を選んだのは、ほかならぬ国民である。とすれば、政権の行為の責任の一端は国民にもあるはずだ。選挙の時は、何の危機感もなく「もうそろそろ政権を交代させたほうがいい」とか「あのタレントが好きだから」などと、政治理念や政党のめざす政策などおかまいなしに投票している。

それが、景気が低迷したり、何か事件が起こって、気に食わないと政治家のせいにする。政治のよし悪しは、有権者である国民の責任だと私は思っている。よく、「一国の政府は国民のレベルに見合うものである」といわれるが、その通りだ。よい政治を求めるのなら、政治家に任せるだけでなく、国民一人ひとりが、国のために何ができるかを考えなければならない。五年ほど前、安倍晋三元首相が、『美しい国へ』を上梓した。

その巻末の言葉を、私は今も覚えている。「わたしたちの国日本は(略)まだまだ大いなる可能性を秘めている。この可能性を引き出すことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか」

私はこの言葉に共感を覚えた。日本精神をはじめとする伝統的価値観を否定し続けてきた戦後レジューム(体制)から脱却しない限り日本の未来は拓けないとする気持ちが伝わってきたからだ。

地方へ出かける度に、日本は本当に美しい国だ、と認識を新たにする。新幹線で関西方面に行く時は、必ず進行方向右側の指定席に座る。富士山が見えるからだ。富士山を見た日は一日中気分がよい。瀬戸内海も好きだ。豊かな緑、青い海、長い海岸線。日本は本当に美しい国だ。

この美しい国を守り育み、繁栄を維持するためには、日本人一人ひとりが何がしかの役割を引き受けなければならない。「国が自分に何をしてくれるか」ではなく、「自分は国に何ができるか」という意識が今ほど求められている時はない。

私たち大人がそれを自覚し、日本精神を次代を担う子どもたちに伝えていけば、日本は必ず元気になると、私は固く信じている。

きん・びれい●評論家。昭和9年台湾・台北市生まれ。日本統治下の台湾で育つ。同34年早稲田大学に留学、台湾独立運動に参加。英・ケンブリッジ大学客員研究員、早稲田大学講師などを歴任。63年JET日本語学校を設立。平成12年から18年まで台湾総統府国策顧問を務める。評論家としてテレビなどで活躍。家族・教育・社会・政治分野でさまざまな提言をする。『夫婦純愛』『日本人の覚悟』『私は、なぜ日本国民となったのか』など著書多数。