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第13回朝日旅行会一宮ツアー加賀・能登
。越中
2005.9.2!・22 解説 生谷陽之助
1、加賀国
加賀国は当初、越前国に属していたが、平安初期弘仁24年(823)江沼・加賀那が分割され一国となった。六十八州諸国では最後に誕生した国。「延喜式」には能美・石川郡を加え、四郡の上国。国府は小松市古府や金沢市古府ともいう。中世、白山比嘩神社が神仏習合により勢力を伸ばし、また、源平騒乱の地にもなった。

室町時代の守護は富樫氏。長亨二年(1488)一向一揆が富樫氏をたおし約100年間支配したが、織田信長が鎮圧した。江戸時代は加賀前田藩が支配。俗に、加費百万石といわれるが、慶長三年(1598)の石高は約三十六万石で、前田家は加賀・能登・越中三国を合わせての百万石の大々名であった、廃藩置県後、大聖寺県と金沢県となり、のち能登国と合わせ石川県となる。

◎加賀一宮白山比嘩神社(シラヤマヒメ)
〒920-2144 石川県石川郡鶴来町三宮町TEl、07619-2-068Q
富士山・立山と並ぶ霊峰白山山頂の奥宮(御前峰・2072メートル)を神体山として禅宮本宮とする山岳信仰を本源としている。菊理媛大神(白山比嘩大神)を妃り、大汝神社(オオナンジ、大汝峰・2684メ'一トル)に大己貴命。別山神社(ベツザン、別山・2399メートル)に大山祇命を配記する。

●祭神 主神 菊理媛大神(ククリヒメ、白山比嘩大神) 配神 伊弊諾命・伊弊再命「古事記』、黄泉国で死の世界との界の黄泉比良坂で伊葬諾と伊弊再の間に入り伊弊諾を無事、この世へ脱出させた神が菊理媛という。この世と死の世界を取り結ぶ「巫女」。山は死者が帰る霊地とされ、その山の神や祖霊へ言葉を取り次ぐシャ一マン役の女神。
●その創建は遠く、第十代崇神天皇七年と伝え、当初は現鎮座地の地約1キロの船岡山にあったという。神意により養老元年(717)六月十七日、越前平泉寺の僧、泰澄大師が白山に登頂し、白山に宿る神を仏法化し、本地仏の十一面観世音菩薩として祭記した。
●白山信仰の三拠点@九頭龍川上流、越前平泉寺内の白山神社A長良川上流、美濃馬場長滝寺の白山神社手取川上流の白山本宮。いずれも白山登山口への登山こあたる。全国に白山神社は2716社。白山本宮はその総本宮である。
●延喜式』神名帳・石川郡十座筆頭の小社。神階は天慶三年(940)正二位と高位であった。天台宗延暦寺の系列傘下に人り、神仏習合。神殿・仏閣四十余、僧兵衆徒三千人を数えたという。白山七社、白山本宮・金剣宮・三宮・岩本宮(本宮四社)、中宮.佐羅宮・別宮・室町期文明十二年(1480)、本宮が焼失。三宮の現在地に遷座されたので一宮が鶴来町三ノ宮町にある。
●室町・戦国時代にかけ、守護富樫氏を滅ぼした加賀一向一撲のため社運は衰退。江戸時代は加賀前田藩の庇護を受け、社殿の造営や社領の寄進があった。明治の廃仏殿釈、伸仏分離令により明治四年(1871)白山比嘩神社に改称、国幣小社。大正三年(1914)国幣中社に昇格。五穀豊穣・大漁満足・開運招福等の神。
●社殿本殿は銅板葺流造、明和七年(1770)加賀藩主前田重教寄進。昭和四十八年から六十年にかけ御本宮遷座五百年大祭記念事業として本殿移築、幣殿・拝殿の増改築工事が行われ、社殿は一新された、、
●宝物粟田口藤四郎吉光 短刀 国宝。備前長船長光太刀・木造狛(鎌倉時代)国
重要文化財等。