忘れない! 忘れてはならない この崇高な若者の姿。これは物語ではない 事実なのだ
将兵たちは、はじかれたように高角砲、高射機関銃等に取り付き、機影に向かって撃って、撃って、撃ちまくる。カミカゼ機がまともにこちらに突っ込んでくるときは、肝が冷え、ときには小便をちびりながら機銃にかじりつく・・・・

そうして、一機、また一機と、カミカゼ機は撃墜される。あるいは艦をかすめて海に飛沫をあげながら墜ち、あるいは轟音をを立てて爆発、炎上する。しかし最後の一機は、なかなか墜ちない。こちらに突っ込んできて狙いがそれると、再び急上昇し、機銃弾の束の波の間をかいくぐるかのようにして遥かに逃げ、やがてまた狙いすまして執拗に急降下してくる。 

その間、艦上の対空兵器は切れ目なく狂ったように発射音を響かせ、その最後の一機を撃ち墜そうと血眼になっている。そしてとうとう、その一機が撃墜されるときがやってくる。と、艦上にはどーと歓声があがり、そしてまた一瞬のシーンとした静寂のときがくる。

「そのとき私たちは自問自答するのだ。・・・・判らない。あんなに優秀な、練達のパイロットが、なぜ自殺に等しい行為を止めなかったのか?彼は充分にたたかったじゃないか。われわれも充分にくるしめられた。彼は自らの任務をすでに達成したのではないか?

今日のところは引き分けとして、彼が引き揚げたとしても、誰も咎める者はないだろう。 だのになぜ?」その一瞬の静寂は、お互いにその祖国を背負ってたたかう戦士たちのぎりぎりの共感ー相手の勇敢さ、その技量に対する讃嘆とともに、アメリカ人には理解しがたい「自殺行為」に対する無言のためいきだったようである。そして西氏によると、彼が目を通したほとんどすべてのアメリカ将兵の戦記が、同じこの「一瞬の静寂」について語っている、という。 

昭和20年4月22日出撃前の写真発見・・・家族に返したい

はっきり言う。俺はお前を愛している。しかし、俺の心は、今ではお前より大切なものを愛するようになった。 それはお前のように優しい乙女の住む国のことである。
 俺は昨日、静かな黄昏の田畑のなかで、顔も見えない遠くから、パイロットの俺たちにに頭を下げてくれた子供たちのいじらしさに、強く胸を打たれた。 もし、それがお前に対する愛よりも遥かに強いものだといったら、お前は怒るだろうか?否、お前は俺の心を理解してくれるだろう。 ほんとうに、あのように可愛い子供たちのためなら、生命も決して惜しくはない。自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。 だから、このような自分の感動を行為の源泉として持ち続けていかねば生きて行けないことも、お前は解ってくれるだろう。俺の心にある、この宝を持って、俺は死にたい」「国家なき日本・村上兵衛著・P76から」

航空特攻の「生みの親」ともいえる大西中将は、終戦の大勅が下るや、翌16日渋谷南平台の軍令部次長官舎で割腹自殺した。従兵の知らせで軍医が駆けつけたときは、すでに腸が飛び出していて助かる見込みはなかった。苦しい中にも介錯を拒否し「これで送り出した部下たちへの責任を取れる」と体当たり攻撃の責任を背負い、特攻隊員のあとを追った。傍らには。遺書と辞世の句が残されていた。
遺書
特攻隊の英霊に申す 良く戦いたり 深謝す。
最後の勝利を信じつつ 肉弾として散華せり。
然れども其の信念は 遂に達成し得ざるに至れり。
われ死をもって旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす。
我が死にして軽挙は 利敵行為なると思い、
聖旨に副い奉り、自重忍苦する戒めともならば幸いなり。
隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ
諸子は国の宝なり。平時に処し猶克く
特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と
世界人類の和平のため 最善を尽せよ。
        海軍中将   大西瀧治郎
辞世
これでよし、百万年の仮寝かな。
すがすがし、暴風のあと月清し。  
 瀧治郎