モンゴルの旅、雑感&エピソード ( 記念写真・・・・きっかけは・・・「全国一の宮巡拝会100万人運動


【1】 モンゴルの近代史

 清朝の悪政から逃れようとしてロシアに救いを求めているそうです。ロシアは領土的野心からモンゴルを支援して世界で第二番目の社会主義国になったがスターリンの全盛時代には共産主義のためならずとモンゴルの仏教寺院はほとんど壊され、僧侶は殺されたという。信仰が厚く、崩壊を免れたのは5つの寺院だけであり、そのひとつがガンダン寺である。ソ連崩壊で寺院も自由を取り戻し活性化しているようですが今度はアメリカの影響が出ており、キリスト教、特にモルモン教がモンゴルに浸透しつつあるそうです。将来的にはチベット仏教も安閑としておれなくなるという心配をしておられました。若者たちが自由主義の代表アメリカ文化の影響で日本と同じく自由の真の意味を理解しないで怠惰にはしる兆しがあり深刻な社会問題に発展する可能性を感じた旅でした。高官・高僧の発言から日本の大戦後の発展を見習いたい、今も、かなりの援助を頂き感謝していると聞きました。将来的にもモンゴルー日本の友好を望む声を素直に聞くことができました。


【2】”元寇の役”について

 元寇の役に関する情報はモンゴルでは殆どなく一部日本から送られた資料が歴史館にあるだけという。元寇720年を記念して小金丸幾久氏の少弐資時公の銅像が建立されたことは関係者各位の並々ならぬご努力の賜物と敬意を表しますが、その記念祭に招待されたモンゴル関係者はどのような感想をもたれたのでしょうか。壱岐のだれが相手国の感情にまで想いをめぐらせただろうか。特に、社会主義の時代ではチンギス・ハーンの名前を出すことすらタブーだったのです。まして、歴史教育でそれがあろうはずがありません。

今回の訪問で・・・元寇の役のお話と具体的な状況を説明すると大変興味を示されましたがモンゴルでは殆ど元寇には関心がなく、むしろ日本との関係ではノモンハン事件が具体的に知られており、日本からの遺骨収集団が訪れたり、供養がされていることは知られています。日本はロシアとの国境紛争ノモンハン事件は知っているがモンゴルは関係ないと思っているのではないか。実はノモンハン事件での軍隊にはモンゴル人も沢山いたということです。

世界地図を開いて見てくださいチンギス・ハーン時代にポーランドのクラコフという小さな町が最近チンギス。ハーンの侵略の模様をお祭りとして行い、そのときにモンゴル大使も招待されたという。そのときの大使は大変不愉快な想いをしたという感想を語られたそうです。暗に、日本の720年祭もこれに匹敵するものではなかろうかと愚慮しながら帰国しました。


しかし、今回はモンゴル側から是非お会いしてお話を聞きたいということでした。詳細を説明すると大変感動され、今、モンゴルでは歴史の見直しがされておりチンギス。ハーンも当然ながら重要な歴史の一ページとして見直されます。これ程の詳しい、かつ、具体的な材料はなく、またとない機会である。720年祭でのお話では「今日を出発点」としてモンゴルー日本の友好に役立てたい」 ということがこんなに早く、具体的に進むことはうれしい限りです。モンゴルの国営テレビと共に取材陣を連れて私(元モンゴル大使)が行きたいというお話しでした。

敵味方の供養は日本では古くから生きとし生きるものすべて、”死ねばみんな神様”になるという伝統・文化があり、これは今日的にも世界が注目することにもなろうと思います、と同時にチベット仏教はアメリカ、サンフランシスコで末期がん患者の”心のやすらぎ”のためにホスピスで「死の書」が利用され、人を救っているということをテレビで見たことがあります。日本の文化とチベット仏教・文化が世界を救う力になる世紀かもしれません。


【3】 通訳のニンジンさん

と食事をともにしながら、「箸の使い方が上手ですねえと」といったら「そうですか、みんなこうですよと」といわれ・・・・???あっつ!そうか、なあんだ・・箸はモンゴルが本家だったのです。恐れ入りました、御無礼をお詫びいたしました。注:歴史博物館:突厥時代(AC552〜)の庶民の衣装には必ず「ナイフと箸」を鞘に入れたものを持っていることに気づきました。

旅行ハイライト

http://jp.shockwave.com/pj/trial/?1233116/1057045287572_1