天翔けて旅立っていった 山本行隆宮司からの道しるべ
 入江 孝一郎
社団法人日本移動教室協会理事長
全国一の宮巡拝会 代表世話人


 「天から降りたものには役割がある。」と言われている。すべての生きとし生けるものが、神様から「いのち」をあずけられて、この世に来たのである。 約百五十億年前のビッグバンで、宇宙は膨張し、無数の星が誕生した。このとき生物の「いのち」が始まり、この「いのち」を継承してきた、一つ一つに自己が存在するのである。神様から与えられた「いのち」を自覚するか、しないかである。

 八月一日零時四十五分、八十歳、伊勢国一の宮椿大神社山本行隆宮司は、天翔けて旅立たれていった。その身体を発射された大地に大きな遺志を残された。 六月六日、倭舞奉納全国一の宮行脚を、舞い始めの故事によって、椿大神社の境内別宮・椿岸神社天鈿女之命本宮御神前で舞ったとき、山本宮司と共に参列したのが最後になった。そのとき、出来たばかりの最後の著書となった『中今に生きて』の扉に、丁寧に署名をいただいた。

帰路の新幹線の車中で一気に読んだ。戦中派世代は、それぞれ戦争を体験し、人に言えない命をかけた地獄を見ている。壮絶なニューギニア戦線は餓死との戦いであり、二千二百二十八人の部隊中、帰還者わずか十三人の一人である。社家を継ぐ兄も、弟も死し、神世相伝神主家として生きる道が待っていた。というより、神様に決められていたのである。

 伊勢国一の宮椿大神社は、『延喜式神名帳』に記載されているまま、「かみのやしろ」と今も読ませている。この由緒ある一の宮が、なぜ貧乏なのか、毎日、
行をして、神様に問うた。天正の兵乱によって椿大神社は灰燼に帰し、神宮僧侶はすべて殺され、無縁霊となり、神社は衰亡し、その怨霊・無縁霊によって伏せられていたことが、禊行の体を通して教えられた。

 かつて神宮寺であった六ケ寺の御本尊を彫刻して祀り、供養するもとを誓ったのである。それから不思議な現象がつぎつぎと起こり、昭和四十三年、今の御本殿が完成し、伊勢国一の宮として堂々たる面目を示すようになった。さらに今日、三万坪のアメリカ椿神社造営という地球規模での神様の御意図を実現する道をすすみ、御神意の底知れぬ深さを感じさせる。己の役割を感じていることは、さらに全国一の宮へと思いがおよぶ。平成三年、全国一の宮に呼びかけ、一の宮会の結成と、幹事長・事務局長を引き受け、『全国一の宮御朱印帳』の製作と
百万人巡拝運動とを、夢見たというより、神様に思わせられて実行したのである。

全国一の宮会は十年の歳月をへて、いま御朱印帳をもって一の宮を巡拝する人は五千人を越えた。この秋、安芸国一の宮厳島神社で、さらに結束を強くした六十八州の一の宮宮司と、全国一の宮巡拝会世話人・会員が合同で正式参拝することまでお膳立てをされて、その参加を楽しみにしての旅立ちであった。

 巡拝会世話人にひとりのアメリカ人青年がいる。彼は精力的に一の宮巡拝をし、将来アメリカ人に神道を知らしめるという。山本宮司の遺志を継いで百万人巡拝の実現に向かうために必要なことは、一人一人の自覚と、実行であり、神様に感謝し大勢お参りすることである。

 毎年八月十五日、靖国神社に山本宮司を先頭に椿東京講の皆さんと参拝してきた。立場が変わっていれば、靖国に入るかどちらかで生き延びた戦中派は、切ない思いは同じである。青春の命を国に捧げた英霊に対し、中曾根首相参拝から小泉首相参拝までの十九年間、国は、どんな努力をしてきたのであろうか。 今日は再び来ない 『中今に生きて』を胸にして、一の宮の巡拝を一人一人が志すことが日本再生、地球再生の道であり、靖国の英霊にこたえる道である。

その結果、それまでの日本の良き伝統である公の教育がすたれ、自分さえ良ければ人はどうでもいいといった利己的な人間を多く生み出すことになりました。そして、そうした人たちが大人になり、自分の子供をしつけることができない親たちになってしまったからなのです。

これは日本にとっては深刻な問題であり、これから根本精神の建て直しをしなくてはならない問題であると思います。これは神道だけでなく、仏教もその他の宗教団体も一致団結して取り組まなければならない重大な問題です。

失われた愛国心と日本の伝統

昔は修身の教科書があったおかげで、教育のない親でも精神的には大人でした。だから親たちは毅然として子供のしつけができたのです。また朝起きると太陽(おてんとうさま)に手を合わせ、神仏への感謝の気持ちを表すなど、日常生活の中でみずからの行動や行為を通して、無言のうちに大切なことを子供に伝えていました。

しかし、今ではそのような日本の良き習慣もすたれ、かろうじて冠婚葬祭や年中行事の中にだけ生き続けているという、実に嘆かわしい状況になってしまいました。

ここではっきり申し上げておかねばならないのは、昭和二十年十二月にGHQのいわゆる「神道指令」によって国家神道が解体され、本来の神社神道として発足し、全国約八万の神社は国家管理から離れて各々が宗教法人として出発させられたことの弊害です。

言うまでもなく神道は大自然の法則そのものであり、教祖もいなければ教義や戒律もありませんが、宗教ではない神道が便宜上、宗教法人にさせられているために日本人の中でも神道と一神教を同一視する人が少なくないのです。

そして同一視するところに誤解が生じ、日本の中でも〃宗教戦争"が起きることになるのは誠に残念なことです。

国家神道と神社神道の区別がつかない人が多い

昭和二十一年十一月に新憲法が公布され、翌昭和二十二年三月国会において成立した「教育基本法」により、修身・国史・地理の授業が停止になり、また同六月には「教育勅語」が失効排除となりました。

その前の昭和二十年十二月にはGHQの
「神道指令」によって国家神道が解体され、神戦後、一宗教法人となってからの神道はむしろ明治以前の神ながらの神道に立ち返ったものとなり、大変喜ばしいことと言えます。

一つ残念なことは、一般の国民の中には今もって国家神道と神社神道との区別がつかない人たちがいるということです。すでに最高裁は、「公の地鎮祭は慣習であって憲法違反ではない」という判決をもつて結審したにもかかわらず、未だに行き過ぎた政教分離の解釈から曲解を残しています。

日本の歴史とともに歩んできた
神社神道が、倫理の根本思想と敬神崇祖の生活の教えに大きな貢献をしてきたことは大変すばらしいことです。しかし、その一方で政教分離の間題に絡んでいろいろな面でマスコミの報道対象となり、真の神道宗教としての活躍が曲げられその解消が大変むずかしくなってきたこともまた事実なのです。

コメント:
山本宮司の遺志を継ぎ全国一の宮巡拝会を軌道に乗せ、更に、地球平和祈願の大目標に邁進され、一区切りという矢先に、山本宮司と同じ80歳でカミの元に旅立たれた。今日は再び来ない・・・