歴史の自爆
・・戦後60年・・2
総辞職前日の慰安婦談話 裏付けなく認めた強制連行

日本の「謝罪外交」を決定的なものにした「村山首相談話」に至る道筋を開いたのが宮沢喜一政権だ。 宮沢内閣が政治改革関連法案の処理に失敗し、最終的に総辞職する前日の平成五年八月四日。 官房長官、河野洋平は慰安婦問題に関する談話を発表した。「慰安婦の募集は、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲などが直接これに加担したこともあった」とし、「総じて本人たちの意思に反して行われた」との内容で、募集段階で慰安婦の強制連行があったことを政府として認めたのだ。

 慰安婦問題に火がついたのは、宮沢政権発足間もない平成三年十二月、「従軍慰安婦」だったという韓国人女性が日本政府を相手取り、謝罪と損害賠償を求める訴えを起こしたのが発端だ。 これを機に朝日新聞など一部メディアが「従軍慰安婦問題」キャンペーンを展開。吉田清治という人物が「済州島で軍の協力で慰安婦狩りを行った」と告白した。だが、この告白は後に、現代史家の秦郁彦らが現地調査し、「極めて疑わしい」ことが明らかになった。だが、当時は、真偽不明の慰安婦情報がマスコミをにぎわし、韓国政府も世論も世論に押されて日本政府に元慰安婦からの聞き取りなど真相究明を求めてきた。

元官房副長官の石原信雄は、「弁護士のTらが韓国で火をつけて歩いた。どうしてそういうことをやるのか、今でも腹が立って仕方がない」と振り返る。河野談話発表に至る調査はずさんだった。七月二十六日、元慰安婦十六人のヒアリングをソウルで開始した。「聞き取りの結果、自分の意に反して慰安婦にされたのは否定できない。
その点は認めざるを得ないという結論に至った」(当時の関係者) だが、得られたのは証言だけ。物証はなく、裏付け作業もされず、聞き取り終了から五日後に河野談話が発表された。国会開会中を理由に取材に応じなかった現衆院議長の河野に代わって、石原はいう。「官邸内でも国の名誉がかかるだけに意見はいろいろ出たが、内閣としてまとめた以上、弁解しない。私にも責任がある」

 韓国側は談話に慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗に働きかける一方、「慰安婦の名誉の問題であり、個人補償は要求しない」と非公式に打診してきた。日本側は「強制性を認めれば、韓国側も矛を収めるのではないか」との期待感を抱き、強制性を認めることを発表前に韓国側に伝えた。ジャーナリスト、櫻井よしこは、日本政府の対応を「韓国側とのあうんの呼吸以上の確信を日本側が抱いたのではないか」と推測する。 「誠意を尽くす」という内閣の意思で発表された談話だったが、日本政府が募集に直接関与し、韓国人女性を強制的に慰安婦にしていたかのように国内外で都合よく利用され続けている。 石原は「談話は日本政府の指揮命令の下に強制したことを認めたわけではない」と明言した上で、韓国政府の対応を批判する。「韓国政府の言い方は今ではまったく違った形になっている。心外だ」 
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 河野談話にも前段があった。 平成四年一月十三日。慰安婦問題をめぐり、政府は初めて、慰安所設置に関して旧日本軍の関与を認める官房長官酪話を発表した。主役は加藤紘一だった。 「現に(当時の)軍が関与したんだから。それを否定しなければならないの? 事実をちゃんと認めるのは、やむを得ないのではないか」 加藤は、慰安所で軍が関与した料金表などが資料として見つかったことを根拠にしたという。 「私が長官の時はどうやって慰安婦を集めたか、危ない集め方はあったらしいというところまで。ただ、軍がある種の凝営をしていたことは事実だ。石原副長官も私に『謝りましょう』と言ってきた」 三日後に宮沢の韓国訪問が控えていた。関係者によると、外交問題となりつつあった慰安婦問題を首脳会談で主要議題としないため、先方への「手土産」として談話作成が決まったという。懸案を取り繕ったつもりが、問題はさらに増幅したのだ。(敬称略)産経新聞H17.8.3)

歴史の自爆
 ・・戦後60年・・
一面から続く
発端は教科書検定での譲歩
 宮沢と河野は、日中関係の節目で、中国に有利な決定を下してきた。 歴史認識問題の発端になったのが、昭和五十七年の教科書問題だが、ここでも宮沢が大きな役割を果たした。 同年十一月、文相の諮問機関が「教科書検定基準に近隣諸国との友好・親善に配慮した項目を新設する」との答申をまとめた。いわゆる「近隣諸国条項」だ。 これは、八月二十六日、鈴木善幸内閣の官房長官だった宮沢が発表した四項目の「宮沢談話」がもとになっている。鈴木が訪中するちょうど一カ月前のことだった。

 「アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上で、日本の学校教育、教科書検定に対する中国、韓国の批判に十分耳を傾け、政府の責任において是正する」 「今後の教科書検定に際しては、検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する」 六月、教科書検定によって「侵略」が「進出」に書き改められたとマスコミが一斉に報じる誤報事件が発生。これに中国、韓国が反応、問題が一気に拡大した。
 宮沢談話が発表される三時間前の八月二十六日午後一時。自民党文教部会長だった石橋一弥は、自民党文教族の有力者、三塚博とともに、自民党本部に呼ばれた。 幹事長室には幹事長の二階堂進ら党三役と官房副長官、池田行彦が待ち構え、池田が一枚のコピーを配った。「部会長、どう思われますか」という池田に、石橋は「『これではダメだ』と言ってもよろしいでしょうか」と応じた。 だが宮沢談話はすでに外交ルートを通じて中国、韓国に通告したと、池田が明かした。納得のいかない石橋は、「是正とは何だ。今までの検定が悪かったと認めるようなものではないか」と食い下がったが、すべては後の祭りだった。 文部省に向かった石橋は、事務次官、三角哲生の前で、「残念だが、時すでに遅しだ」悔し涙を流心た。
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河野は旧日本軍が中国に残したとされる遺棄化学兵器の処理問題にも深くかかわった。遺棄科学兵器の処理は平成九年四月に発効した化学兵器禁止条約(CWC)に基づく処置だ。日本は五年一月に著名し、七年九月に批准した。CWCは化学兵器の使用や開発、製造や貯蔵を禁止する条約だが、中国の強い希望で遺棄化学兵器の「廃棄条項」 (第一条三項)が盛り込まれた。中国での旧日本軍の残留兵器以外は世界で「遺棄」を認めている国はなく、事実上の「日本専用条項」といえる。河野が官房長官の時に著名し、外相時代に批准した。旧日本軍の化学兵器は、ソ連軍や中国軍に武装解除されて引き渡した武器の一部。所有権は中ソ両国にあり、中国のいう「遺棄兵器」には当たらないとの見方が政府内にもあった。だが、河野は武装解除で引き渡されたことを証明する書類がないことを理由に、日本による化学兵器の処理を推進した。

 十一年七月三十日に締結した日中の「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」では、日本が処理費用をすべて負担し、将来の事故も日本が補償する内容となった。日本側代表は駐中国大使の谷野作太郎。そして、中国の言い分をほとんど受け入れた外交のつけが今また、国民に大きな財政負担を強いようとしている。償還が前提の円借款と異なり、無償援助であり総額も確定していないのだ。 日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一は、遺棄化学兵器処理問題について、「日本の対中外交の典型だ。遺棄兵器の管理責任は本来、旧日本軍から武装解除で引き渡しを受けた中国、ゾ連が負うべきであり、そういう議論をきちんとやるべきだった」と指摘する。さらに、「当たり前のことを協議で詰めもせずに『賠償金を払っていないから』ということで中国に巨額資金を垂れ流すのであれば、あまりに安易な外交だといわざるを得ない」と批判している。
      (敬称略)