朝起会で素敵な方(86歳・元銀行員)にお会いしました。ご高説をご紹介します。
会員随想 国家再建を目指し 東京裁判からの脱却を!
年改まり茫々六十六年、大東亜戦争終結して此処に此の歳月を閲した。今祖国の情景を展望するに、慨嘆久しきものあるを禁じ得ず。国の政治は労働組合を根幹とする左翼政党の壟断する所となり、其閣僚の誰一人として、国の為に散華された英魂を祀る靖国の御社に拝跪する者無き有様である。眼を外交に転ずれば、尖閣諸島事件に見る如く、腑甲斐無き姿を世界に示す体たらくである。かかる事態の因って来る所以を尋ぬるに一にかかって戦後政治の怠慢にありと思料せざるを得ず、遡っては、勝者米国の占領政策に唯々諾々として盲従し日本民族の誇りも衿持も捨てて省みなかったことに起因すると言わざるを得ない。
若き身空で皇国を護らんとその尊き生命を捧げ、大東亜の天地に、太平洋印度洋北海南漠の波涛に又空に特攻散華された烈士を初めとして数多の英魂に対して誠に申し訳なき仕儀にて、唯々切歯扼腕あるのみ。
米国の庇護の下自ら国土を護らんとする気概も見せず、この儘にて推移せんか、何時の日か祖国は、中共の毒牙にかかりその属国とされ歴史の中に埋没せんことは火を見るよりも明らかである。
吾人は今須く保守本流の政党を再建し、速やかに自主憲法を制定し、陸海空三自衛隊を脱皮せしめ、専守防衛などと言う寝言を吹き飛ばし、真の攻撃力を備えた陸海空軍とする再軍備を断行しなければならない。物事の成って来た姿には必ず原因がある。敗戦以来の我が国政を展望する時、戦争終結への確たる見通しも持たず、増してや敗北の場合の国の命運についても何ら考慮することなく無謀に始めた大戦の結果、世界一の軍事大国アメリカの軍門に下り、栄ある皇紀二千六百年の有史以来初の敗戦に遭遇し我が政府は周章狼狽し、無条件降伏ではなかったのに臆病風に取りつかれた政府領袖は占領軍の指示命令に全く無抵抗であった。
GHQマ司令部、更にはマッカーサーに正々堂々と渡り合った外務省終戦連絡事務官白州次郎の如き胆力の坐った政治家は居なかった。唯吉田茂が及ばずながらマッカーサーと対峙したと言うべきか。
その吉田も朝鮮事変勃発という好機を逃し、ダレスによる再軍備要請を拒否し、晩年に至って其の誤りであったことを述懐している。思うに戦後日本をリードして来た保守政党も、英国に於けるトランジスターのセールスマンという池田評の通り、経済復興のみに専念し、国民精神を作興してバックボーンの通った戦前の日本に回帰するという努力がなく全く怠慢の一語に尽きると言うべきか。
法律に素人の占領軍人達が一夜作りの憲法を一方的に押しつけられ(これは占領基本法とも言うべきもの)昭和二十七年平和条約が発効した後もその改廃を一切考慮することなく、九条の如き、独立国にあるまじき条文を金科玉条として現在に至ったことは、尖閣諸島事件の如き事態に対処出来ないという悲劇を生じさせる一因である。
憲法改正の好機は中曽根安定内閣の時にこそあったのではないかと思料する。その中曽根も惜しいかな国を思う意識薄く党利党略に溺れ、遂に「私の内閣では改憲の用意はない」と言い続けたのであった。戦後憲法はアメリカの意図する所であったのか、その改正条件が酷(きび)しくその制約の為改憲が困難であった一面もある。
安倍内閣によって漸く改正の機運が兆して来たことを喜んでいた矢先、戦後利得者である朝日新聞、NHK等マスコミメディア左翼勢力の戦後体制を崩されることを良しとせざる勢力により脆くも潰え去ってしまったのは国家にとって惜しみても余りがある。一考するに敗戦後の日本を襲った国際法違反の勝者による敗者への復讐劇ともいうべき国際軍事裁判東京裁判が、勝者の都合の良い様に日本人を洗脳するものであったことを見抜けず、この裁判を正しいものと考える東京裁判史観が今も尚国民の心に染み付いているのは我が民族にとって一大悲劇である。
日本国は一方的に侵略国家とされ、戦争犯罪などという外交史上初めての概念を押しつけられ、東條大将他六名の国家指導者が極刑に処されたことは、国民をして自国を誹誇する結果をもたらし、戦前のことは総て悪であるという考えを抱かしめ戦前の良き所も、国の伝統も文化も弊履の如く捨てて省みぬ風潮を作ったのである。
今国民は占領軍の齋した東京裁判史観なるものを止揚し、たとい無謀な戦争を戦ったという落度はあっても、あの戦争に至らしめた米国の世界戦略を見抜き、おぞましい被虐史観から脱却しなければならないと声を大にして叫びたい。
(本会理事)鎌倉明治曾
|