・・松永は、米寿を記念して、文理ふくめ学術研究の三十五歳以下、一部に四十五歳までの千人近い若者を全国の大学院のある大学から選び、今で言えば十億円もの奨学金をばらまいた。しかも、その使途報告は無用、要するに”酒を飲み女を買え”というわけ。 その中には女性十余人が、入っているのも松永らしい。その受賞者の中には、東大騒動を収拾し、総長になった加藤一郎もいれば、いまや世界のエコノミストとして外国で恐れられている宇沢弘文らもいる。 松永はまた母校慶応大学に、いまの志木高校の土地十五万坪を寄付しているのを知る人も少ない。 松永の妹婿・熊本利平衛は、同じ壱岐の出身で、若き日、一人で朝鮮へ渡り、ついに日本一の大地主になった。それはかの”本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に”の本間様をしのいだ。なにしろ、国鉄が大邸のその倉庫に引込み線を敷いたほど。 この熊本はいまの玉川学園大学を寄付した。これを知る者は少ないが、陸士の予備校。成城学園にあきたらず、”自由”大学を作りたいと発心した小原国芳に共鳴、その資金六万円を出した。小原は、その話の決まった時のことを日経の”私の履歴書”に書いているが、「東京麻布の熊本邸から、どうして渋谷松涛の自分の家まで十キロ歩いて帰りついたか覚えていない。玄関へどっところげこんで、腰が抜けて口もきけなかった」と |