「鬼畜アメリカは広島に新型爆弾を投下、無辜(こ)の国民多数を死傷せしめたり」と。大本営報道部は重苦しい談話を発表した。そして長崎へも投下した。言うまでもない原子爆弾である。すでに日本国中、灰尽に帰し、首都はもちろん十余万人が焼死していた。 瀕死の日本がとどめをさされたのである。こうして日本は無条件降伏をした。軍とすれば、そしてそれを支えたファッショ勢力とすれば無念だったに違いない。神国日本だから神風が吹く。日本人には大和魂がある。”一騎当千”と強がってみたが、しょせんは蟷螂(とうろう)の斧だった。 日本の指導者は、多くの若者を死地に追いやった。”国破れて山河”のみのこった。こんなとき、松永は「さあ、俺は、これからアメリカと戦争をはじめるんだ」と宣言して、まわりを驚かせた。そのころでは、この松永宣言は「なにを夜迷いごと」と思うよりほかなかった。 松永は、もともと、今次戦争に反対だった。それは、軍閥と、それにこびへつらったファッショ勢力に反対なだけではなかった。そもそも根本の哲学をあやまっている、と言うのが松永の見方だった。 日本の財閥が政治と結びつき、軍需による利得をほしいままにしようとし、新しい時代への自覚はいささかももたず、軍の若者たちが、飢えている日本を救おうという単細胞をそそのかして、結果においては戦争へ傾斜させていったのに対して松永は電力事業をひっさげて抵抗していった。 松永には、侵略戦争に訴えなくとも、日本が生きていけるということに成算があった。それを叫び、その道筋を説き、ときに軍閥に追随する官僚たちを「人間のくずだ」と堂々と宣言した。 勿論この発言は「天皇の勅命をいただいているものへの最大な侮辱」と大問題になった。また、松永は己が独力をもって起こしてきた電力事業を戦争目的の達成のために召し上げようという国家総動員法による、“電力国営”に必死に反対したが、ついには軍閥は松永の生命を狙う虚に出てきた。 たまたま個人的に親しかった企画院総裁で、陸軍中将の鈴木貞一から「あなたは重大なリストに載っているから。手を引かないと危ない」という忠告を受け、無念だったが、いっさいの職を捨て、東京の郊外、武蔵野の柳瀬の丘陵に山荘をもうけて蟄居、ひたすら茶道三昧の日々を送らざるを得なかった。 |