巡拝の途中で初めて知った興亜観音=松井大将のお人柄

・・・日本の悲劇・・・。当時を知る日本人の悲痛な心の叫びが聞こえます。
時代背景  追い詰められた日本 黄禍論 オレンジ計画, WGIP =ヲー・ギルト・インフォメイション・プログラ  初めに「原爆投下」ありき人の道・女の道 戦後の全て・・・・・などの時代背景を知れば大東亜戦争は”歴史の必然”であったと思いますが如何でしょうか。日露戦争後に西洋列強特にアメリカは人種差別とともに警戒を強めている。

「私たちは何を考えたらいいのでしょうか」
当時は世界列強の仲間入りが出来たアジア唯一の国日本、今では、アメリカの世界戦略の一環に支えられながらも世界第二位の経済大国になった日本国である。バブルの崩壊のあと、昨今の日本の内外には不穏な動きが出始めた。歴史の流れの必然か?人間の愚かな性(さが)か、日本は悲劇の始まりの当時の極東アジアと同じ情勢になって来ているように感じられてならない。
日本人として一度は訪れたい遊就館

 日本は過去を反省し、二度と同じ戦争は起こさないと、”けなげに”、第三国の信義に信頼して武力を放棄して平和を大切にして、莫大な経済支援をしてきたというのに・・・。全国巡拝会の心よとどけ・・と祈らずにはおられません。


南京大虐殺事件」 の責任を「東京裁判」でひとりで取らされた,、松井大将(昭和12年8月から、南京を占領した後の13年2月まで上海派遣軍、続いて中支那方面軍という陸軍の最高司令官)

Q:松井大将が責任を取らされた、その「南京大虐殺」 って、本当にあったんでしょう?。学校でもあったと教えられたわ。

A: う−ん。お前もそう思っているか。お祖父ちゃんは「南京大虐殺」は無かったと思っている。これからの話をよく聞いて欲しい。支那事変が始まり、上海に飛び火した戦火は拡大し、上海から南京への攻略戦では、強力な支那軍の猛烈な抵抗で、激しい戦闘が連日続いた。日本軍にも、上海戦で四〇、六七二人、南京戦で六、一七七人の戦死傷者が出たと記録にある。

 それは激しい戦闘だった。従って最前線の戦場ではどうしても多少の不祥事はあつたろう。例えば、支那軍には危なくなると兵隊の服を脱いで民間人の服に着替えて抵抗する者・・・
便衣隊(べんいたい)と云うんだ・・・も少なくなかったし、そういった中で防ぎ切れない事件が起きたのは事実だと思う。 しかし、云われているように、無抵抗の市民や、投降した捕虜たちを、計画的・組織的に、何万人と殺したり、婦女子を片っ端から暴行したなどということは絶対になかったと、自信を以て断言できるね。もともと日本人は、残虐性を持ち合わせない民族だと思う。日本の歴史を見てもそれは分かる。ヒトラー、スターリン、毛沢東、近くはポルポトがやったような、百万人単位の虐殺、粛正といった残虐な行為は、日本人には思い付かないことだよ。

一晩に十万人近くの一般民衆を焼き殺した
東京大空襲も、日本の敗北が歴然としていた時になっての広島・長崎への原爆投下だって、国際法から見ても許されない残虐行為そのものだよ。ソ連のシベリア抑留もそうだ。 このような、言葉は悪いが”すねに傷持つ国々“は、自分たちの仲間に引きずりこむ為に、僅かな不祥事を捕らえて、ありもしない「南京大虐殺」を「捏造」したんだと、お祖父ちゃんは思っているくらいだ。本当に悲しいことだね。憐れみすら覚えるよ。


戦争は人間の破壊です 戦争は生命の破壊です(ローマ法王パウロ2世)日本人は、全てを経験しました。このページは、恨みを、復讐の心を煽るためではありません。死者は帰りません、事実を事実として認め合い、知り、考え、未来に向けて、子々孫々のために民族の心をただただ伝えるために,また全国一の宮巡拝会の心よ”世界にとどけ”と誠に僭越ながら勇気を奮い起こして公開しております。感謝


(情報源:興亜観音を守る会「興亜観音ってなーに」子や孫に語り継ぐ一問一答)
(個人的に、日本は、決して侵略国家ではない、大東亜戦争は「歴史の必然」と考えていた矢先産経新聞が地球日本史で大戦前の世界情勢を史実に照らして戦争へ突入した原因を究明して報じている。東京裁判史観、中国のプロパガンダでどれほど国益を失って来たか、平和60年してその無関心へのつけがあらゆる階層に現れてきている。産経新聞地球日本史のエキスを拝借しています。感謝。多謝