戦後60年の国の節目に・真剣に国を考える時であると判断・・大東亜戦争の真の姿を見ることの出来る素晴らしい情報とし産経新聞H17.8.1、東京裁判特集を利用させていただいた。深謝します。
it
 一部の新聞、TVは大東亜戦争は日本の侵略戦争だったと他国から政治的プロパガンダに恫喝され、あるいは同調して246万余の戦争犠牲者を冒涜するがごとき一部の報道姿勢は納得できないところがある。果たして侵略国なのか?。日米戦争に突入したそもそもの原因は何にあるのか?産経新聞の特集記事だけでも史実を忠実に追いかけて戦後60年して新事実が出てきている。中国の政治的歴史の捏造、極東軍事裁判の違法性も明らかになっている。また、俗に言う自虐史観で若者たちにも影響が出ているではないか。敗戦を受け入れ国民挙げて反省することこそ今最も必要なことである。

 しかし無条件降伏を受け入れた日本国、GHQの占領政策は完膚なきまでに叩き潰された日本は何をされても仕方がなかった状況にあったのであり戦争は、政治の延長であり、政治の失敗である、どちらにも言い分はあり正義はある。西洋文明に唯一立ちはだかった有色人種日本・・・日露戦争に大勝した日本。武士道、国家神道(西洋世界に立ち向かうにはこれまた、止むを得なかった)を拝し富国強兵、殖産に国を挙げて国難に立ち上がった日本であったのだ。世界を良く知り、日本の程を知っていた為政者たちを非難し、世界の孤児になることもわきまえず、”ゆけゆけどんどん”と煽ったのは誰であろう? 反面、人種差別的要素はなかったのか?日本は崖っぷちに追い詰められてはいなかったのか?さらなる、歴史の検証も必要である。今となって、その悪の部分だけを引き出し同胞を罵り、戦場に斃れた先人たちを冒涜するかごとき言動は日本人の理(こころ)に反すると確信する。慰霊し鎮魂することは日本の伝統文化であり、理の当然のはずである。

 小泉総理は、二度とあのような戦争はあってはならない。不戦の誓いを犠牲者が祀られている地に個人的な心情で参拝される姿には日本国民の大半は賛同している。いまこそ、戦後60年の節目にあたり、平和60年の重みを再認識して、講和条約締結時になしえなかった国の未来を世界の見本となる姿にすることが今問われていると直感する。戦後歩んできた日本の姿は間違っていなかった。これを基にして世界の見本となる国家を築いていける国ではないだろうか。アメリカ、中国、ロシアの大国の狭間で日本の進むべき道をも今問われてもいよう。国家100年のスパンで歴史に学び、国家の道を誤ってはならない。
東京裁判 占領軍 A級戦犯 村山談話 パール判事 歴史の裏 慰安婦(従軍)河野談話