トインビーの紹介者 公益事業委員会から退いた松永に、鈴木大拙はトインビーの大著「歴史の研究」を挙げて説いた。「戦前の日本人は一種偏狭の頭でっかちであった。精神主義に走って事を間違えた。戦後は逆に工業力を付けつつあるが、敗戦でコンプレックス「に陥っている。この「歴史の研究」のような本が読まれると、コンプレックスの克服に良薬になるのいではないだろうか」・・・・松永はこの6000ページに及ぶ原書を翻訳させて日本で出版することを思い立ったのだ。フランスでも翻訳しようという話があったのだが、あまりの大著に関係者が断念したほどだった。邦訳にして全25巻に及ぶもので、もちろんソロバンには会わない。 昭和29年(1954年)ロンドンを訪れた松永は、英国外務省の所有する由緒ある建物の「チャタムハウス」でトインビーと会った。松永は鈴木と話したことを思い出しながら、所見を述べた。
帰国した松永は翻訳陣を整え、ライフワークとも言うべき作業に取りかかる。邦訳が完成して出版となったのは、昭和41年(1966年)4月である。その刊行の辞を書くため、松永はオスヴァルト・シュペングラー「西洋の没落」を原書で読み、赤や青の線で一杯にした。トインビーの「歴史の研究」が「西洋の没落」の影響を強く受けていることを知っていたからだ。このとき、松永92歳。驚くべき頭脳とエネルギーである。出来上がった大著を横にして、松永は周囲の者に力説した。 「日本人はいかにも視野が狭い。そのためにあんな戦争を始めて負けてしまったんだ。これからの日本人は広い視野に立たねばならない。それには、この「歴史の研究」を読ませるのが一番だね」 注:「歴史の研究」壱岐郡郷ノ浦町立図書館への寄贈は昭和45年9月17日である。 (情報源:爽やかなる熱情・水木揚著・日本経済新聞社、ページ342−344) |