・・・させ、豊かになるためには政治的統制は必要だ」と言う。ヒトラーの第三帝国では、国民は消費生活を楽しむ一方で全体主義的統制に順応していったが、現在の中国でもまったく同じ光景が繰り広げられているわけである。
さて、平成に御代代わりしたわが国は、バブルが弾け、経済の低迷期に突入する。「失われた10年」とか「20年」とかいわれるが、その含意は、いうまでもなく経済社会の損失である。間欠泉のように噴き出る構造改革論の求めるところも、「経済社会の構造改革」だった。もちろん、強い経済をつくるための改革に臆病であってはならないが、専ら経済社会の構造改革に特化し続けてきたところに、平成日本の過ちがあったと言わなければならない。
☆今こそ求められる冷戦思考
経済さえ、経済だけ、なんとかすればどうにかなるだろうと高をくくる日本を尻目に、すぐ隣では、政治、軍事、経済のすべてにわたる覇権路線を着々と歩む大国が出現した。わが国は、これを供手傍観するばかりだった。いや、むしろ彼らの覇権戦略に手を貸してきたというべきだろう。
この間、中国側にとって絶大な効力を持ち続けたカードが歴史認識だった。今回の防衛大綱に対する批判でも「侵略の歴史をきちんと反省せず、やたらと対中批判をしている」と付け加えるのを忘れない。力を誇示しつつ歴史認識力ードをちらつかせ、負欲に利潤を追求する国家資本主義大国とどう対峙していくかという問題は、昨日今日突然、出来(しゅったい)したものではない。
この二十余年間、突きつけられてきた深刻な問題である。しかし日本政治は、これと正面から向き合おうとしなかった。その場凌ぎの対応を続けてきた揚げ句、存在しないはずの尖閣をめぐる領土間題がいつのまにかできてしまい、今や東シナ海は世界でも最も緊迫した海域になっている。
東アジアでの生き残りを図らねばならぬわが国こそ、「冷戦思考」が求められているのである。「政治の失われし20年」の代償は決して小さくない。(えんどうこういち)
2011.1.11産経新聞
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