壱岐日報社説から   『壱岐っていいなぁ』と思われる島に・・・・壱岐の唄



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(国家の品格:藤原正彦著、新潮新書¥680)
          
@独立不羈A高い道徳B美しい田園
            
(注:独立不羈=自らの意志に従って行動のできる独立国
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人を愛し権威を排し信念の人松永安左ヱ門の偉業(故郷の誇り)
     すべてのものは ひとつにつながっている”ラズロ博士
         

 
「自然には人から聞いたり、映像を見るだけでは分からないことを直に肌で感じさせる力があります。心がすさんだ時、何かをがんばろうとした時など、様々な場面で自然と触れ合うことは、すごく大切なことだと思います。日々の生活で疲れた人達が、壱岐の自然に触れることでリフレッシユし、壱岐を出るときに『壱岐っていいなぁ』と思われるような島になって欲しいです。壱岐に住んでいる僕達が、壱岐を守っていきたいと考えています。」これは、壱岐の自然を守る会(会長・長田徴市長)が、標語・作文・ポスターの三部門で、児童、生徒から作品を募り、毎年実施しているコンクールの、中学生の作文・最優秀作品のラストの一節。自然を身近に感じながら、心を癒す自然、壱岐の島の自然を自分達が守っていきたい。美しいこの島の自然がいつまでもそうあってほしいと願う心の素直さがストレートに伝わってくる。この他の入賞した作品も同様
で、ポスターの部の作品も、力強くそれを訴えているものばかり。大人の我々が勇気づけられ、、心暖まるようである。

 冬になり寒気が強まってくると、常緑樹などを除いて、彩りが少しずつ薄れてゆくが、今、山道の道脇などで咲くツワブキの花の黄色がとても美しく、ハゼの葉の紅葉なども見事で、そうした草花や樹木などを眺めていると、島の自然の息吹が感じられ、大切にしなくてはならないことなど、誰に、でも理解できるように思われるが、ゴミの不法投棄や開発しかけたままで放置され、赤い土がむきだしになっているような場所を見るたび、逆にまだまだ豊かとされる自然環境の継承が島民皆にアピールされているよ
うに意識される。 

 動植物だけではなく、島を形作る鉱物なども含めた、あらゆる自然と人、社会の環境が調和して、自然から人への恩恵に、壱岐を超えて地球という星、さらに宇宙に感謝し、愛すら抱きながら、日々、そうした自然を、身近に感じて暮らしたいもの−などと、それらの優秀作品の数々を見、読み子どもらの心がストレートに訴えかけてくるし、自然の大切さが、こうして原稿を書いていてもひしひしと伝わってくる。

 何に関しても物質的な豊かさを先行させるこの社会の中で、島の自然、子どもたちの心とその作品から、心の喜びと充足、真の豊かさ、生命をつなぐ自然の循環の必要性を、大人社会が問い詰められ、麗Lいふるさとを大切にし、次から次の世代に受け継いでゆくことの責任など、これからの国=ふるさと=づくりに望まれていよう。まさに
「壱岐っていいなあと思われる島」−である。

(壱岐日報社説平成17年11月21日から転載)
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ラズロ博士のスピーチ
 私は、今回日本に参りまして、その人々と文化に触れることによって、大きな希望が増したことをお伝えしたいとおもいます。今後の世界の過程の中で、です。 私たちは、今、大変難しい時期に来ております。私たちが創ったこの地球は今、存続が難しくなっております。今、大きなチェンジをしなければならないときにきています。

 私たちは、過去200年続いて参りました発展というものにピリオドを打つ時期がきているとおもいます。 私たちが今後、次の世代に向かって歩みを進めていくためには、あることを明らかにしていかなければなりません。それは精神性ということです。

 皆さま、
日本人は大変すばらしいコンビネーションをもっておられます。それは大変進化した文明とテクノロジーそして精神文化です。この皆さまがもっておられる日本の文化・伝統というものは、単なる歴史のなごりだけでなく、大変大きな意味合いをもっているとおもいます。 精神文化、それは神道や仏教にあらわれます、それからアジアの国々の精神文化は非常に大きな意味合いがあります。今後の私たちの世界の価値観のために大変大きな意味合いがあるとおもいます。

 私はバックグラウンドが科学なんですけれど、科学から来たものとして私たちは自分の中のスピリチユアルな真実を見直すときがきているとおもいます。 私が申し上げたいのは、新しい結合が出来上がっている、それはサイエンスとスピリチユアリティーです。その融合が起こり始めたというのをお話ししたいとおもいます。
(次号へつづく)

10世紀の中頃から、私たちは気付きました。世の中の分子というものが、すベて繋がっていることを。もしも一つのものの分子の情報が、遠く離れた分子と交流することができれば、再びそれが別れることになったとしてもお互いの情報を共有したまま、そのままの姿をとどめることができるとおもいます。このような結合というものは、瞬時に行われるもので、時間・距離は関係ありません。

非常におもしろいとおもいますのは、これから10年後ぐらいに新しいンピユーターの時代がまいりますが、このような結合した情報が飛び交う、そういう時代がくるとおもいます。今まではそれは本当に細かい粒子の分だけが繋がっていることがわかっていました。それが小さな分子・粒子だけではなくて、もっと大きなレベルで存在するのはすべて繋がっているということに近づいてきたのです。それと同時に私たちの意識というものも時間・時空を越えて、瞬時に繋がることができるようになりました。今までは物理学の中で証明されてきた事実、それが人間界において証明可能になってきたのです。この数年間、私たち科学者はある一つのことについて考えてきました。 何がこのように宇宙に瞬時に情報を交換するその元になるのだろうか。で、達しました結論は、宇宙はそれ自身が繋がつている場ということに気付いたわけです。

 宇宙というのは、泉のようなものです。一つの石を投げ入れますと、そこに輪ができます。そうするとその輪が広がって池全体に広がります。もう一つ石を投げるとそこにも輪がひろがり、その二つの輪が融合するわけです。このような波紋が繋がることによって、情報が伝達されていくのです。立体的な情報になっていて、それは一瞬にして繁がり、池全体に一瞬で広がっていきます。ちょっと池を想像してみてください。その池には、雨も降るし、風も吹きほす。でも落ち着くとそれが静かな水面に戻ります。ところが、宇宙の波は、池に起こつた事象とは違います。一つの波ができて、またもう一つの波が来たときそれが繋がったときに事象としては残り、その情報というのは、消えることなく、残っています。

 これはどういう意味かというと過去に起こつたことは消えることなく、情報としてそこに留まるということです。もし私たちがこの宇宙の情報にアクセスすることができたら、すべての情報に精通することができるということです。この世に、今まで過去に起こつたすべて、そういう情報に私たちはすぐに繋がることができるのです。これは「量子学的真空」と呼ぶ事象です。真空というと空っぽという意味ですが、そうではなくて、そこがいろいろな情報に満ちあふれたというように了解しています。もし私たちがもっと深い深い意識レベルに到達したならば、たとえば瞑想とか祈りとか、あるいは音楽とか芸術とかによって。そうすると私たちは自分の意識を広げることができます。そうすると宇宙こ存在するすべての情報に私たちは繋がることが出来るのです。

 これが世界中にいる瞑想やさまざまな方法の人たちが体験する、すばらしい体験です。繋がるということを体験するのです。それは非常に興味深いのは、深い瞑想や祈りによって、私たちは深い意識レベルに到達することができ、そうすると真実と繋がることができるのです。
(つづく)

私は世界中の精神世界の偉大なリーダー達は、こういう真実につながっているとおもいます。例えば、モーゼ、キリスト、仏陀、孔子とか、その人々は確実にこういう体験をされていたとおもいます。その体験を他の人に伝えようとしていました。しかしながら言葉だけが伝わって、体験そのものが途中で消えてしまったということもあります。ですから、私たちはもう一度、立ち戻って言葉ではない・本当のスピリチュアリティーに到達する必要があるとおもいます。私たちがもしその伝統を通して、その深いものに繋がることができるとすれば、すばらしい真実を伝えてくれているとおもいます。

その真実というのは、すべてのものは一つに繋がっているという真実です。もしそれが別々なものだと私たちが認識するならば、それは認識に留まっています。実際はすべてのものが繋がっています。なぜならば、宇宙というのは真実そのものの場所だからです。コスモロジー、宇宙論では、130億年前には、ビックバンとは何もないところからおこったのではなくて、実際にこの場で、おこったわけです。

それは物理学でポライダー、衝突させる装置があるのですが、そういうものを使うとビックバンのようなものを作ることができます。私たちの身体を作っている分子・素粒子すべては、この現実のこの場の中から出てきている。それはまるで、この波のようなものです。私たちはその大きな波の一部であるということを思い出す必要があります。

私は結論として、なぜ今それを申し上げることが大切かを申し上げたいとおもいます。今、世の中、世界中では人々は、大変なおもいをして、精神文化の原点を探そうとして必死になっています。そのスピリチュアリティーを探すのは、書かれたもの残されたものを探すのるのはなくて、もっと本質の奥まで立ち戻ろうとしています。これは大変貴重な動きだったと思います。もし私たちが大変深いところまで到達できると、私たちはすべてのものが繋がっているその中の一部であるということが、実際に体験としてわかるのです。

もしも私たちが大きなものの一部であるという意識に到達したならば、その中のものを壊そうという意識にはならないでしょう。もしも私たちが大きなものの一部であるという意識に達したならば、お互いを慈しみ、この世界を壊すこと…はなくなるでしょう。そう、なると私たちは、他人とか別の者という意識がなくなって、すべては私と同化した同じものという意識に到達できます。

今までの科学とか物理の調査は、一つのことを伝えています。それは宇宙が立体的に、すべてに有機的に繋がっているということです。ですから科学的に生きるのか、精神的に生きるのかを分ける必要がありません。その二つが繋がってきているからです。

日本にはとてもユニークな文化があります。それは自分と違う文化を融合させるのが大変上手だという特徴なのです。それは東洋のものも、西洋のものも。ですから日本人のもっている特徴をいかして、深い部分の精神性とテクノロジーを融合させることが皆さまなら出来ると思います。そうすると私たちは世界に対し、て家族という感覚を持ちますから、それで繋がっていくことが出来ます。そういった動きが日本のあちこちでおこっていることを私は感じます。それが、世界を変えていくだろうという私の大きな希望に繋がっています。(おわり}