HUMORHUMOUR

 松永翁のユーモア   長岡秀星イラストレーターのユーモア  普天間基地は国外え!

ユーモアの心があれば・・・・

無教養高学歴社会のユーモア  ブラック・ユーモアそのT そのU:桃太郎が桃子になったお話


ブラックユーモアお隣さん
おトクさん十九のこ

だれか云う。。。「男は強くなければ男じゃない、優しくなければ生きていく資格はない・・・」と・・・賛成だ。
桃太郎伝説   !?桃太郎 アンパンマンと鬼退治!?





































社民党のユーモア














           黙雷禅師のユーモア
『罰当たりな禅僧』

 明治時代の禅僧に、竹田黙雷(たけだもくらい)という人がいました。この人の祈
祷法というのが凄まじいのです。他の宗派から見ると、罰
当たりと言っていいかも知れません。こんな具合です。

 「さあ、八百万の神々よ、おれの言うことを聞け! 俺の言うことを聞けば尊敬してやるが、もし聞かなかったらただではおかないぞ! 
神々の奴隷ども、なにをぐすぐすしておるのだ! 十分の守護もせずにそれで役目が立つと思っているのか! おれが主人公でお前ら神々
はおれの家来だぞ! 主人の命令を守らない神々ならば、どんどん放逐してしまうぞ!」

 祈祷というよりも、ほとんど脅し、恐喝に近いものがあります。それも脅しているのは神々ですからね。ところが、罰が当たるどころか、
これで実際霊験あらたかな名僧だったというのですから、凄い話ですよね。

 黙雷には、こんな話も伝わっています。ある臨済宗の寺で、大法会が催されたときのことです。予想より多くの雲水(千人以上の修行僧)
が集まり、食料が足りなくなくなってしまいました。

 すると、黙雷は台所に守護神として祀ってあった韋駄天尊を荒縄でグルグル巻きに縛り上げ、「貴様がぐずぐずしておったから、こんな始
末になったのだ!」と、その韋駄天像を打ち叩きはじめたのです。すると、間もなく、全国から新しいコメなどの食料が送られてきたとい
います。なんか、神様が可哀相にさえなってくる話です(^^;

 禅宗というのは、基本的に現世利益の祈祷や呪法は行わない(建前として)。あくまでも『坐禅』による修行を第一にしていますから、祈
祷法らしい祈祷法はないと言えます。ですから、こういった物凄い祈祷が行われることもあったようです。

 怨霊を退散させるのも、「喝ーッ」の気合い一発です。有り難みはあまりないように感じますが、霊験は格別のものがあったようです。そ
の人自体に力が在れば、方法はなんでもいいということなのでしょう  ね(^^)(naku)
時代背景:時は明治の世、西欧列強に並ぶべく、一神教的キリスト教文化の影響から??国家神道を立ち上げ、その結果として、「廃仏毀釈」政策の犠牲になった多くの仏閣があったという。黙雷禅師はそれと闘いながら多くのお寺やお坊さんたちを救っているという・・・・。この迫力には恐れ入ります。電力の鬼もこの迫力も影響を受けたであろう。翁は軍部に睨まれすべてを投げうって山荘に籠ったという。管理室。

橋下徹知事・・・歴史に残るユーモアになるか、それともブラックユーモアで終わるか???



平成大和撫子・・・のユーモアか??(産経新聞H20.9.2)

江戸のユーモア(産経新聞)

民主主義は、人間が考え出した最悪の制度であるーもっとも他のすべてを度外視すればだが・・・
」サー・ウィンストン・チャーチル
昨今の笑えないユーモアお人よしニッポン
 
日中関係悪化のおり、メールにこんな小話が流れてきた。 「米国人は殴りたいヤツを殴る。英国人は殴られているヤツを殴る。ロシア人は殴られたら殴り返す。中国人は殴られたら抗議する。日本人は殴られても愛しちゃう」。

 もう一つ。「六カ国協議で日本がトイレに席を立ったあとの会話。中国『日本を本気で怒らせてみたいが、難しい。潜水艦で領海に入っても怒らない』。韓国『独島を占拠しても怒らない』。ロシア『北方領土を返さなくても怒らない』。北朝鮮『なら、おれが接ミサイルをぶち込んでみようか』。米国『よせ、それはもうおれがやってみた』」。六十年前の戦争を根気よく恨み続ける中国には、原爆を落とした相手と仲良くなるのは信じ難いらしい。

「完璧なヨーロッパ人とは」というジョークがあります。

 ドイツ人のようにユーモアがありー英国人のように料理が上手でーフランス人のように運転が静かでーイタリア人のように規律正しくーオランダ人のように気前がよくースペイン人のように謙虚でーアイルランドの人のようにいつも素面で、などー。

じつは気がつかれたでしょうが、各国民、民族の特色とされている性向や気質ーステレオタイプ(類型化)ではありますがーすべてを裏返しにした小噺なのです。

 他者から見ての短所、欠点を茶化し、笑いあい、互いに楽しんでいる、このゆとりの精神を私はうらやましく思います。

 このジョークに日本人を加えてみるとー「日本人のように自分の意見を明快に表現しー」とでもなりましょうか。

「冗談を半分聞いただけで笑うフランス人」という小噺もあります。「最後まで聞いてから笑うイギリス人、一晩考えてから笑うドイツ人、そのジョークは古いよ、それに語り口がいまひとつだね、と半畳を入れるアメリカ人、そしてニコニコしているがまったく理解していないのが日本人」、と続くのです。

 日本人のユーモア感覚は、国際水準から見るとほぼドイツ人に近いとも言われています。

日本人のユーモア感覚

 では、なぜ日本人のユーモア感覚の発達が遅れている、または遅れていると思われているのでしょうか。欧米、西洋、広い意味でラテンアメリカ東南アジアまで含めて、多くの国々では、人間相互のコミュニケーションの潤滑油として、ユーモアがはっきりした位置をもち、市民権をもっています。とくに大勢の人々に語りかける立場にある人たち、指導者と呼ばれる人たちにとって、聴き手の注意を、つまり心を捉えるための手段としてのユーモアは、語るメッセージの内容に次いで重要なものと見なされています。

 とくに政治家にとって、ジョークは「笑い事ではない」と言われる所以です。それに対し日本の社会では、ユーモアは親しい友人の間でのおしゃべり、同窓会、コンパ、二次会などのきわめて私的な場でしか陽の目を見ません。したがって海外の人たちからは日本人にはユーモアがない、あるのは駄洒落だけだ、と思われがちなのです。

 日本人と世界各国の人たちとの意志疎通、コミュニケーションに、ユーモアといういわば香料を加えたいものです。ですから、「もし皆さんが「ジョウクを理解していないのが日本人」という皮肉を今度耳にされたら、こう言ってあげてはどうでしょうかー

「日本人は、和を尊ぶので、一応ここではニコニコとしておき、あとで皆で会議を開いて、笑うべきかどうか決めます」、と。

 ユーモアにはユーモアで応酬する日本人に、国際社会から歓迎されることでしょう。・・・・と村松増美先生は<Humor in Leadership>で述べておられます。
(サイマル出版会)


笑いの作法迷惑なダジャレの連発

レーガン大統領のユーモア

レーガン氏が大統領の任期を終えて少したったころに、ある児童福祉施設を訪問したときのことである。大勢の子供たちから大きなクッションのプレゼントを受けたレーガン氏は
どうもありがとう。私は大変気に入りました。そしてこれは、失業中の今の私にとって非常に役に立つ」とお礼の言葉を述べた。
また、テレビでの演説中に後ろに座っていたナンシー夫人がイスごとズッコケて、辺りに気まずい雰囲気が漂い始めるや、レーガン氏は平然と「まったくあれは私の演説が受けないときにだけやるっていう約束だったのに」と言い、聴衆はドッと笑い、拍手をした。そうです・・・・
吉田茂翁のユーモア
「吉田先生ご長寿でいらっしゃいますな」「なにか健康の秘訣でもあるのですか?」
〔それはあるよ。だいたい君たちとは食べ物が違う〕
〔で、先生は何を食べていらっしゃるのですか〕
【それは君、人を食っているのさ】と吉田はからからと笑った。
それが、吉田茂がこの世に残した最後のジョークとなった。89歳で昭和42年(1967)の10月20日にその天寿をまっとうした。


米国人はジョークで話を始めるが、日本人は言い訳で始める」といわれる。わが国では、まくら言葉で「私ごとき浅学非才者が」とか「多忙のため準備が不十分ですが」などと言うことが多い。軽妙なジョークで始めたりすると、不真面目と思われかねない。 そもそもジョークが期待されていないのである。

米国人は、最初から「さあ言いたまえ。面白ければ笑ってやるぞ」という顔つきでジョークが出るのを待ち構えている。「結婚するとき、私は妻を食べてしまいたいほどかわいいと思ったものです。今考えると、あの時食べておけばよかった」とでも言えば、恐妻家ぞろいの米国人には「話せる日本人」と大受けするに違いない。ただし、「ジョーク全集」が必読書の米国社会では、たいていのジョークは知っているから、要注意だ。

ジョークはユーモア精神から生まれる「上品な冗談」である。米国では、リーダーたる者の必須条件とされている。フォード元大統領は選挙戦の時、「私はフォードです。リンカーンではありません」と演説した。フォードは大衆車で、リンカーンは高級車だ。自分は大衆の味方という宣伝である。この一言は、「フォード」を千回唱えるより効果があった。

昨夏、ヴェルニー公園のカレー祭りで似たようなことがあった。海軍カレー発祥の英国から在日大使館付武官のジェームス・ポイドさんを招いたときだ。私は「ジェームス・ボンドとお間違えなく」と紹介した。ボンドとは、ご存知、映画007シリーズの英国情報部員である。ボイドさんは流暢な日本語で語った。

「私はジェームス。ボンド君ほど有名ではありませんが、ボンド君も私には敬意を払います。なぜなら、彼は海軍中佐で、私は海軍大佐。彼は007ですが、私の大使館での序列は006だからです」みなどっと笑った。現実とフィクションとを巧みに融合した良質のジョークだ。英国紳士のユーモア精神躍如だった。

臨床の心理学者で文化庁長官の河合隼雄氏、「日本的マジメ」では国際社会に好かれない。「まじめも休み休み言え」が冗談として適用するような社会の形成が必要と説く。言い訳探しの怪物人間でなく、洒脱なジョークで始める柔らかい人間でいきたい。
(元横須賀市長・沢田秀男)