Q:東京裁判」って、どんな裁判だったのか教えてくれない?
A::ひと言で云えばこの裁判は、戦勝国が敗戦国に対しておこなった、形を変えた「復讐劇=ふくしゅうげき」に過ぎない。「事後法=じごほう」「罪刑法定主義=ざいけいほうていしゅぎ」・・・その内に亜紀も習うと思うよ・・・どれから見ても違法ばかりで、裁判の名に価いしない裁判であることは、 世界の法学界、いや世界の良識では当たり前になっているんだよ。第一にさっき話したインドのパール博士もそれを鋭く指摘し、ひとり敢然と全員無罪と述べている。この裁判の最高責任者だったマッカーサー元帥や、裁判長のウェツプでさえ、この裁判は間違いだったと、あとになって告白しているほどだ。

  もう一つ忘れてはならないことがある。東京裁判では、「通常の戦争犯罪」のほかに、「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」の二つを加えた三つの罪状で裁いた。あとの二つの罪状は、ドイツに対しておこなったニュルンベルグ裁判で新たに設けられたもので、さっき出た事後法に相当するものだが、東京裁判では、「人道に対する罪」に該当する訴因−起訴された理由−では、誰一人有罪になっていない。該当者無しということだ。つまり、ナチスがユダヤ民族の絶滅を図ってやったアウシユビッツのような犯罪は、日本にはなかったことが明らかになったことになる。松井大将が責任を取らされた「南京大虐殺」も、もとはと云えば、日本もナチスと同じ「人道に対する罪」をやっていたに違いない、逆説的に云えば、やっていてくれないと困ると考えて、無理矢理仕立て上げたものだとお祖父ちゃんは見ている。

 この東京裁判は、昭和二十一年五月に始まり、二十三年十月にA級戦争犯罪人として起訴され、裁判途中に亡くなられた方などを除く二十八名のうち、松井石根、土肥原(どひはら)賢二、板垣征四郎、東條英機、木村兵太郎各陸軍大将、武藤章同中将、広田弘毅元総理大臣の七名の絞首刑など、全員有罪の判決で終わった。

「下の写真:東京裁判が行われた場所(今は市ヶ谷駐屯地に記念館として保存されている)」


お祖父ちゃんはこう思っているし、いつもそう云っているんだが、七人の方々はお亡くなりになるとき、「これで昭和天皇の御身代わりになることが出来た」と、満足してそれぞれ処刑に臨まれたのだと考えているのだよ。その頃の日本の重臣たちは、そんな方達ばっかりだった。

Q: ところで、東京裁判で裁かれるほど、日本は悪いことをしたの?

A: 
いや−あ、絶対にそう思わないよ、お祖父ちゃんは。そりぁ世界中を相手にして戦ったんだから、口惜しいけど力が足らず敗けた。だけど、敗けたからと云って、決して間違った戦争や、侵略のための戦争をしたから東京裁判で裁かれ、有罪になったんじぁない。さっきも云ったように、東京裁判という間違った裁判、即ち戦勝国の報復心があのような結果を生んだのであって、度々出ているパール判事だけでなく、清瀬議弁護士・・・この方はのちに衆議院議長までされた方だ・・・や、米国人弁護士のブレークニーさんなども、被告の無罪を主張し、堂々とこの裁判の不当性を機会ある度に追求している。裁判所は自分に都合の悪い弁護側資料や証言を却下したり、記録から除外したりしているんだ。どんなにいい加減な裁判かはっきりしている。どうみても、日本は裁かれるような悪い国ではない。連合国にすれば、日本が悪い国でないと都合が悪かったんだよ。

勝てば官軍 負ければ賊軍=日本のことわざなれど世界も同じ、しかし、昨今の中国・韓国の一方的解釈による対日圧力は、上記の現実を無視した、うらみ、つらみ、嫉妬から発しているように思われてならない。愚かな人間の性なのであろうが戦後60年して東北アジアの動きは、大東亜戦争前のアジアに対する西欧列強の植民地化の圧力に立ち向かった日本の立場がまったく理解されず、政治的プロパガンダと、国のエゴとして顕在化しており、日本の平和60年、戦争放棄の政策が無意味になりつつある、また、経済力をつけた国々に、復讐の兆しすら感じる。世界の常識も、倫理観もここには無い。こころしよう!日本。

歴史を見れば事実が見えてくる。アメリカの戦後政策にはいろいろの問題が事実として出てきているが日本人は、決してそれを口にしない、時は戦争、潔く負け、潔く復興にとりくみ今日の平和と経済大国がある。ドイツも然り。
”恨みは 恨みでは消えない 永遠に ただ愛(仏心)のみが・・・”八百万の神々に感謝しましょう、入江先生のこころでもあります。