ハワイ攻撃のときハワイの町に投げた伝単(箸者蔵)

「どうした?」
思わす叫ぶ声がする。だが、その機は、うねりすれすれに姿勢を立て直して上昇する。またある機は、飛行甲板を横滑りしながら発艦する。何しろ、ローリングとピッチングが激しいうえ、ぎりぎりいっばいの重量を積んでいるので、攻撃機の発艦操作は相当苦労しているようだった。
(艦上攻撃機即ち艦攻は、魚雷攻撃と爆撃に便用され、魚雷のときは雷撃機、爆弾のときは水一平爆撃機ともいう。但し、艦上爆撃機即ち艦爆とは機種が異なり、艦爆は一発必中の捨身戦法である急降下爆撃を主任務とするのに対し、艦攻は急降下が出来ない機種なので水平爆撃を行うのである。)

ハワイ攻撃に参加した山川機”全日本女学生号”の前に立つ山川兵曹,山川機は太乎洋はるか豪州,印度洋と転戦した

全日本女学生号発艦

 生きて再び相見ようとは誰一人予期する者もない戦友たち、ただ与えられた任務、敵撃滅の意気のみすさまじく、ニッコリと徴笑を浮かぺて発艦して行く。「月月火水木金金」の艦隊訓練によって熟達した技量は、揺れる不安定な飛行甲板上を、何の苦もなく飛び立って行く。
全機無事発艦した。
大編隊は濃紺のまだ明けやらぬほの暗い洋上を、真珠湾に向って消えて行った。

第二次艦爆隊用
「第二次艦爆隊用意」
拡声機が叫んだ。今度は私たちの番だ。
私は確かめるように千人針を巻いた腹に、手を当ててみた。ずっと以前に郷里から送ってきたものだ。
肉親の顔、隣人の頼、知人の顔−それらの人びとがひとしお懐かしく想い出された。
お父さんお母さん、私は必ずァメリカ艦隊を撃滅します・・・遥か祖国に向って心に叫んだ。軽く愛機に塔乗する。この機は報国全日本女学生号−九九式艦上爆撃機であり、可憐な乙女たちが小遣いを節約して献金し、献納したものである。
私はいま祖国の運命を担って攻撃に参加できる喜びと、国民の愛国心の結晶である報国全日本女学生号に乗っていることによって、何かいい知れぬ力強さを感した。そして、私が母艦加賀を去るまで、これが私の愛機だった。

 機付長中田三整曹(三等整備兵曹)が「しっかり頼む」と励ましながら、彼の自鉢巻を差し出した。これは彼が支那事変当時、海軍陸戦隊員として縦横に奮戦したときに用いた、大切な記念品なのだ。それを知っていた私は、彼の贈物が無性に嬉しかった。
「有難う。頑張ります。待っていて下さい」
私は早速、飛行帽の下に堅く結び込んだ。
「全機発動」
「全機発動」
一斉にエンジンが唸り始めた。海を圧する爆音、艦上くまなく覆う翼、全く偉観である。
中田三整曹の念入りの整備で、愛機の調子は上々、一番機伊吹大尉に、「出発準備よし」の合図を送った。
ぞれと前後して全機の準備は完了した。
「全機出発華備よし」
ときに午前二時三十分。
「発艦開始」の信号が上がった。
身の軽い零戦隊から順次滑り出す。海上は漠々たる密雲に覆われていたが、もはや夜明けであった。
第一次攻撃隊出発の時より、海上はいくらか静かであるが、まだ巨大なうねりは母艦目がけて殺到する。吃水線上十メートルの艦首には、白滝の飛沫が上がっている。

 次は艦爆隊、まず牧野大尉機が勇ましく滑り出した。いよいよ三中隊指揮官伊吹大尉機、続いて二番機西森兵曹(八期予科練−高知県出身)その次がいよいよ私だ。 車輪止が外された。私は発着指揮官の自い旗をじっとにら んだ。 さっと上る自旗、発艦だ! 瀞かにそして力強く、スロットルを全開した全日本女学生号は滑り出した。 腕も折れよとばかりに打ち振る幅子の波が、整備員の顔 が、後方に流れ去りていった。 艦首がちょうど浮き上がったとき離艦でぎるように、加減 しながら艦橋の横を通り過ぎた。

編隊は、南へ南へと針踏をとる。
洋上は、白波に煙っている。
ヒトカップ湾出港以来、連日天候が悪かったので、母艦の正確な位置が出ていない。従って、目指すオアフ島に無事到達するだろうか、などと、未輩らしく案しながら、編隊をくずさぬように進む。
発艦するまでは、乾坤一榔の大海戦に参加するという昂奮と緊張があったが、こうしてしばらく飛んでいるうちに、演習の時と少しも変らないような気持になってぎた。
「・・突撃準備隊形作れ・・」
「・・全軍突撃せよ!」
電報が入ってきた。第一次攻撃隊のものである。彼等先発隊は、今や敵艦隊に第一撃を加えようとしているのた。
・・・今頃、郷里の人々はどうしているだろう?
ふと反射的に、そう思った。津々浦々は、まだ深い眠りの最中にちがいない。朝、目覚めてから、日米開戦を知って、きっと驚くにちがいないだろう。
・・・私も参加していますよ。
父母に知らせたかった。生還は期し難いが、今日の、このことだけは何とかして知らせたかった。
「到達三十分前」
後部席から、中田一飛が報らせてきた。
我に返って、前方を見る。
行手に大きな雲がある。
十五分、十分。ぐんぐん雲に近寄る。
あたり一面、雲になった。と、雲の下にちらりと島影が映った。

眼下の真珠湾



島はオアフ島の北東端だった。
島の東南上空に迂回した。雲の切れ問に、赤い屋板の並ぶ美しい町が見えた。
赤城で見た模型のホノルルだ。
母艦の位置すら正確でなかったのに、悪天侯の中を、いささかの迷いもなしに、ここまで誘導した一中隊一番機の技景に感嘆した。
加賀の急降下爆撃隊一中隊長は、操縦の牧野大尉(加賀艦爆隊長)その偵察員は吉川一飛曹。二中隊長は、支那事変中、敵の南昌飛行場に着陸し、焼打ちして来た豪胆な小川正一太尉。三中隊長は、後に神雷特攻隊長になった伊吹正一大尉である。それぞれ、海軍屈指の名バイロットであるが、特に、措揮官機の吉川克巳一飛曹のことを記したい。

 吉川一飛曹は、予科練第一期生で、技量抜群であるが、酒豪であるために進級に禍いし、同期生は既に少尉に進んでいるのに、彼は、まだ一等飛行兵曹なのである。だが、今日の晴れの攻撃行に、指揮官機の債察員に選ばれた理由は、偵察通信に、彼の右に出る者がないからだった。飛行機の自差修正については、絶対自信をもっていた。いま、ホノルルの町を眼下にして「さすが吉川兵曹だ!」と敬意を表すのだった。
第一次の攻撃が済んだ後なのに、ホノルルの町は、ぴっそりと静まり返っている。
編隊は、バールハーバーに進路をとった。
島一面の雲だったのに、ぽっかりと、真珠湾の上空だげが雲がなく、奇麗に晴れ上っている。高空から目標を狙って急降下爆撃する私たちにとって、雲は最大の障害物だった。その雲がないことは、正に天佑であり、神助といっても過言ではなかった。
私達は湾内の上空を一周した。
港内のフォード島には、米国太平洋艦隊の主力艦が二隻ずづ行儀よく並んでいた。
すでに夢にまで描いたアメリカ艦隊、脳裡に深く刻み込んでいた艦型だが、それ等は既に第一次攻撃隊の猛襲に、いまや黒煙濠々断末魔の様相を呈している。

突如雲の間に黒点が浮かんだ。
「敵戦闘機だ!」
一瞬、さっと緊張した空気が流れた。
支那事変当時、母艦飛竜から発艦し、大陸の福州爆撃に参加したことがあるが、当時は敵機は在空せず、空中戦なるものはこれが初めてである。私は敵戦間機の攻撃を覚悟した。
さあ来い−−と緊密な編隊をがっちりと組んだ。
(急峰下に移るまでの艦爆は、敵戦闘機の攻撃に対して個々の空戦は不利なために、その弱点を補う目的で編隊をより一層緊密に組み、集中機銃砲火で対抗していた)

瞳をこらしながら進むと、次第に影が簿れていく。
おや?よくよく見ると高角砲弾の炸裂した黒煙だ。まだ若い−−と目戒した。
高角砲陣地から、猛烈な防禦砲火が弾幕を張ってきた。
ヒッカム飛行場の大火災は、物凄い黒煙を吹ぎ上げ、十五メートルの風に流され動いている。
編隊はぐんぐん目標に近づいていき、敵弾は増加する。
バヅバヅとあたりに光が瞬くと、黄色い煙、黒い煙が浮かび、次第に簿れて行く。
フォード島対岸の陣地からも、猛烈な防禦砲火で弾暮を張ってきた。


私たちの頭上は、その煙で覆われたかのようであった。さすがに米国が「ハワイ防備は完備せり」というだげのものはあって、物凄い弾幕である。これが急降下爆撃隊の周囲を取り巻く。そして砂礫でもまぎ散らすように炸裂する。
この峙、第二次攻撃隊艦爆隊指揮官江草少佐(蒼竜艦燥隊隊長)から、
「突撃隊形作れ」
「突撃隊形作れ」
続いて、「突撃」
が下令された。時に四時半頃でもあったろうか。ヒッカム飛行場を右にして、措揮官江草少佐が、まず一番
に真逆落しに急降下に移っていった。蒼竜、飛竜の艦爆隊がこれに統いて急降下に移っていく。
高度乳千メートル。私たちは湾の上空を旋回しながら、爆撃の順番を待っていた。
加賀の爆撃隊は最後である。
赤城の爆撃隊が降下した。
火柱が黒煙とともにさかんに立ち昇る。弾幕が猛烈に炸裂するなかに、指揮官機を先頭に急降下に入っていく。しかし、ものすごい黒煙も火柱も、強風に流れ動いていく。巨艦目がけて突っ込んでいく艦爆隊、機影はたちまち黒66

煙のなかにかくれ、続いていくつもの轟然たる爆発が、甲板上にまたは艦橋に起こる。
今や米国太平洋艦隊の主力は、致命的な打撃を受け、濠々たる黒煙のなかに瀕死の様相を呈するに到った。
次は私たちだ。加賀爆撃隊指揮官牧野大尉の、「突撃隊形作れ」によって、最後の在空編隊は解散した。ひらりと機体を翻えした一番機は、矢のごとくまっしぐらに急降下していつた。
朝の陽光は真珠湾をいつものように明るく照らしている。しかしそこに見られるものは、米国主力艦体の惨循たる形相である。艦体は析れ曲り、どす黒い重油で光る海面に残骸をさらす戦艦、炎々と燃え上がっている艦。一中隊が全機急降下に移った。統いて二中隊小川正一大尉を先頭に、次々と突っ込んで行く。
炸裂する高角砲弾で、機体は徴しい衝撃をうける。気は苛立つが、旋回を続ける以外に他の行動は許されない。黒煙がむくむくとゆっくり上昇して、それが次第に風に流されて行く。二中隊は全機その黒煙のなかに、猛然と突っ込んでいった。
いよいよ三中隊の番だ。伊吹大尉は手を挙げてこヅコリ笑って急降下に移った。続く西森兵曹、反転急降下に入ってく。次は私の番だ。
「勝!急降下にはいるぞ」(後席の熊本県出身の中田勝蔵一等飛行兵を、私はそう呼んでいた)
「オーイ、高度五○○○メートル」
中田一飛は、落ちついた声でそう答えた。彼は今日の攻撃隊員の中では、恐らく最年少であろう、たしか十七歳だった。

鼻唄で急降

スロットルレパーを静かに引いた。エンジン全閉。機首を少し上げた次の瞬間、機体をひねるように反転、急降下に入った。
後席で中田一飛の声がする。
なんだろう?注意して開くと、耳なれた節である。
桐の小箱に錦着て,・・・・
私たちがよく唄った白頭山節だった。
彼は鼻唄を歌っているのだった。
敵砲火をくぐり、いよいよ突撃に移り、日頃の訓練に物いわせて、敵戦艦に一撃必中の爆弾を叩きつけようというとぎに、鼻唄とは恐れ入った。
しかし馴染み深い唄声を聞いて、私は、思わず徴笑んだ。
すると身心ともに緊張感がほぐれて、訓練のときと同しように軽い気持ちになった。
前続機との距碓を二百メートルにとり、急降下していく。風が強かった。降下角度がぐんぐん深くなっていく。風速は依然として十五メートルくらいだ。

「高度四○○○メートル」
私たちの目標は、フォード島に碇泊中の戦艦群である。二列に並んだ六隻と、他に一隻が離れて碇泊している。
外側の戦艦は、先刻の雷撃に致命傷を受け、内側の戦艦は水平爆撃の巨弾五百キロ爆弾を叩き込まれている。そのうち幸運にも水平爆撃、雷撃の両方の攻撃隊から見落された艦は、今度は急降下爆撃隊に狙われて、恐れおののいている。
どれにしようかと思案した。まだ目標を決めていない。まだ何れにでも変更可能だ。
何しろ敵戦艦群は密集しているので、どれを狙ってもよい。獲物は選り取り見取りの状態である。
ともあれ、今照準器に入っている外側の戦艦は、くの字に析れ曲っている。雷撃隊の魚雷を食ったらしい。
その内側フォード島よりに、未だ被害のないらしい戦艦が

フォード島寄りの敵戦艦群,上部より戦艦ネパダ,二列目右給油船左アリゾナ,三列目右ヴエストパージニア,左テネシー 四列目右オクラホマ,左メリーランド,半分写っているのは給油船,
この外にカルホルニアどペンシルパニアがあるが写真面外


ある。メリーランド型だ。照準器を通して見ると、どの艦もみな外舷(艦の外側)が真っ赤になっている。第一次攻撃隊の戦果だなと、未だ地上砲火の恐ろしさを知らぬ私は、そう思った。ところがそう思いなが
らよく見ると、とんでもない誤認だ。猛烈に黒煙とともに炎を噴き出している中から、彼等は必死に対空砲火を撃ち上げているのだ。初めて見る地上対空砲火の恐ろしさ、熾烈だが、今はただ美くしくさえ感ずる防禦砲火、黒煙の中に見える灼熱の砲火が一緒になって、全艦真っ赤になっていることがわかった。
「高度三○○○メートル」
中田一飛が報らせてきた。
「オーイ」
戦艦の形が、ぐんぐん大ぎく追ってくる。敵の高角砲、機銃の打ち出す弾丸が、閃光が、はっきり見える。
機は激しくあおられる。私は自標艦の機銃台を照準器に入れ、機銃掃射を加えた。
タタダタダ
小気味よい音とともに、最初の曳光弾は自標をそれたが、次第に修正しながら射撃を続けていった。七・七ミリ機銃二

挺が、軽快な昔をたて続ける(急降下で固定目標の場合は、高度ご三一千メートルから射撃することになっていた)
既にその頃は、照準器に入るものは敵弾ばかりである。沈みゆく艦からもまた、自分の飛行機に向って撃ち返してくる。その戦闘精神の勇ましさは、なかなか敵ながら天晴れなものである。
どれもこれも、全部の敵弾が私の飛行機を犯っているようだ。私はしやにむに突っ込んだ。敵弾は照準器に大きくなって迫ると、すいすいと機側を掠めて流れていく。猛烈な黒煙のため、もはやわが機の曵光弾の行く方は皆目わからない。

命中!煙突後部

「高度二○○○メートル」
敵弾はいよいよ激しくなった。機が爆風にあおられている。照準器の中は、一面の火である。暑い。全身汗ばんでぎた。高度が下がったための暑さが、敵砲火の灼熱のせいにすら感じられた。
「高度一○○○」
中田一飛は、案外落ちついていた。だが照撃器の中は、いや、風房から見すかす前面は、紅蓮の火の梅だった。炎の切れ目にわずかに艦型を認め得るだげだった。
フォード島が、その岸が、戦艦が、ぐんぐんせり上がってきた。煙と炎を通して、戦艦の艦橋が照準器内いっばいに拡がった。
「高度六○○、ヨーイ、四五○、テー」
その声に、爆弾投下の把柄をぐいッ!と握りしめた。
二百五十キロの爆弾は機を難れた。
私は、機首を起して、外側の艦から、狙った内側の艦上を横ぎった。
「命中!煙突後部」
中田一飛が伝えてきた。私は、愛機をわずかに傾けて振り返った。もくもくと立上る黒煙の中に、龍マストがフワリと舞い上がって傾いた。そのとき、猛烈に曳光弾が、機側を掠めるのに気付いた。はッとして、弾道の方向を辿ると、前方・・・フォード島の反対側に碇泊している艦からである。反撃するに寸は、既にわが機は、その艦の付近を飛んでいる。それを越え、機位を立て直して、撃ち上げてきた艦に突っ込んだ。
タッタヅタヅタッ!
銃身も焼けよとばかり、焼夷弾を撃ち込んで通り過ぎた。

高度10メートルで飛行場銃撃

振り返って弾着を確かめたとき、一番機を見失った。しまった・・・と思うが、もう遅い。単機で、市街へ出て、屋根を掠めるようにしてバーバス飛行場に向った。チラチラ、と人影が動いている。飛行場は、すでに黒煙と炎の海だった。だが、ピカピカ光る真新しい双発が、まだ行儀よく並んでいる。操縦桿を前へ押して射撃に入った。機銃弾は、尾を曳きながら双発の機体に吸い込まれていった。
操縦桿を引いて機首を起こした。高度約十メートルー。と債察席の機銃が唸り出した。中一飛が、待ってました、とばかり撃ちまくっているのだ。
「勝、頑張れ!」
声援を送るのも束の間、再び機を切り返して突っ込んだ。
先刻の機は燃えている。隣りの新品機を狙って銃撃した。これも、うまく命中するのが当り前とはいえ、やはり若いい私には、うれしかった。
一番機を見失ったことも忘れて、三度繰り返した。その度、機首を起こすとき、中田一飛が撃ちやすいように心をくばっ一た。上空には、味方機が一機チラリと見えた。地上は燃える格納庫、奔流のように吹き上げて来る対空砲火・・・凄絶をきわめた阿修羅の巷であった。
地上砲火の手簿なところを縫って、私は海上に避退を開始した。
真珠湾の入口にさしかかった時だった。
突如、湾口に、真っ白な海水を吹き上げた。数にして五〜六十個所もあったろうか、爆弾投下にしては、余りに物凄い一瞬の状況であったo上空を見回したが、飛行機はいない。
「何だ?」
「何だろうな」
私たちは、そういい合っで不思譲がりながら、集合地点に向った。
右横のオアフ島は、もくもくと黒煙を上げ、五百メートルから四千メートルほどの間に、雲とはちがった巨大な雲になって盛り上がっていた。
集合予定点に辿りついたが、味方機は一機もいない。
予定時間は大分経過している。
「帰ろうか」
「うん!帰ろう」
後席からの返事で、味方機を探すことをやめ、単機帰投針路に就いた。


帰りの航法

「あッ、やられている」

オアフ島を後にしながら、幾度か振り返ってみた。まだ近い間は雲と煙との区別がはっきりしていた。立ち上る黒煙は、風に流されて、黒々と煙だけの雲を作っていたが、それも次第に、雲と煙が溶け合い、やがて私たちの視界から消えていった。どこを見渡しても海である。不思議に、海の広さが、海の大きさが、まるで初めて見るもののように感じられた。たった一機で飛んでいる感傷であったろうか。
島を雄れて一時間経過した。しかし、海上には何も発見できない。エンジンは快調な響きを立てているが、速力がにぶっている。不思議に思っていると、「あッ、やられている」
中田一飛が突然叫んだ。
「何だ」
「ガソリンタンクの横をやられている。機銃弾です」
見ると、タンクの横を十センチほど難れたところに穴があいている。
「危なかったな」
「本当に危なかったですな」
「他にやられていないか、調べてみろよ」
中田一飛が探すと、翼の根元、偵察席の後とエンジソの近くなどに、計四発の被弾が発見された。しかし、何時撃たれたのか全然覚えがない。とはいえ、まるで雨風のような対空砲火の中を突き抜けてきた愛機が、たったこれだけの被弾だったとは、運が良かったというべきであろう。
献納した女学生たちの祈りが通じたのでもあろうか、被弾を見て、今更のように運の良さを感じるのだった。
一時間半経った。
だが、まだ母艦も、艦隊の姿も見えない。
「勝、航法は問違いないか」
「大丈夫」
「本当か」
「間違いないです」
げれど、心細い。青海原だけが無限に続いている。
何とかして帰りたいと思った。今頃は日本中に知れわたっているだろう。父母たちは、どんな顔をしてラジオを間いているだろうか。またしてもそう思うと、是が非でも帰りたいという気持でいっばいだった。
二時間経った。燃料は、あとご三十分しか残っていない。帰り着けないかもしれないという不安がつのってくる。
「引き返そうか」
「絶対間違いないです。もう少し頑張って下さい」
「海に突っ込むより、島にいこう」
「そんなこといわず、もう少し頑張って下さい」
不安になる私の気持を、こうして偵察員が励ますのだった。
事実、島に引き返す燃料はないのだ。それを知りながら、そういわずにおれないほど心細かった。

ただ一機母艦を索めて

予定の時刻を過ぎても艦影を認め得ないのは、速力がにぶっているからだが、残りの燃料で、果たして辿りつけるであろうか。戦前、竜興で南洋方面を巡航したとぎ、母艦を出て約六時間飛び、遂に夜になって母艦に帰りついたときのことを思い出し「頑張ろう」と自分で自分を励まし、艦影を求めながら懸命に操縦を続けた。
心細い思いいをしながらも、何とか帰りたい一心で操縦しているうち、遥か前方に艦らしいものを認めた。
高度を六百メートルにし、エンジンを全開にして進んだ。「潜水艦らしいぞ」後席にそういって、更に高度を下げた。敵か味方か、ともあれ、帰路に初めて発見した艦だった。ぐんぐん近づくと、艦は浮き上がった。味方の潜水艦であった。「助かったぞ」
さっきまでの不安は何処へやら、もはや、助かった、という嬉しさで、海面すれすれまで降下して旋回した。艦橋の人たちが、日の丸を振っている。私たちの攻撃が成功したことを知っているのだろう、打ち振る小旗にも喜びの色があふれているかのようだった。
私は、不時着の姿姿に入った。と、その瞬間、前方に巡洋艦がいるのを認めた。不時着するなら、大きな艦の方がいいだろう。「向うに行くぞ」「それがいいです」相談は決まった。再びエンジンを入れ、高度をとって艦に近づいた。
巡洋艦の甲板には、沢山の人がいるそれが、旗を振り、帽子を振り、中には上着を振りながら上っている者さえいる。一旋回して不時着の姿勢に入った。と、さらにまた前方に戦艦がいるのを発見した。
「どうします?」中田一飛から間いかけてきた。「向うにしようか」燃料は残っている。戦艦の傍に不時着することにして、再
びェンジンを入れて高度を取った。戦艦に近づいた。この艦もまた、旗と帽子の波だった。甲板を通過するとき、下をのぞくと、慌しい夥しい人々が、一様に喜んでんでいる様子が見えた。戦艦がいる以上、母艦の位置は近いはずである。ここまで帰ったことを知らせ、方向を知りたいが、電波を出すことは禁じられている。高度をとって、四辺をさがした。「いた!」二人は殆んど同時に発見した。だが、加賀かどうか、まだ
わからない。
「勝、あの母艦へ行くぞ。燃料がなくなればどっちにでも行けるように高度をとって行くぞ」
そう知らせて、エンジンを全開し、高度を六百にとり、戦艦と母艦の中間にきた。
見覚えのある母艦だ。「おい、加賀だ」「加賀だ」二人は雀躍りせんばかりに叫び合った。
私は、嬉しきかった。堪らなく嬉しかった。。嬉しさに頭の芯が痺れるようだった。

帰投

母艦加賀は、風に向って艦首を立てた。
私は、直ちに着艦姿勢に移った。飛行甲板が大きくせり上がってきた。艦尾を過ぎた。スロツトルレバーを絞り操縦桿を引いた。パン
ふいにエンジンが止まった。燃料がきれたのだ。まさに間一髪というところだった。
(飛行中は械体を水平にしているが、着艦するときは二つの前車輪と尾輪を同時に接着させるため、機首をやや上に向けるので、ガソリンの残量が徴量のため後の方へ溜まり、エンジンのところは無くなって空気だけを吸うので、はじくような音をたててエンジンが止まったのである)
機体は、軽く甲板に着き、するすると惰性で走る。いつもなら、フックが掛かって止まるのに、どうしたことか、ずるずると、そのまま前方の緊急制割動索に近づく。思い切ってブレーキを踏んだ。と、ゴッン!激しい音をたてて、プロペラが甲板を打ち、機体は止まった。
(緊急制動策とは、機体が滑り落ちるのを防ぐため、艦首に近く約三メートルほどの高さに太い索を三本横に張ってある。)伊吹分隊長が走り寄って来た。牧野隊長も走って来た。そのすぐ傍をを、機付長の中田三整曹が、その他分隊の整備員も走り寄って来た。「おめでとう」

真珠湾攻撃隊の編成と成果・被害

もどる