シルクロードの果てに”ユートピア国家・ニッポン・ジパング”が存していた・・・・???。

徳川将軍展ポスター「大航海時代の日本-ZIPANGのイメージ」(ロスアンジェルス)
世界のイラストレーター長岡秀星氏作品(許諾済み)
日本国民のお手本「皇室・・・・国の
日本人が憧れるペルシャ文化・・・

サヘル・ローズさんのMISSION

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つづき・・・・情報源:産経新聞H22('10)12.20〜23)

ANS:サヘル はい。施設では週1度、きれいな服を着て一列に並ばされる。養子縁組のオーディションでした。18歳までに里親が見つからないと、強制的に施設を出される。

Q:あなたはお母さんと再会できた

ANS:サヘル お母さんは、私がまだ施設にいると知って会いに来てくれたんです。毎日来てくれたけれど、30分で帰ってしまう。最初は会いにきてくれるだけで十分だったんですが、ある日彼女にお願いしたんです。「お母さんになって」って。

Q: 〇Kの返事をもらったんですね

ANS: サヘル いいえ。お母さんは困った顔をして、それから施設に来なくなった。私は毎日泣いていた。嫌われた、言うんじゃなかったって。でも、ーカ月後に彼女が来て、「本当に私の子供になりたい? 私でいいの?」と聞いてくれたんです。あの日、あの瞬間、私はシンデレラになったんです。

Q: 施設と別れる日がついに来た

ANS: サヘル 施設の仲間は「良かったね」「また会おう」と笑顔で言ってくれた。でも、「また」はありませんでした。みんなの安否はわからない。生きていても幸せになっている確率はあまりないでしょう。私はいろんなチャンスがあって、たまたま幸せになれた。でも、幸せになれる子はほんの一握り。自分の存在を誰にも気づかれずにいる子が大勢います。

Q: 幸せになれたから、恩返しをしようと?
ANS: サヘル つらいことも多かった。2人で死のうとしたこともありました。中学生のころ、私はいじめに遭い、生きる意味がわからなくなりました。ある日、家に帰るとお母さんが泣いていた。1週間で500円しかなくても、「500円もある。どうやって楽しもうか」と言うようなお母さんが、泣きながら「お母さんも疲れた。楽になりたいね」と言ったんです。

Q:そもそも、なぜ日本に来ることになったんですか?

ANS: サヘル お母さんの婚約者が日本にいたんです。お母さんは孤児院から私を引き取ったことで両親に縁を切られてしまって、頼りは彼しかいなかった。最初は、彼も優しかった。でも、2人は若いし、自分たちも子供を授かりたいのに8歳の子供がいるのは複雑です。しかも私は施設で育って、食べ物をがっつくような癖がついている子供でした。そのうちに彼は私をぶつようになり、熱いスプーンを体に押しっけたり、風呂場に一晩中閉じこめたり。守ろうとしたお母さんにも手をあけた。お母さんとアパートを出ました。

Q:それでホームレスになった

ANS: サヘル 行くところは公園しかなくて、公衆便所で雨宿りしました。私は学校で給食を食べられるけれど、お母さんは食べるものもない。パンやミカンを持って帰りました。学校がない日は、閉まるまで図書館にいた。異常にたくさん食べて、いつも同じ服を着ている私に声をかけてくれたのは給食のおばちゃんでした。校長先生が一対一で日本語を教えてくれていたので、当時しゃべれる限りの日本語で、おばちゃんに事情を話しました。

Q: 驚かれたでしょうね
ANS: サヘル おばちゃんは私を家に連れて行ってくれました。2週間ぶりにお風呂に入って、テレビで「遠山の金さん」を見ながらご飯を食べ、硬いベンチでなく、ふわふわのベッドで寝ました。住むところも探してくれました。

Q: 子供時代には、ずっといじめにあっていたと聞きましたが、いつごろからですか?

ANS: サヘル 埼玉から東京の小学校に転校してきて、誕生会をしたんです。お母さんがスーパーで半額になったバナナロールを2つ買ってきて、3等分して6人で分けた。次の日学校に行ったら、あそこは貧乏な家でひどいケーキが出た、と噂になっていました。

Q: 中学校でもいじめはやまなかった
ANS: サヘル 近所の中学に進学したので、噂は消えませんでした。そのころ、イラン人が薬物を売っているというニュースが話題になって、イラン人は悪者というような考えをみんなが持ってしまって。「あんたがいるだけで空気が腐る」とかいわれました。日本語をしゃべれないお母さんが学校に来て、「悲しい思いをさせないでください」と先生にお願いしてくれたけれど、変わりませんでした。

Q: 先生は力になってくれなかったんですか

ANS: サヘル ある日、理科の実験でバラの花をもってくるよう言われました。ほんとうは、ツナ缶1つを3日分の昼食にしていたお母さんに、200円のバラを買いたいとは言いにくかった。でも、お母さんは「私ががんばっているのは、サヘルにみんなと同じように生活をしてもらいたいからよ」と言ってお金をくれたんです。でも、そのバラを持って教室から理科室に移動中に、後ろから体当たりされて、落としたバラを踏みつけられてしまった。先生は、やった子をしからずに、私に「お前は授業を受けられないからな」と言いました。(道丸摩耶)