情報源産経新聞「東京裁判特集 H17.8.1)

戦後六十年の節目を迎える今年、自民党内から東京裁判への批判が相次いでいる。政府はその内容について「政府の公式見解ではない」 (細田博之官房長官)と火消しに躍起だが、長年日本人の心に潜在してきた「東京裁判はどこかおかしい」という疑問はいまなお解消されていない。 

 五月二十六日の自民党代議士会。森岡正宏厚生労働政務官(当時)は「私の思いを聞いてほしい」と問題提起した。 「A級戦犯だって、B級戦犯だって、C級戦犯だって、それぞれ絞首刑にあったり禁固刑にあったりして罪を償った。日本の国内ではその人たちはもう罪人ではない」 発言には「正論を述べた」 (平沼剋夫元経産相)と多くの拍手が送られた。 森岡氏はその後も同様の発言を続け、官邸サイドは「日本は平和条約(サンフランシスコ講和条約)により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しているから、不法なものとして異議を述べる立場にはない」 (細田官房長官)と事態の収拾に追われた。 だが、森岡氏の意見は少数派というわけではない。中曽根康弘元首相も「私の考えは、東京裁判は認めない。東京裁判は戦争の延長で、講和条約で終わりだ。
 
戦犯といわれる方々が、犯罪だとか罪だとかの考えは毛頭ない」と表明しており、亀井静香元政調会長は「日本は東京裁判の歴史判断まで認めたわけではないのは明確だ」と訴えた。 また森岡氏の主張は、戦後一貰した政府の見解に沿ったものだったともいえる。

 昭和二十六年十月、サンフランシスコ講和条約などについて審議する衆院特別委員会で、外務省の西村熊雄条約局長は「平和条約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失う」との国際法の原則を示し、講和条約一一条は「日本が判決執行の任に当たる」ために設けられた条項であると強調した。同年十一月の参院法務委員会では、大橋武夫法務総裁(現在の法相)が「(戦犯は)国内法においてはあくまで犯罪者ではない。国内法の適用において、これを犯罪者と扱うということは適当ではない」と答弁。

翌年五月には木村篤太郎法務総裁も通達で、戦犯を国内法上での犯罪人とはみなさないとした。 しかし、最近では「二条の受諾は単に刑の言い渡し、センテンス(刑の宣告)だけを受諾したものではない」 (平成十年三月の竹内行夫・外務省条約局長の答弁)として、講和条約で東京裁判の判決だけを受け入れたのではないような見解をとっている。

 その延長線上に「東京裁判を受諾している。(A級戦犯は)戦争犯罪人だという認識がある」という小泉純一郎首相の国会答弁(六月二日の衆院予算委)もあったとみられる。 しかし、政府は東京裁判で被告の全員無罪を主張したインド代表のパール判事や、A級戦犯として収監さ
れた重光葵元外相に大勲位に次ぐ名誉である勲一等を授与している。東京裁判に対する姿勢に揺れがみられるのは事実だ。

 
東京裁判を事実上、主宰したGHQのマッカーサー総司令官自身も、一九五一年(昭和二十六年)五月、米上院軍事外交合同委貞会で「日本が戦争に突入した目的は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と証言し、先の戦争は日本にとり「自衛戦争」だったとの認識を明らかにしている。この発言につい
て河相周夫北米局長は「注目に値する」と指摘している。東京裁判をめぐる論争はまだまだ続きそうだ。


A級戦犯
一般に、「A級戦犯」は最も罪が重い人という意味に起用されているが、A、B、Cの区別はランク付けではなく、GHQが戦犯を選定する際に用いた便宜的な犯罪のカテゴリーを示す。Aは侵略戦争を遂行した「平和に対する罪」、Bは戦争法規・慣例に違反した「(通常の)戦争犯罪」、Cは民間人に対する迫害や殲滅(せんめつ)を実行した「人道に対する罪」−という区分けだが、明確な法的根拠はなく、「A級戦犯」という呼称は「通称」にすぎない。