シニアと旅
〒201-0015 東京都狛江市猪方1ー9ー26                                稗田すみ 74才 女 無職 
                   E-Mail: sumi318@a6.shes.net

あつたか〜いごはんにたっぷりの雲丹。こんなしあわせなことはない。最高。
今回の壱岐・対馬の旅は、お茶のお稽古の時、グループの一人が急に壱岐に行きたいといいだしたことから始まった壱岐は主人稗田の故郷。稗田は満州で生まれ育って少年飛行兵に志願し実戦にも参加した。戦後復員しても満州
へは帰れず、故郷壱岐へとりあえず帰った。そして壱岐の中学五年に編入し卒業した。(現壱岐高)その頃、親も引揚げてきて二年程壱岐に住んだという。碑田は勿論、壱岐が大好きなのだが、私(満州生まれ)も幾度か壱岐を訪ねる毎にその風土と人情の篤さに魅了されてしまっている。

この話は八月に出たのだったが、十月末稗田の帰郷する頃がよいのでは、と私が提案すると、その場で決まった。その時点では私は実現するかどうか半信半疑だった。なにせ、このメンバーは、82才女二人、74才女二人とその旦那様74才、65才女一人の六人。その旦那様は去年アキレス腱を切ってまだ完全回復ではなく、その上、今年開腹手術を受けて、今は電動車椅子で市内を移動している状態なのだ。旅行の時は、杖を二本両手について歩くから、おそいげど大丈夫と。女性たちは歳の割にみんな元気で足腰も丈夫なのだが、明治生まれの且那様をお持ちの一人の方は、今、話をすればご機嫌が悪くなって、旅行間際に、「具合が悪くなった」と言われる事請け合いだから、出発聞際まで旦那や家族には話はしない、というような事だったから。でも、対馬には一度行きたいな、チャンスだな、という思いだった。

 といっても私も予定が満杯で日程をとるのにぎりぎり。強行軍の車中二泊、ホテルー泊として飛行機なしの案を立てたが、みんな同意してくれた。幸い、この春まで有楽町の旅行社に居られたH氏(壱岐高後輩)が壱岐に帰られたと聞き、早速いろいろと:お願いした。離島の壱岐・対馬は便が非常に少ない。東京で暮らしている者には想像もできないくらいだ。その上、乗り換えの時問が少なくて、とてもこのメンバーでは間に合いそうもない。対馬は見送りだな、と思っていたのだが、H氏から今回の旅行は時間をお金で買いましようとファックスが届き、京都までは新幹線、京都でゆっくりブルートレインに乗り換え、博多朝06:04着、07:50発飛行機で対馬へと。これならOK。そして飛行機の切符の手配、対馬での空港出迎えのジャンボタクシーの手配、有名な石焼志まもとの昼食予約、壱岐へは厳原より15:25と。そし

て壱岐の観光コース。至れり尽くせりの手配だった。

 こうして対馬空港からのジャンポタクシー7時間観光がはじまった。全国的に雨の予報だったがまずまずの曇天。そのうち激しい雨に見舞われたがタクシーの中、まもなく止み、午後からは快晴となった。万関橋(橋の下の切り立った海峡は明治33年、日本海軍が掘削した人工の瀬戸と言われている)、上見坂展望台(快晴ならば緯国がみえるという)、

途中、対州馬(日本馬の原種)、ツシマ鹿、高麗キジも見ることが出来、椎根石屋根、お船江跡、壱岐観光はみやま荘の番頭さんの運転。説明は番頭さんと稗田の役。猿岩(大きな猿そっくりの奇岩)、立石古墳、黒崎砲台跡、掛木古墳、壱岐神社(弘安の役跡)、お昼は待望の壱岐牛「うめしま」で。ここでお世話になったH氏と顔合わせ。ステーキのなんと美味しいこと。牛肉が一番好きというK子さんは勿論、みんな舌鼓を打ち、大満足。ここの女将さんも壱岐高の後輩という。再び観光、その当時皇太子妃だった美智子様がここで私も泳ぎたいと言われたというそれは美しいコバルトブルーの筒城ヶ浜、原の辻遺跡、岳の辻を見ながら左京鼻、赤いよだれかけをして海の中に立っている可愛い六体のはらほけ地蔵さん、壱岐焼酎工場。時間がなくなり、鶴光もあちこち削ってしまって、案内役の番頭さん残念そう。

大好物の雲丹工場海母心では、本日雲丹の特売と旗が出ている。私は雲丹を思う存分食べたいので、お土産用、お徳用と、たっぷり買った。みんなもいろりろと買っている。お土産も荷物も全部一緒に送ったM子さんはバッグひとつになって身軽。ここの社長も稗田の知人と。最期に稗田の菩提寺へ。お寺さんでは、おすしに煮物、おいしいからと般若湯に壱岐焼酎、飲めない筈の人たちが、和尚さんのおすすめで全員焼酎を味わって、おいしいと言ったのには驚いたが、お土産にとみんなにお茶まで下さったのには恐縮した時問ぎりぎり、一路郷の浦港へ.お墓の掃除、旧友との再会で残る稗田を後にジェットフオイルは出港した。博多での乗り換え時間もたっぷりブルトレロビーカーでの壱岐特製の雲丹弁のおいしかったこと。しばらくおしゃべりをして、あとはおやすみ、夢の中。

最期までたのしく旅が出来た事は本当.に嬉しかつた。疲れたという人も一人もなく、杖二本で頑張って渉いた人も、みんな無事東京着。新宿でお昼を一緒にして、小田急線狛江で解散。こうして私たちシニアの旅は終わった。みなさま、

ありがと,うございました。


”この原稿は稗田すみ様が地元のメデイアに投稿されたものを拝借転載しています。何かの参考になれば幸甚です