長崎原爆資料館へ

史実を知ることは極めて重要である。過去は書き換えたくても変えられない。恨みは恨みでは解決できない・・・愛・慈悲(仏心)のみが・・・。

平成17年(2005年)6月8日(水曜日)産経新聞 
             トルーマン 初めに「原爆投下」ありき   
 昭和二十年八月六日、九日の原爆投下をめぐっては、「戦争の終結を早めるために必要だった」といった説が流布しているが、これに真っ向から反論する説が登場した。 トルーマン大統領と側近のバーンズ(後に国務長官)は、原爆を投下するために、日本が降伏しないように画策していたというのだ。

 在野の歴史研究家、鳥居民さん(七六)=写真=が『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(草思社)の中で唱えたものだ。 「新たな史料を発掘して、この説を唱えているわけではない。多くの研究者が利用してきた史料を丹念に読み、合理性のある解釈をすれば、こう判断せざるをえない」と話す鳥居さんは、「原爆投下準備完了の日」と「ソ連参戦の日」の日付をめぐる、トルーマ、ンとバーンズの行動と発言を緻密に追い、それらを一本の糸で結んでゆく。

 このコンビは、日本が降伏受け入れの絶対条件としていた天皇の地位保全条項を削ってしまう。 「日本を早く降伏させたければ、天皇の地位を保全すればよかった。そうすれば、日本は間違いなく降伏していたはず」と鳥居さん。 そのうえでソ連がポーランドを影響下におくことを認める代わりに参戦の日付をスターリンから聞き出す。極秘裏に進める原爆投下準備完了の日付は八月一日。これ以前にソ連が参戦すれば、日本が降伏する可能性が高く、原爆を投下できなくなってしまう。

 果たしてスターリンの回答は八月八日。 「このコンビが原爆投下にこだわった理由の一つは、極秘裏に研究開発費に二十億jを費やしていたため。もし使わないまま終戦となれば、議会から責任を追及されることは必至。もう一つは、ルーズベルトの急死で大統領になったトルーマンの性格。小者という自覚のあったトルーマンは、原爆を投下することで、歴史に名を残す大統領になれると考えたはず。さらに投下によってソ連を威嚇できるとも考えていた」 歴史に”イフ”は禁物だが、もしルーズベルトが急死しなかったら、原爆投下は? と考えずにはいられない。挑発的な書である。      (桑原聡)