地球日本史228_6 他国に強要された物語に終止符を 戦後日本を決めた米国務省文書 |
昭和二十二年発行の文部省著作『新しい憲法のはなし』には、「こんどの戦争(太平洋戦争のこと)をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません」と書かれている。 わが国の戦後の歴史教育のベースとなった『平和と戦争』の歴史観は、戦後六十年たった今日の日本の教科書にも厳然と生きており、多くの現行教科書に引用されているこの新しい憲法の物語と『平和と戦争』の歴史観とは切っても切れない関係にある。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という日本国憲法の前文の精神は、この他国によって語られた「来歴」に真剣に同化しようとするものに他ならない。坂本多加雄は『象徴天皇制度と日本の来歴』(都市出版)において、次のように述べている。 <戦後の日本に課せられた来歴を積極的に受け容れようとした人々は、連合軍の実践的関心の向こう側に、そうした特定の国家という語り手を捨象した「世界の進歩」の来歴を読み取り、まさしく「人類」の名において、それを自らのものとしようとしたのである。日本国憲法が、その実際の制定者が誰であれ、その内容が正しいのだから受け容れるべきであり、日本は、世界に先駆けて平和国家を実現しなければならないとする主張は、そのあらわれに他ならない。
時代が大きく変化した今日、あらゆる分野で教育のバラダイム転換が求められている。歴史教育においても同様である。「人類」を主体とする「世界の進歩」の来歴として、他国によって語られ強要されたこの物語を自国の物語として語ることに終止符を打とう。連合国の国家利益に起源をもつ「東京裁判史観」や戦後日本の来歴の根底にある「平和主義と民主主義を軸とする他国の物語」から脱却しなければならない。
『平和と戦争』はアメリカが敵国に対していかに対処するかという目的のもとに書かれた戦時プロパガンダの文書であり、西尾幹二は『平和と戦争』について次のように指摘している。 <これによって戦後一本のレールが敷かれた。わたしが戦後の歴史教科書で教えられてきた歴史の見方のオリジナルがそっくりそのままそこにあるという印象受ける。この戦後管理の思想、勝者の言い分だけで成り立つ歴史観に今でも最多数の日本人はおおむね縛られたままである>
日本人は大東亜共栄圏の樹立という理想の下に「大東亜戦争」を戦った。占領軍は神道指令によってこの用語自体の使用を禁止し、すべて「太平洋戦争」に書き換えさせた。この太平洋戦争史の強要はウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに基づくものであった。このプログラムは占領軍にとって都合のいい情報のみを洪水のごとく日本のメディアに意図的に強制し、それによって戦後日本にバラダイム自体の根本的改造を試みた、世界史上無比の実験であったといえる。
そして、この実験はみごとな成功を収めた。三年間のアメリカ留学中にマッカーサー記念館で開催された三回の日本占領シンボジウムに参加したが、元占領軍幹部たちの誇らしげに当時を語る満面の笑顔が強く印象に残っている。
占領軍はわずか七年足らずの短期間に、日本人の精神的武装解除をみごとに達成した。それは占領軍が強制した「太平洋戦争」史観が今日の教科書や歴史学界、ジャーナリズムなどに深く浸透し、完全に戦後日本に定着したことをみれば明らかである。
その「太平拝戦争」史観の根底には、第二次大戦は英米民主主義国が日独伊全体主義国を裁いた「正義の戦争」だったという善玉悪玉史観に基づくアメリカ政府の公的歴史観があった。この『平和と戦争』というアメリカがはめこんだ「義眼」からの脱却こそが求められている。完 (地球日本史から。 明星大学教授 高橋史朗)
「新・地球日本史」は今回をもって終わります。単行本『新・地球日本史1』(扶桑社)は発売中。後半の十九編を収録する『新・地球日本史2』は六月下旬に刊行される予定です。
大東亜戦争後の平和60年・・・平和しか知らない年代が日本を動かす中心になっいる今日、世界は決して日本が理想とする平和は来なかった、各地に民族、宗教、などの紛争は絶えない、昨今の北東アジアの動きは不気味さすら感じる時代になった。日本の今日を見つめるときにこれほどの参考書はないと・・・産経新聞の特集に感謝しながら一部利用させて頂いた、心より感謝する。
一の宮巡拝会のこころも歴史に学び、その本質を知り、八百万の神々を畏敬し、感謝することこそ地球の安寧を希うことなのである・・・と。