つづく・・・問題iには、一切触れないでおくと決めたことは、問題を残したといえる。現に、そのために今度のような事件が起こったのである。まして、両国関係を規定する平和友好条約において、領土問題に明確な決着をつけておかなければ、将来どのような面倒が起こるか、わかったものではない。というわけで、条約交渉と領土問題とは無関係だ、両者を別々に処理すべきだ、というのは、はなはだ見当違いの意見だと、私は信じる。政府が条約を早く締結しなかったから、こういう事件が起こったという意見については、これも領土問題タナ上げの条約締結論のようだから、私は賛成しないが、この方には次のような点で、一理は認められる。 ズサンで拙劣な外交の結果 香港の大公報の論評によると、自民党のアジア研究会が、日中条約では尖閣諸島問題に触れるべきだといったことに中国が反発して、今度の事件を起こした。中国が尖閣問題をタナ上げしたのは、両国関係の発展、つまり条約締結に影響を与えないための配慮であり、領土問題は、将来話し合うことになっていた、とのことである。恐らく本当だろう。その限りにおいては、条約の締結に慎重な政府の態度が今度の事件の原因だとする見方は、見当はずれでなかったと思う。中国は、日本に条約締結を迫る手段として、漁船の大群を尖閣水域に送り込んだ。 しかも、それを非常に劇的な形をもってした。明白な圧力であり脅迫である。中国は、中国が主張する形のーつまり反覇権条項を書き込んだー条約を、どうしても日本に受け入れさせたい。そのために脅迫してきた。世界はーむろん中国もー日本が、外からの圧力や脅迫に極めて弱い国であることを知っている。たとえば日中条約に「反覇権」を挿入するのに反対だった日本は、中国に圧力をかけられると、前文なら、と折れた。それでも中国が拒否すれば、本文に入れることまで譲歩し、その代わり「宮沢四原則」を打ち出した。 それがまた反対されると、同じ三木首相のもとで、外相を宮沢氏から小坂氏に替えるとともに、「宮沢四原則」も引っ込めた。日本は中国の圧力を受けるごとに、「前へ逃ける」のみだった。日本が圧力または脅迫に弱いと、中国が思い込んでも無理はない。だから、今度、またも圧力をかけてきた。もっとも中国側は、これを偶発的事件といったが、そんな弁明を信用する人がいるだろうか。事件と条約の分離解決を主張する人は、依然多いが、領土問題をアイマイにした条約では、締結後でも、中国が脅迫手段として、再び「偶発事件」を作り出す可能性は残されると見なければなるまい。 条約は日中永遠の友好のため、という人もいよう。だが、国家間に永遠の友情があった歴史史があるのか。ドゴールは国家間の友情とは、利害の符号に過ぎないといった。日本人はセンチメンタルだが、相手は「戦国策」以来の現実政治の長い歴史をもつ国である。現に中国が欲する内容の条約を迫るため、今度のような手荒い術策をろうしたではないか。 日中復交の時、条約締結後に領土間題を話し合うと、密約めいたものを交わしたのなら言語道断だ。領土問題に明確な決着をつけておくことは条約締結の前提である。領土といい「反覇権」といい、田中、大平以来のズサンで拙劣な外交の尻ぬぐい役を回されて苦境にたつ福田首相に、私は同情する。(はやしさぶろう)H22.9.4産経新聞 【視点】1978年に結ばれた日中平和友好条約は、いかにも怪しげな条約である。交渉の前段階で、日本が尖閣諸島の帰属を明確にすべきだと議論しただけで、中国漁船の大群が尖閣に押し寄せた。いまでいう海上民兵の圧力部隊である。逆に、中国は旧ソ連を覇権主義と名指しで条文に入れようとしていたから、漁船群の派遣は二重に効果があったのだろう。結果、尖閣の挿入はせずに問題を先送り、名指しこそ避けたが「覇権反対」は残った。外交上、「圧力に弱い日本」のイメージが定着してしまった。竹島は韓国に明け渡せ、という新聞の論説主幹までいたから主権意識は低い。これでは、隣国からの圧力はやまない。(湯) |