続く・・・い子」と言われて甘やかされて育った次代だから、国全体の姿を見ず、自分の小さな得しか考えない。誰でも人には、自分の人生に対する嗜好があって当然だ。時にはそれは、偏屈、頑固、時代遅れ、無理解といった非難を受けることもある。しかしそれらは、人の個性というものであって、昔の文部省の教育にも、軍国主義にも、世間の軽薄な風潮にも、権力志向にも、不正にも、敢然として闘う力を持っていたものであった。

 しかし今はそのような勇気を持つ人に、私は個人的に出会うことがほとんどなくなった。「組織の意向」に気兼ねするばかりで、自分の立場は表明しない卑怯者になっている。


内閣の票集め政策は投げ銭
 現内閣は権力闘争に明け暮れる政治家の醜態をよく見せてくれた。その場その場で出す票集めの政策は、昔のご領主さまの投げ銭の場面を彷佛とさせる。熱狂して銭を拾う領民は「もっとくれ」精神に毒され、不平は募っても幸福は感じない。それが日本の現状だ。

 昨年の最大の収穫は、検察も警察も、共に弛んで信じられないほど堕落していたことが明るみに出た点だろう。日本は堕落においても世界的レベルだったのだ。それで通る、と思っていられるより、むしろ早めに威信を失墜した方が救いだったかもしれない。これも権利ばかり教えて義務の観念を育てなかった教育の責任である。

 強力な個があってこそ、特異な力を備えた人間も形成され、時には彼らの強引な思想に周囲が悩まされることもあるのだが、逆にその刺激によって自分を発見した人も多かったのである。それらの哲学を持った人間集団が、政治にも、外交にも、産業の構造にも力を発揮して、日本を強固なものとして結束して来たのである。

 何度も言っていることだが、人間は受けるだけでなく、他者に与えてこそ、初めて人間になり満たされ幸福を実感する。この心の流れを止めている限り、泥沼の国家経営は続くことになるだろう。(そのあやこ)2011.1.1



透明な歳月の光 曽野綾子

金色堂の鞭堂
もろさを守り続ける姿が愛の真髄

私たちが通常、金色堂のある中尊寺として知っている平泉遺産は、正式には「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群」と呼ばれるのだそうだ。それがこの6月にパリで開かれるユネスコの会議で、おそらく「世界遺産」として登録されるだろうといわれている。

私も30年ほど前、平泉に思い出多い旅をしたのだが、その時、最も胸を打たれたのは、金色堂そのものよりも、そのお堂を擁して建っている鞭堂(さやどう)であった。

金色堂の建立は1124年だというから、900年に近い年月、この見事な建造物は命を保ってきたことになる。日本以外のどこに、このような完壁な美に比肩しうる同時代の建造物があるのか、私には分からない。しかも平泉は、一度も都として政治の中心になったことのない土地である。むしろお世辞にも豊かだったとはいえない「地方」「田舎」であった。そこに900年も昔から、これだけの信仰と、建築技術と、独自の文化を保持する意欲が民衆の中にあったということには、改めて深い敬意を持って当然だろう。

しかし私が30年前に金色堂で感じた驚きは、もう少し違うものであった。私はその頃、新約聖書の勉強の後半の部分に差しかかっていたのだが、金色堂を収めた鞘堂の存在に打たれたのである。


新約聖書の聖パウロの書簡のうち、『コリントの信徒への手紙一』の13章には次のような有名な「愛」の定義を示す箇所がある。

「(愛は)すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
このすべてを「忍び」に当たるギリシャ語原文「ステゴー」は、「忍ぶ」「耐える」一「口を覆って語らない」などという意味もある動詞なのだが、同時に「覆い被(かぶ)さる」という意味もあり、まさに、もろい人間や建物を捨て身で優しく守る姿勢を示していると習ったからである。

つまりこの姿勢は、地震の時などに母親が幼い子供の上に自分の身を投げかけて守る姿勢をも示している。私たちは、時々愛するものに意見をして悪いところを改めさせようとする。しかしほんとうの愛は決して相手に変わることを強要しない。相手がどんな仕打ちをしようと、そのまま覆い被さるようにして守るだけだ。愛は、ただ信じ続け、望み続け、それでも変わらない場合は、「すべてに耐える」ものだ、と規定する。この最後の「耐える」という言葉には「ヒュポメノー」という言葉が使われており、それは重荷の下で踏みとどまり下から支え続けることを指す。

ギリシャ神話の巨人アトラスが、肩で天を支え続けるあの姿だ。鞘堂の精神も同じである。金色堂は古くてもう改築も無理だが、鞘堂は静かにそのもろさを守り続けている。その姿が
愛の真髄なのである。
産経新聞:H23.6.8