◎同調圧力を超えて(上) 同調圧力を超えて(下) 時代を読む . 「変わり者」が新たな世界を拓く 池田清彦 私たちは「ほかの人と同じであること」に安心を感じます.それは集団で生きてきた人間という動物の宿命なのでしよう。一方、「誰かと同じではつまらない」と考える人たちもいます。山梨大学名誉教授で早稲田大学国際教養学部教授の池田清彦さんは、「社会に『変わり者』がいなかったら、人類の発展はない」と語ります。 大多数に同調するのは「生きるため」 あなたにはこんな経験がないだろうか。「小学校の学級会で、意見がまとまらず多数決になり、みんなが『賛成』に手を挙げるのを見て、本当は『反対』なのに思わず手を挙げた」。あるいは「選挙で投票所に行き、特に支持する候補者がいないので、とりあえず有力候補の名前を書いた」ーー。 大多数の意見や行動に引っぱられることは、多かれ少なかれ誰にでもあるが、これは人類の長い歴史によってつくられたのである。 生物の多くは群れで暮らしている。それは生き残るためだ。例えば、ツグミが群れで飛んでいる時、1羽が急に下降を始めるとほかのツグミもそれを追って下降する。天敵であるタカが狙っていることを、最初の1羽が気付いたからである。 そのまま飛び続けていたら、誰かがタカの餌食になっていただろう。ツグミは群れの誰かが危険を察知して別方向に飛ぶと、それに合わせて飛ぶよう本能的にプログラムされているのだ。サバンナの草食動物が群れるのも、肉食獣が襲ってきた時に、群れていたほうが多少とも安全だからだ。肉食獣は群れの外縁部にいるものや群れから落伍したものを襲う。 人間は本来、弱い動物であるから、肉食獣から身を守り野生動物を捕獲するため群れで暮らしてきた。ヒトの祖先であるホモ属が誕生したのは、今から250万年前といわれ、現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生したのは16万年前である。 現生人類は長い間、数十人から100人程度の「バンド」という小集団を形成して狩猟採集生活を送っていた。バンドは現在でも、アフリカのピグミーのように数万年前と同じ生活様式で暮らしている部族に見ることができる。 群れで暮らす上で最も大切なことは、他者と折り合いをつけることである。群れが獲物を求めて移動するならば、たとえ自分が行きたくなくとも、一緒に行動しなければ取り残されてしまう。また、集団で狩りを行う時に1人だけ勝手なことをすれば狩りは失敗に終わり、それが重なれば群れから追い出されるだろう。群れを離れることは「死」を意味するから、「同調」の能力は生きるために必要だったのである。 笑顔の人を見ると自分も楽しくなる 人間が他者の行動に合わせるのは、脳の働きも大きく関与している。1996年、イタリアのパルマ大学で、マカクザルというサルの脳に電極を刺して前頭葉の神経細胞の活動を測定する実験が行われた。その際、研究員がサルの前でジェラート(アイス)を舐めたら、サルの脳のある部位が激しく反応し、次にサルにジェラートを食べさせたところ、同じ部位が反応したのだ。 しかし、ジェラートを見せただけでは反応は起こらない。これによって、「人がジェラートを食べる姿を見た時」に反応した神経細胞と、それを自分(サル)が食べた時に反応した神経細胞は同じであることがわかった。他者の行為を見て鏡のように反応することから、この神経細胞は「ミラーニューロン」と名づけられた。 人間にもミラーニューロンがあると考えられている。例えば、テレビのお笑い番組を見ていて、観客が笑うとつられて笑ってしまう。学校の授業でも、先生が笑顔で教えると学生も自然と笑顔になるが、しかめっ面で話すと、学生も沈鬱(ちんうつ)な表情になる。これは無意識のうちに他者の行為を自分の感情に反映させているからである。 ではなぜ、ミラーニューロンができたのだろうか。それは、ハチやアリのような下等生物が、遺伝的にプログラムされた行動だけで生存しているのに対し、ヒトやサルといった高等生物は、後天的な学習によって生きる能力を身につけなければ生命を維持できないからである。 野生のニホンザルの子を観察すると、エサの取り方やほかのサルへの接し方、仲間同士で呼び合う声など、周囲のサルの行動を真似ることによって学習していることがわかる。それは人問も同じであり、特に言語獲得においては、発音の仕方や単語の使い方など、他者を真似ることによって身に付ける能力が多いことから、ミラーニューロンが深く関わっているといわれている。 未知の土地に行くのは生き残る戦略 先史時代は文献がないので正確にはわからないが、バンドには一定の秩序があり、子供は親や年長者によって、群れに馴染むよう教育されていたと考えられる。もし誰かが群れの秩序を乱す行動を取ったならば、ほかの者たちから非難されたり、罰を加えられただろう。だから群れの中には、全体に合わせるよう強制する雰囲気が常にあったはずである。 この暗黙のプレッシャーを「同調圧力」という。個人の生存戦略においては、同調圧力に従うほうが有利であることは間違いない。しかし、「周囲に合わせて行動する者ばかり」という状態は、社会全体にとっては非常に危険である。 生物が絶滅する原因は主に気候変動によるものであり、長い歴史の中で、新しい環境に適応できなかった種は地球上から消えていった。人類がチンパンジーから分岐した700万年前以降、地球は何度も激しい気候変動に見舞われた。すべての個体が群れに従って同じ行動様式を選択して同様な環境で生活していたら、環境変動によって飢餓に陥れば、人類はあっけなく滅亡していただろう。 種としての生存を担保するには、生活圏を拡大し、環境の変化に柔軟に対応できるようにしなければならない。 人類はアフリカで発祥したが、ホモ・エレクトスに代表される先行人類はおよそ180万〜100万年前、現生人類はおよそ10万年前にアジアやヨーロッパへ分布を広げている。移動の理由の多くは、その土地で食えなくなったからだが、中には「未知の土地へ行ってみたい」という「変わり者」がいたに違いない。 それは、15〜17世紀の大航海時代にコロンブスやマゼランが船で大洋に乗り出したことや、17世紀にイギリスからアメリカの東海岸に渡った人たちの一部が、さらに西部へと開拓に出たことを見てもわかる。 地図も海図もない時代に、荒れ地や大海原をあてどなく進むのだから、行き倒れて死ぬ確率は極めて高い。それでも新天地を求める者が続いたのは、「他者に合わせる」性質とともに、「人と違うことをやりたい」という欲求が人間に備わっているからである。 「変わり者」を排除しない社会を どんな時代でも、周囲の人間と違う感性や価値観を持った「変わり者」は一定数存在する。多くは周りに理解されないまま一生を終えたであろう。しかし、ごく一部は、未開の豊かな土地を発見したり、革新的な技術を発明したのである。 生物において大きな進化が起こるには、数百万〜数千万年といった長大な時間が必要であり、例 えば、急激に進化したクジラでさえ、四脚の原始クジラから脚がないクジラになるまで数百万年かかっている。現代人の直接の祖先といわれるのは4万〜3万年前に出現したクロマニョン人だが、石器を使っていた彼らが、わずか数万年で宇宙にまで進出したのは、遺伝子に支配されない「変わり者」の活躍のおかげであるといっても過言ではない。 先に挙げたコロンブスはアメリカ大陸を発見し、マゼランは世界周航の道を拓いた。科学分野においても、万有引力を発見したニュートン、相対性理論で物理学に革命を起こしたアインシュタイン、蓄音機や映写機、電球を実用化したエジソンなどがいる。彼らの共通点は、奇異な発言や行動により周囲から「変人」扱いされていたことである。 このほか、陶器や鉄器を発明した者、タコやナマコを最初に食べて食性を広げた者など、人間の歴史には名もなき「変わり者」が無数にいたのである。 現代人では、アップルを創業したスティーブ・ジョブズとマイクロソフトを創業したビル・ゲイツが挙げられる。ジョブズは学生時代にヒッピー文化に傾倒して大学を中退。ゲイツは大学で法学を専攻するも興味が持てず、やはり大学を中退している。社会的には「落ちこぼれ」である2人が、それまで企業のものだったコンピュータを世界中の人々に広めたのである。 日本も敗戦から高度経済成長期には、高等小学校卒(現在の中学卒業程度)で総理大臣になった田中角栄や、町工場を世界企業に育て上げた本田宗一郎といった、それまでの常識に囚われない「変わり者」がたくさん現れ、社会に活力を与えた。 現在はどうか。ここ数年、政治家や有名人のささいなミスをあげつらうマスコミ報道に接するにつけ、世間の同調圧力がとても強くなっているように感じる。こうした社会では、「変わり者」が排除され、ますます同調圧力が強くなる。 このままでは、日本は経済だけでなく、やがて文化や芸術も衰退していくだろう。現状を打開するには、多様な人間を受容する社会を取り戻すしかない。 そのためには、私たちが「個性の尊重」や「多様な生き方」の重要性を理解することだ。社会にイノベーションを起こすのは、「常人」ではなく「変人」なのである。 |