しかしながら悲しいかな・・・戦争・・争い・・・はこの世からはなくならない。
何故ならば

人の性(さが)であるからである



対処法そのU


・・・立場を守るために、在沖米軍基地が単なる「中継基地」ではなく、米軍前方展開のための「拠点基地」、更には、望むと望まざるとにかかわらず、「前線基地」となり、自衛隊もそれに応じた展開状況となりうることは、我々が国の安全保障という命題に知的に誠実な対応をとろうとするのであれば、当然、念頭において然るべきことである。

一度取られれば元に戻らず

以前書いたことであるが、「危機管理」と銘打たれることについての日本の対応は比較的冷静、客観的である。そこでは「科学的」(サイエンス)アプローチが確保されている。「国防・安全保障」の命題となった途端に俄然「ナントカ感情」と称するものが前面に出てくる。しかし、冷静、客観的な情勢分析、自国や同盟国の繊密な能力評価など「サイエンス」を脇に押しやった国防・安保論は無責任である。

この基本に目をつむって、米軍人(や自衛隊)を恰も「邪魔者」「厄介者」として扱い、その「捨て先」を先ず求めてかかるが如きアプローチは日本存立の基盤である安全保障にとって有害であると私は思う。

いずれにせよ、改めて強調されるべきことは、前に触れたような変化は日本が仕掛けたものでは全くなく、「新たな国際環境」と称するもののなせる業だということである。この流れにおいて、日本もアメリカも「現状維持勢力」である。

「隅を刈り取られて」小さくなった日本は、恰も毛を刈られて、裸になった羊の如くである。貧弱な身体をさらして、寒さに震える
羊をまだ、可愛いとか可哀想とか思ってくれる人が居るかもしれないが、そんな慈愛(?)の視線はものの役に立たない。

羊の毛は、まだしも時間が経てばはえてくることが期待できるが、
一度刈り取られた領土や経済水域の場合、元に戻る保障はまずないと考えるべきである。この危機感さえおぼえない裸の王様状態が続くようでは、国の安全保障は成り立たない。(かとうりょうぞう)2010.9.1