元禄期に一の宮巡拝した人 先覚者橘三喜がいた
平成の一の宮巡拝はじめよう
 
全国の一の宮を巡拝する人が日を追って増えてきている。四国ハ十ハヶ所のお遍路もさかんで、その模様はNHKでも放映されている。日本人が精神的安定を求めている一つの証拠である。戦後は高度成長をもとめて大切なものを失った。その失ったものが余りにも大きい。

 それを探して、彷徨っているのかも知れない。そんなときに、全国一の宮会で『全国一の宮御朱印帳』が発行された。人は自分で歩まなければならないが、何か記しがないと、行動しないものである。神様が日本人に与えて下さった機会かも知れない。

 江戸時代すでに諸国一の宮を巡拝していた先人がいた。肥前国平戸の橘三喜(たちばなみつよし)である。この先覚者に敬意と関心をもって、この人物を小説にすることにした。幸い時代作家の郡順史氏が意欲を示され、連載することになった。挿絵も梶鮎太氏にご快諾頂き、今後の展開が楽しみである。本紙も読めるものになるよう読者をはじめ各方面からのご協力を得たい。一の宮巡拝を二十一世紀のメッセージとして、講談社から土門拳氏の「古寺巡礼」に引けをとらない写真集をということで、写真家の立木寛彦氏が名のりを上げ、三年計画で撮影に入った。

 さらに鎌倉の鶴岡ハ幡宮の季刊誌『悠久』に連載の「全国一宮祭礼記」を来年秋に(株)おうふうから出版予定と、まさに一の宮の神々が仕掛けられたとしか思えないことが進行している。とにかく、江戸時代に「元禄地図」「一宮巡詣記」があるように、庶民が一宮巡拝をした。その原点から出発したい。
 小説「橘 三喜」ついに完結

                   木思石話
 この春、大阪の住吉大社と靖国神社遊就館講堂で「世界に開かれた神道」という講演会があった▼名古屋商科大のイギリス人ピツケン教授、アメリカ人神流神社バリッシュ宮司と
国一の宮椿大神社山本行隆宮が講師▼それに興味をもってシアトル郊外の神流神社を参拝した▼どうであろうか森林の中に鳥居、手水所、本殿には檜の香りのする本格的な神社で堂々と日本語で祝詞が奏上される▼バリッシュ宮司は英訳したら意味がなく、祝詞は神とのバイブレーションだという▼日本人以上に人と神・自然との関係を知り、日本人として恥ずかしくなるほどである▼境内に清流が流れ、ここで禊をし、神前は合気道の道場で鍛え、まさに体得によって神意を感じる▼神道を学ぶのではなく神を感じ、神に感謝することは、日本人も外国人もない▼将来、外国人も一の宮の存在を知ったら巡拝を始めるのではないかと思うほど彼らは行動力がある。▼放射能を浴び、被爆者が出る事件が東海村で起きた。いまこそ神道に問うときである。