PRAY FOR JAPAN「 3.11 世界中が祈りはじめた日」
"志" ★南方開拓の夢に燃えて ・・・外国語を修得しなければならない、ということに思い当たるのですが、それにしても先立つものはお金です。外国語を学べる大学ならどこの大学でもいいと思いましたが、どこにしたってお金はかかるのです。 しかし元来、私は楽天的な人間であり、かつ行動的な人問でしたから、そんなに落ち込むこともなく「これから、いかにすべきか」と前向きにとらえ、奨学金などでなんとか親に負担をかけずに大学へ行ける方法を、あちこち自分で探し始めました。 ★官立専門学校「拓南塾=たくなんじゅく」に入学 いろいろ探しているうちに、ついに見つけたのが拓務省直轄の「拓南塾」という官立(国立)の専門学校でした。そこは、その年の四月に新設されたばかりの全寮制の学校(塾)でした。 拓南塾は南方における大東亜共栄圏建設のための要員育成を目的とした学校で、卒業後は「欧米の植民地支配からの民族解放運動を支援・指導し、現地住民社会の繁栄と向上に努めよ」というものでした。 この主旨にまず惹かれたのですが、なんといってもお金のかかる一般の大学に行けない私が、幼い頃から抱いていた「海外に出て広く世界を見てみたい」という夢を叶えるためには、すべてを官費でまかなってくれるこの塾は、願ったり叶ったりのものだったのです。 授業料はもとより、衣服代、食費、本代なども全部官費で、自己負担は一切ありませんでした。 南方における大東亜共栄圏建設を目指していた日本は、現地人の模範となるような教養豊かで高い専門知識・技術をもち、実行力のある人間を育成するためとして、塾生一人当たりに、当時のお金で年問約千円という巨額な費用をかけたのでした。 残念なことに塾自体は敗戦により閉校になりましたが、その思想は現在でも発展途上国への援助や企業協力の基本精神の中に脈々と息づいています。つまり、そこは私が目指していた「広く外国を見たい」という希望のための足がかりとしては非常に都合のいい学校だったのです。 それに国立の要員育成機関ですから、衣食住の一切の面倒をみてもらえるので親に負担をかけないで済みます。「自分のことは自分で考えてやりなさい」と父に言われた私にとって、それが何よりもありがたく、また魅力的でした。 はじめに 大東亜戦争が終わって、すでに半世紀以上経ちました。二十歳で南方・ニューギニアの地に赴いた少年の日の私も、今や八十路(やそじ)の坂を登ろうとしています。この戦争で私は兄と弟、そして幾多の戦友を失いました。かろうじて復員して故郷の土を踏んだ仲間の多くもこの世を去りました。あと十年もすれば、戦争を知っている人々はさらに少なくなってしまうことでしょう。 私は三重県の鈴鹿市で椿大神社(つぱきおおかみやしろ)の宮司をしながら、毎日忙しく飛び回っていますが、五十数年も前の戦争の記憶は今なお鮮明に残っており、一日たりとも忘れたことがありません。 それにしても東京裁判(極東国際軍事裁判)によって、日本は侵略国との烙印を押されたまま現在に至っていることは、かえすがえすも口惜しいことです。インドのパール判事は当初から国際法に照らし、"日本無罪論"を唱え、のちに多くの判事が裁判の誤りを言明しました。また、ウェッブ裁判長やキーナン主席検事が裁判の不公正さを告白し、マッカーサi元帥も「日本が戦ったのは自衛戦争であり、正当防衛であった」と公言しています。 さらにアメリカで関係文書が次々に公開されるようになってきて、それらの検証が進むにつれて、日本の戦争が自衛戦争であったことが誰の目にも明らかになってきました。 しかしながら、当の日本人の意識は東京裁判史観と申しましょうか、いわゆる「自虐史観」にとらわれ、そのため靖国神社に眠る二百五十万の英霊に対して、天皇陛下のご親拝を認めず、首相の参拝についても「公人か私人か」とその立場を問い、マスコミあげて騒ぎ立てている始末です。 その背景には中国や韓国などの"外圧"ということもありましょうが、それにしても、日本国の象徴であらせられる天皇陛下や一国の政治を担うリーダーが、祖国のために命を賭して戦い、尊い命を捧げた人々の英霊に感謝し、慰めることに何の問題があるというのでしょうか。誰に遠慮があるというのでしょうか。 その裏には、未だに東京裁判史観にとらわれた人々による好計(かんけい)がはたらいていることは間違いありません。私はその人たちに言いたい、「日本は誰の国でもない。実にあなた方の国であり、私の国である。それはまた私たちの祖先が営々と護り愛してきた、かけがえのない母国ではないか」と。 母国の有事に際して、その身を賭して最後の一瞬まで守り抜いてきた英霊に対して、素直に頭を下げ、感謝と慰霊の気持ちを表したいと思うのは、同朋として自然な感情ではないでしょうか。 アメリカの大統領がアーリントン墓地に参拝するのと同じように、日本の天皇陛下や首相が靖国神社に参拝することは当然のことであります。それなのに、どうして世論やマスコミはそこまでのこだわりを見せるのでしょうか。 その背景には"A級戦犯"(この屈辱的な言葉も東京裁判が生み落としたものですが)の合祀の問題もあることでしょう。いわゆる靖国問題の根っこは、そもそもA級戦犯そのものに対する誤解にあります。 A級戦犯とは戦勝国側が復讐の念にかられて作り上げたものであって、決して日本の国内法が生んだものではありません。しかし、その事実さえ知らないで、靖国問題や教科書問題を論じ、あるいは論じることもせず、ただやみくもに反発する人が多いのはどうしてでしょうか。 亡くなった幾百万の戦友の英霊を思うとき、歪められた歴史を正し、本当の歴史を後世に伝えていくことが生き残った者の責任であり、義務であると私は思っています。そして本書の執筆を思い立ったのも、実はそのような思いからでした。二度と過去の過ちを繰り返してはいけないという思いから、私自身の悲惨な戦争の体験を紹介した次第です。 この本に書いてある戦争の話はすべて私が体験したことであって、嘘でも誇張でもありません。どんな戦争であれ、戦争はいつでも悲惨です。多くの無事(無実の人)の命が奪われ、人々を悲嘆の底に突き落とします。 二十世紀は「戦争の世紀」と言われるほど、戦争に明け暮れた世紀でした。多くの血を流し、多くの命を失い、戦争の悲惨さをイヤというほど味わわされてきた私たちの世代は、「もう戦争は二度としてはならない」という思いを骨の髄まで感じて生きてまいりました。 この本を通して、若い世代の人々にもその思いが通じることを願っています。 さらに、いわゆるA級戦犯について正しい理解をしていただきたいとの思いから、東京裁判の経過等を詳しく記すことにしました。 A級戦犯とは一体何なのか? 中国や韓国の方々はもちろん、日本人にさえ真実が理解されていない現状に樗然とした私は、そのことが正しく理解されるならば、靖国問題や教科書問題の解決にもつながると考え、さまざまな資料を元に東京裁判の経過や関係者の証言などを紹介しました。 本書の中で私は、「天皇陛下の靖国神社ご親拝が実現してはじめて、私の戦後は終わる」と書きましたが、その日が来ることを信じて祈り続けています。 靖国にしろ教科書問題にしろ、本来ならば私たち戦争世代の生き残りがまだ健在である二十世紀のうちに、解決しておかねばならなかった問題です。 しかし、まだ遅すぎるということはありません。その日の近いことを信じて祈り、たゆまず努力を続けていくならば、必ずや祈りは実を結ぶことでしょう。 アメリカで起きた同時多発テロ以来、世界中が騒然としている今、過去を振り返り、その教訓を生かしていかなければならないと思います。 真の世界平和は調和と協調による共存共栄以外にはないのです。それは決して争いや戦いによって勝ち取るものではありません。また、人間の手で勝ち取るものではなく、神が創られた大自然の法則に身をゆだねていくことなのです。 そうすれぱ、おのずと共存共栄の社会が形成され、平和が人類の上にもたらされることでしょう。神職として、私はこのことを深く再確認しているところです。 日本は決して侵略国でないことを明確にし、A級戦犯の汚名を晴らし、靖国神社の英霊に対して天皇陛下のご親拝を実現させるために、この小書が少しでも役立つなら、また一人でも多くの人に今一度、これらの問題を考えるきっかけを提供することができましたら、望外の幸いです。 さらに、私が体験し研究してまいりました「人間としての生き方の根本」は、人は神の子であり、生きながらにして神になり得る存在であるゆえ、各自の霊性の涵養(かんよう)にあると信じます。 そして、そのための基本姿勢、つまり神道とは何か、宗教とは何かということについて、今一度、一人一人がしっかり自覚していただければありがたいと思います。 神道は一日も待ってくれません。本書では、「毎日の生活こそ生きる喜びを感じることができる」というその真髄を、私自身の体験を通して述べました。 生きていくことがいかに大切であるか、生かされていることのありがたさに感謝をし、いかなる経済不況をも乗り切る勇気を出して日々邁進してください。 日本国体の永遠なる発展と、読者各位のご健康をお祈りする次第です。 " 平成十四年一月十五日 伊勢国一の宮椿大神社宮司 国際自由宗教連盟(IARF)前会長 (財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会評議員 神学博士 山本行隆 神ながらの道 目次(6ページ) 即決即断の人=入江孝一郎初代理事長 余談! 慰安婦の給料は海軍中将なみだった
"おわりに" |