耳庵 老欅荘へ(茶人の書)

論語の中に

「眼見聞自らにして、道理無道理錯誤不錯誤一切のこと、直ちに明鏡の物に負かざるが如くに分明たる是耳順の境なり」とある。即ち、”六十にして耳にしたがう”からとって耳庵と号した。

このいわれをさあらにさかのぼると、

 子曰く、”十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。そして七十にして心の欲する所に従えども短(のり)を踰(こ)えず”、これ修養の極致となる。というわけであるが、どうして松永は耳順どころか逆耳ばかりとなった。

 敗戦、そこにあったものは電気だった。それは生きていくうえには最低の、火を使う人間の原点というものだった。街には、燃えるものは何一つなかったが、ただひとつだけ不幸中の幸いは、電柱は燃えても、電線は焼け残った。遠い山から電気が来ていた。電気だけが救いの神だった。・・・・・・もう過去は言うまい。

 「これからは、工員も、職人も自家用車で働きに出られるようにしてやるんだそれは順序を踏んでいけば必ずできるんだ」と。要するに、日本には無限の水力エネルギーがある。それを生かす技術があって、必要なセメントもゴマンとあり、そのくらいの鉄なら十分間に合う。もう千辺変化し、万能の才をもつ電気の時代がきているのだ、というものだった。