朝日旅行会一宮巡拝ツアー播磨・美作国(1)
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                              2004年10月6日(水)解説 生谷 陽之助
1.播磨国  紀伊国

 古くは針間・鴨・明石の国造が支配。太化改新以降一国となる。明石・加戌・賀古・赤穂郡等12郡からのち16郡。国のランクは大国。摂津との境界は山陽本線塩屋あたり。国府は姫路市の中心街、播磨総社、射盾兵主神社の西に国衙跡が発掘されている。 国名の由来は岩山に針を刺すように木々が蘇生している風景から「針間」とも、海岸線が弓を張るような形から張る浜、ハリマという。播磨灘沿岸は古代から塩田が開かれ、平野部は上質な播州米の生産地であった。兵庫県は摂津・丹波・播磨・但馬・淡路の5カ国が含まれているが、その沖心国である。 南北朝以降、蒙族赤松氏が支配。戦国時代に豊臣秀吉等が手掛け、慶長年間に池田輝政が完成した白鷺の城、姫路城は世界文化遺産として有名である。

播磨一宮伊和神社 〒671-4133 兵庫県宍粟郡一宮町須行名旧国幣中社。  延喜武内播磨50座のうち筆頭   の名神大社、伊和座大名持御魂神社。

主神 大己貴命(大国立命)配神 少名彦命 下照姫命
 創建は第13代成務天皇(2世紀)の頃とも襲29代欽明天皇25年(564年)と伝え  る。
 大国主命が各地を開拓され、農業や医薬の普及など人々の生活を安定され、  この伊和の里へ来られた。そLて 「もう仕事は終わった、於和)といわれて鎮  座されたという。

少名彦命 大国主命のプレイン役の神様。医薬、酒造等の守護神

下照姫命 大国主命の姫君。母君は宗像三女神の一神、多紀理姫命。同母   兄に迦毛大神味耜高彦根命がら  れる。拍嘗一宮倭文神社の主神でもあり、 安産の守護神。

御神位 貞観元年(859牢〕、従五位勲八等から従四位下。一條天皇正歴二   年(991年)、正一位。
  農耕の神、福の神、牛馬安全の神とされている。

社殿は嘉永5 年(1852年)、焼失。文久2年(1862年)、領主安志藩小笠凍信  濃守貞幹が再建。本殿は正  側面とも一間、人母屋造平入の正面に向拝   の縋破風を附加した  檜皮葺。幣殿は正面三間、側面五間入母  屋妻入  。本殿両脇の末社は播磨国十六郡、延  喜式内社50座の神を祭祀Lている

鶴石 本殿裏の鶴石は伊和の神が「我を祀れ」と神託され、白鶴が舞い下り石 上に眠った跡という。
『播磨風土記』の説、古代、播磨に伊和族がいたという。この伊和王国へ出雲 族が侵入征服。目的は背後の中国山脈の砂鉄という。戦いに放れた伊和王は 「この地にわが墳墓をつくれ、一族の行く末を見守っていよう」と遺言したと伝え る。この説だと、伊和の神は出雲の大王大国主命にスリカエられたことになる。
 また、この地で出石族天日檜命(但馬一宮出石神社の神)と出雲大国主軍団  と貴重な鉄資源の砂鉄をめぐって、激しい戦いがあったと、風土記はいう。天日 槍命は新羅の王子で鉄器文明をもたらしたという。青銅器から鉄器時代への  変遷のころであろう。

播磨二宮荒田神社(加美町)三宮酒見神社(現住吉、加西市〕四宮白国神社( 姫路市〕

2.美作国
 美作国は古くは吉備国こ含まれ、「真金吹く吉備の国」と呼ばれ、砂鉄の原産  地てあった。飛鳥時代、備前国こ包括されたが、奈良時代和銅6年(713年挿) 、北部の大庭・苫東・英多郡など6郡で一国とされた。
 国府、国分寺ともに津山市総社にあり、その名称は大庭郡三坂山こよるものと もいう。三万佐加ともいわれていた。蒜山高原等の山々を源流として、吉井川・ 旭川の大河が瀬戸内の平野へ注ぐ。津山盆地には、後朗古墳群が密集し、弥 生時代の住居遺跡も多い。中世の守護大名佐々木、山名、赤松氏などが支配  。戦国時代は尼子、毛利氏が勢力争いを続けていた。

美作一宮中山神社 〒708-0815 津山市−宮695
 旧国幣中社。廷喜式内美作国11座の筆頭名神大社。中山神社はチュウサン ノジンジャと呼ばれていた。仲山犬明神、南宮ともいう。
主神 鏡作命(鏡造)美濃一宮金山彦命同神とする。配神 天糠戸命(アマノ  ヌカド〕石凝姥命(イシコリドメ)。この祭祀は明治13年(i880年)、中山神社縁  起(室町末から江戸期〉により決定。『神道大辞典』では鏡造命と石凝姥命は  同神とする。天照大神の天岩戸に集える神々の一神。『古事記』は伊斯許理度 売命(イシコリドメ)。天香具山の金を掘り三種の紳器「八咫鏡』を造られた神。 鏡造部の遠祖とする。

 天糠戸命は石凝姥命の父君とするが、この神が八咫鏡を造られたという説も  ある。天孫降臨供奉、諸元檀三十二神の一神である。また、『日本書記』には  天孫降臨供奉の太幹部五神として中臣上粗、天児屋命・忌部上祖、太玉命・  猿女上祖、天鈿女命・鏡作上祖、石凝絶命、玉造上祖、玉屋命の名がある。

鉱山開発・刀剣武器類・農耕機具等金属妓巧の神。中国山地の砂鉄採掘、精 錬にかかわる「タタラの神」。美濃一宮も同じじ金属加工の神で、関に刀剣等の 鍛冶屋がある。同様こ吉井川を下れば、名刀の産地、備前長船に着く。 近畿 に鏡野町に香々美という地名あり。昔、鏡作部の集落があった。

創建は奈良時代初期、文武天皇慶雲3年(706年)。神位、貞観2年(860年)、
 従四位下、同17正三位、金属の神、牛馬・農耕の神として信仰されてきた。

社殿 永禄2年(1559年)、出雲の戦国大名尼子晴久が再興、国重要文化財。 本殿は大社造を基本とする。入母屋造妻入方三間、中山造という。鳥居は中  山鳥居。
中山の紳の謎 中山の神こ関して諸説がある。吉備津彦命や大己貴命説もあ った。もう一つ、猿田彦命とも擬する猿神の伝説がある。

 平安時代12世紀初めに出た説話集「今昔物語集」がある。以下、その巻二十  六第七。「美作神、依猟師謀視止生賢語」「今昔、美作国ニ中参・高野卜申神  在マス。其神ノ体ハ、中参ハ猿、高野ハ蛇ニテゾ在マシケル。毎年ニ一度其祭 ケルニ、生贄ヲゾ備ケル。」中略社前には「長七、八尺許ナル猿、横座二有リ、 歯ハ白シテ、顔卜尻トハ赤シ。次々ノ左右二猿百許居並……」。

  美作国に猿の神がいて毎年祭の夜、罪のない生娘が生贄にされていた。こ  れを助けるため、勇敢な猟師が猟犬二匹と身代わりになり、長檀こ入り大猿、 小猿の大群を退治する物語である。猿田彦神の脊属は猿・狐ともいう。中山、 チェウサンすなわち中参の山の神は猿の化身というストーリ−であるる。近くの 磐座といやところに「にえんどう」という地名があり、猿神社がある。

  ちなみに高野という「蛇」の神を祀る高野(コウヤ)神社は、美作国二宮とされ 、津山市二宮に所在する。延喜式内小社、、苫東郡高野(カウヤノ)神社の移  転説。「延喜式」の誤記ともいう。現在地は旧苫西郡。 主神 鵜茸草葺き不合 命 配神 犬己貴命 鏡作命
続く