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人道主義病
  日本の面影   ラフカデイオ・ハーン

 はじめに

 
一八七一年に、ミットフォード氏が上梓(じようし)した、名著『古き日本の物語』の序文には、のように書かれている。「最近の日本に関する書物は、官庁の報告に準じたものか、通りすがりの旅行者が残した、うわべだけの印象にすぎない。日本人の内なる生活は、世界広しといえどもほとんど知られていない。日本人の宗教、迷信、思考様式、彼らを突き動かす隠れた原動力これらはすべて、いまだに神秘のべールに包まれている」

 ミットフォード氏が言及する日本人の生活こそ、私がわずかながら垣間(かいま)みることのできた、「知られざる日本」の姿である。ひょっとしたら読者の皆さんは、私の瞥見(べつけん)したものがあまりにわずかなので、失望されるかもしれない。だが、たかだか四年余り日本人に交じって暮らしただけでは、たとえ、その社会の習俗を取り入れようと努力したにせよ、しょせんは外国人の限界は免れないであろう。かくも不思議なこの国に精通するには、四年くらいではとても及ばないのだ。本書において、どれだけ達成し得てないか、どれだけ残された課題が多いか、私本人が、誰よりも痛感している次第である。

 本文で触れているような、日本の民間信仰、とりわけ仏教から派生した考え方や、珍しい迷信などは、新しい日本の知識階級にはほとんど受け入れられていない。今日の西洋化した日本人は、抽象的な一般概念や、哲学的な思考には無関心であるという特徴は抜きにしても、知性の面では、教養あるパリやボストンの人々とほとんど対等といえる。ところ力日本の知識階級は、超自然的なものに関する認識については、はなから過度に侮辱する嫌いがあり、刻下の宗教的な大事となると、完壁に無関心である。

 大学で近代哲学を学んでも、社会学とか心理学とか、その学問的関連性を独立して研究しようなどという気はほとんど起こらないようだ。彼らにとって、迷信はただの迷信でしかないのだ。迷信と日本人の情緒との関連性などに至っては、まったくもって興味の対象外である。それというのも、日本人がみずからを徹底して理解しているからというだけでなく、その知識階級が、きわめて当然のこととはいえ、いまだに訳もなく、自分たちの古い信仰を恥じているせいでもある。

 人間の知識を絶対視しない不可知論者を自称するほとんどの西洋人なら、仏教よりも遥かに不合理な信仰から解放され、われらが先祖の暗澹たる神学を振り返ったときの感情を思い出してみればよかろう。知性ある日本は、このたった二、三十年の間に不可知論を唱えるようになった。このように精神的な変革が急激に行われたことが、今の上流階級の仏教に対する態度の原因のすべてである、とまでは言わないまでも、主要な原因の説明にはなるのではなかろうか。

 現在のところ、彼らの態度はほとんど狭量に近いといえる。しかも、迷信とは一線を引く宗教に対してさえそうなのだから、正当な宗教と区別される迷信となると、彼らはいっそう頑なに受け入れようとはしない。

 ところが、日本人の生活の類まれなる魅力は、世界のほかの国では見られないものであまた日本の西洋化された知識階級の中に見つけられるものでもない。どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在するのである。その魅力は、喜ばしい昔ながらの慣習、絵のようなあでやかな着物、仏壇や神棚、さらには美しく心温まる先祖崇拝を今なお守っている大衆の中にこそ、見出すことができる。

 もし外国人の観察者が、運よくその生活の中に入ることができ、共感できる心を持っていたなら、それこそ、それは飽きることのない生活であり、そしていつしか傲慢な西洋文明の進歩がこのような方向性でいいものか、疑わずにはいられなくなるであろう。

 年月を重ねるにつれ、日に日に日本人の生活の中から、珍しい予想もしなかった美しさが現れてくるであろう。もちろん、どんな生活にも暗い面はある。それでも、西洋のそれに比べれば、明るいものだ。日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない患勲さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。
 
 さらに、西洋人のより広範な物の見方からすると、たとえどんなに東京などでは軽蔑されていようとも、もっとも大衆になじんだ迷信とは、希望や恐怖や善悪の体験、いうならなぞ霊界の謎を解こうとする素朴な努力の、紙に書かれていない文学の断片として、珍重すべき価値があるのである。

 日本人の屈託のない親しみやすい迷信が、どれだけ日本人の生活に妙味を添えているかは、その中にどっぷりとつかって生活してみれば、実によく理解できることであろう。迷信にも、狐の悪霊などのように、数は少ないが不吉なものもある。だが、こうしたものも、公の教育の普及によって急速に消えつつある。むしろその多くは、その発想の美しさで、今日の著名な詩人がいまだに想像力の源泉としている、ギリシャ神話に匹敵するほどである。

 また一方では、迷信の中には、不幸な人への親切や、動物愛などをすすめるものも多くあり、それらは、喜ばしい道徳観を生み出している。家で飼われる動物は、人なつこいし、野生動物は、人前でもあまり動じない。汽船が入港するたびに食べ物の屑を恵んでもらえると期待し、白い雲のように集まってくる鴎の群れ。参拝者がばらまいた米粒を拾いに、寺の軒から羽をはばたかせて舞い降りてくる鳩。

 古風な公園に飼われている人慣れした鸛(こうのとり)。お菓子や人間になでられるのを待っている神社の鹿。人影が水に映ると、聖なる蓮池から頭を突き出す魚。これらを始めとする数多くの美しい光景は、すべて迷信といわれている想念から生まれ出てくるものであり、その想念が「万物は一なり」という崇高な真理を、きわめて単純な形で繰り返し説いてきた賜物なのである。

 こうした迷信とは違い、その怪奇さに思わず笑い出してしまうような、味気ない迷信のことを考えてみても、公平に見れば、レッキーの次の言葉を思い浮かべることだろう。「多くの迷信は、ギリシャ人の盲目的な『神々への畏怖』という認識に、まさしく呼応するものであり、それは、これまで人類に言いがたい不幸を生み出してきた。

 しかし、そうでない傾向を持つものも非常に多い。迷信は、われわれの恐怖心に訴えかけるだけでなく、希望にも訴えかけるものがある。往々にして、心の奥底の要求に合致し、それを満足させることもある。理性が可能性や蓋然性を判断する上で、迷信がかえってその真偽に太鼓判を押してくれる存在であったり、想像力のわき出る泉であったりもする。

 ときには、それが道徳的真理に新しい判断を下すときもある。また、迷信のみが満たすことのできる欲求、迷信のみがなだめうる恐怖を生み出すことで、迷信が人間の幸福になくてはならないものになることも多い。

 元気をなくしたとか、困難に陥ったとか、人が一番慰められたいときに、迷信はその持ち前の力を最大限に発揮する。人間は、知識よりも幻想に頼る存在なのだ。思索する上で、たいがい批判的で破壊的な理性よりも、全体的にみて建設的な想像力の方が、われわれの幸福に貢献するのではないだろうか。

 人間が本当に困ったときには、気取った哲学理論よりも、粗野な人でも、危険時や困窮時に思わず胸に握りしめる粗末なお守りや、貧しい人の家にもご加護を注ぎ、守ってくれると信じられている御神像の絵の方が、実際に心を癒してくれるものである。批評精神が広まれば、楽しげな信仰がすべて残り、苦痛を強いる信仰はことごとく消え失せる、と思いこむのは浅はかな考えである」

 まことに残念なことに、近代日本の批評精神は、日本人の素朴で幸せな信仰を破壊し、それに代えて、西洋の知性ではもうとっくに廃れてしまった、あの残酷な迷信ー宥(ゆる)さぬ神と、永遠の地獄とを心に抱かせようとする迷信1を広めようとする諸外国の執拗な試みに、対抗するどころか、間接的に加担している。

 今から百六十年以上も前に、ケンペルは、日本人のことをこう書き記している。「美徳の実践、汚れなき生活、信仰の儀礼において、日本人はキリスト教徒をはるかに凌いでいる」と。開港都市のように、本来の道徳律が外国人によってはなはだしく犯されている地を除けば、この言葉は、今でも日本人に当てはまるといえる。日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。

 これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。

  一八九四年五月    日本九州  熊本にて         ラフカディオ・ハーン


 東洋の第一日

 「日本の第一印象は、できるだけ早く書き残しておきなさい」。来日後まもなくお会いすることのできたある親切な英国人の教授は、私にこう助言してくれた。「第一印象というのは、しだいに消えてゆくものです。そしていったん薄れてしまうと、もう二度と戻ってきません。この国で、どんな不思議な感動をこれから受けようとも、初めての印象ほど、心が動かされることはないでしょう」

 私は今、当時あわただしく書き留めたものを元にまとめようとしているが、なるほどそれらは、ずっと心に残る魅力というより、本当に一時的なものであったと痛感している。忘却の彼方に消えてしまい、どうしても思い出せないことがあるのだ。

 あの親切な言葉に従おうと固く決意していたものの、結局はおろそかにしてしまった。日本に来て最初の数週間は、自室にこもって机に向かうことなど、とうてい無理だった。

 このすばらしい日本の町に太陽が燦々(さんさん)と注がれている、その仔(たたず)まいに、見ること、聞くこと、感じることが、山ほどあったからである。それでもはたして、失った初めての感動をすべて甦(よみが)えらせることができるだろうか。さらにそれを言葉に移して、定着することができるだろうか。

 日本の第一印象は、香水のごとく捉えどころがなく、移ろいやすい。それではまず、車で横浜の外人居留地から日本の町へ踏み込んだときの話から始めてみよう。思い出すかぎりのことを、ここに書き留めていきたいと思う。


   東洋の第一日目