HUMOR 翁のユーモア HUMOUR

竹田黙雷禅師のユーモア 世界平和の基オーストラリア首相のユーモア

 

米国人はジョークで話を始めるが、日本人は言い訳で始める」といわれる。わが国では、まくら言葉で「私ごとき浅学非才者が」とか「多忙のため準備が不十分ですが」などと言うことが多い。軽妙なジョークで始めたりすると、不真面目と思われかねない。
 そもそもジョークが期待されていないのである。

米国人は、最初から「さあ言いたまえ。面白ければ笑ってやるぞ」という顔つきでジョークが出るのを待ち構えている。「結婚するとき、私は妻を食べてしまいたいほどかわいいと思ったものです。今考えると、あの時食べておけばよかった」とでも言えば、恐妻家ぞろいの米国人には「話せる日本人」と大受けするに違いない。ただし、「ジョーク全集」が必読書の米国社会では、たいていのジョークは知っているから、要注意だ。

ジョークはユーモア精神から生まれる「上品な冗談」である。米国では、リーダーたる者の必須条件とされている。フォード元大統領は選挙戦の時、「私はフォードです。リンカーンではありません」と演説した。フォードは大衆車で、リンカーンは高級車だ。自分は大衆の味方という宣伝である。この一言は、「フォード」を千回唱えるより効果があった。

昨夏、ヴェルニー公園のカレー祭りで似たようなことがあった。海軍カレー発祥の英国から在日大使館付武官のジェームス・ポイドさんを招いたときだ。私は「ジェームス・ボンドとお間違えなく」と紹介した。ボンドとは、ご存知、映画007シリーズの英国情報部員である。ボイドさんは流暢な日本語で語った。

「私はジェームス。ボンド君ほど有名ではありませんが、ボンド君も私には敬意を払います。なぜなら、彼は海軍中佐で、私は海軍大佐。彼は007ですが、私の大使館での序列は006だからです」みなどっと笑った。現実とフィクションとを巧みに融合した良質のジョークだ。英国紳士のユーモア精神躍如だった。

臨床の心理学者で文化庁長官の河合隼雄氏、「日本的マジメ」では国際社会に好かれない。「まじめも休み休み言え」が冗談として適用するような社会の形成が必要と説く。言い訳探しの怪物人間でなく、洒脱なジョークで始める柔らかい人間でいきたい。
(市長・沢田秀男)


小学生のユーモア詩
ところで、次の詩を読んでほしい。これは小学生が書いたものだ。

電話さんありがとう   四年S.S
ぼくがお母さんにおこられる。/「なにやってるの!」と言われる。/そんな時電話がかかってくる。/そうするとお母さんは/「はい、モシモシ佐藤です」/と人が変ったようにやさしい声になる。/電話が終わると、/「今度からやったらいけませんよ!」/とおこられなくなる。/それに電話をしている時/「ファミコンやっていい?」とか、/「おかし食べていい?」とか聞くと/だまってうなずく。/おやつの時間じゃなくてもおかしが食べられる。/電話さん、いつもありがとう。


お嫁さん 四年 K・T
ぼ<は、やさしいお嫁さんをもらいます。/友達とお酒を飲みに行った時/こわいお嫁さんは/「今まで何やってたの。/早く風呂に入って寝なさい」/と言うけれど/やさしいお嫁さんなら/「早く寝なさい」/だけですむからです。/あと、給料が少なかったら/こわいお嫁さんは/「給料が少ないからおこづかいへらす」/と言うけれど/やさしいお嫁さんなら/「あら、少なかったのね」/だけですむからです。/あと、うるさいお嫁さんと/文句を言うお嫁さんも欲し<ないです。/うるさいと文句を言う女は/お母さんだけで十分です。

この詩を書いたのは、埼玉県の小学校教員増田修治氏のクラスの子供だ。