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電力の鬼(松永翁)も恐れた(尊敬した)三人のうちの一人が竹田黙雷禅師=壱岐勝本出身・・・・尊敬した他の二人は、福沢諭吉先生とお祖父さんだったという。


再認識しよう万葉公園のこころと禅師の声 臨在禅 "アホ"になる修業

?? 禅師の一喝で建仁寺(YOUTUBE)の仏像もどる ??


詳細は下記長崎県HPhttp://www.pref.nagasaki.jp/bunka/hyakusen/iki_tusima/034.html
●竹田黙雷
 竹田黙雷は臨済宗建仁寺派第4代管長。平戸藩士竹田克治の四男として現在の勝本町西戸触で、安政元年(1854)に誕生。7歳で石田町の太陽庵で出家。15歳の時福岡へ渡り崇福寺蘭陵や黒田藩儒亀井南冥、秋月藩儒近藤木軒に学ぶ。

  その後20年にわたり京都の妙心寺越溪、岐阜の正眼寺泰龍、京都の大徳寺儀山、建仁寺俊香A高台寺友雲、平戸の雄香寺釣叟、久留米の梅林寺三生などの高僧に参禅した。

  明治13年、臨済宗大徳寺派から建仁寺派へ転じ黙雷と号した。同22年36歳で三生老師の印可を受け、同25年建仁寺管長となり神仏分離令後の仏教界の乱れを正すために僧侶の教育と養成につくす。
  39年間の管長在任中に僧俗約4000人の弟子が集まり、建長寺管長菅原時保など12人の法嗣(はつす)を育て5人の僧に三生老師の代理として印可を与えた。異色の弟子に
伊藤博文、河野広中、鈴木大拙、清沢満之、新島八重子などがいる。昭和5年入寂。77歳。



 雪州会のバックボーンの形成に影響を与えた先人たち。
竹田黙雷禅師(1854-1930) 、エピソード 万葉公園 壱岐市 禅文化研究所 建仁寺
 (竹田黙雷(たけだ もくらい1854〜1930) 臨済宗の僧。建仁寺第369世。長崎県生。大変優れた禅師で、 数々の著名人が黙 雷より禅を学んでいる。伊藤博文もその一人。)・・・・廃仏毀釈の嵐を体験されている(1868ー1872)。
福沢諭吉【天保5年12月12日〜明治34年2月3日 (1835〜1901)】
松永安左ヱ門【1875年(明治8年)12月1日-1971年(昭和46年) 6月16日)】ウイキペヂアフリー百科事典
鈴木大拙、【1870〜1966】画像で聞く
アーノルド・トインビー((Arnold Joseph Toynbee, 1889年4月14日 - 1975年10月22日)は、イギリスの歴史学者。)=”歴史の研究”翻訳&全国公立図書館寄贈!となって現れた。・・・・これを全国の子供たちに読ませたら日本は大丈夫・・・と。

ヤフー検索
廃仏毀釈http://www.photo-make.co.jp/hm_2/ma_20.html
明治元年末以降、強力な廃仏毀釈が行われた藩は、隠岐、佐渡、薩摩藩、土佐藩、平戸藩、延岡藩、苗木藩、富山藩、松本藩などである。特に明治維新を起こした藩では民衆の参加も狂信的で仏像を始め、仏具、仏画、絵巻物、経典、など全てが破壊された。今でも九州には有力な大寺はない。この時、破却、廃寺された寺は全国の半分に登ったという。はっきりした数は把握されていない・ しかし、政府にとっても江戸開城の前であり、仏教界の動向が必要な時期でもあるため、過激すぎた首謀者は処罰された。明治まで仏教との下におかれた感のある神職達が、政府に迎合する形で暴発した感じである。廃仏毀釈は明治初年(1868)から4年(1872)頃まで荒れたが、廃藩置県の施行と供に徐々に民衆の抵抗に遭い頓挫していった。(廃仏毀釈の例はあとで詳しく述べています)

神仏分離・廃仏毀釈の歴史経過http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken43.htm
廃仏毀釈ウイキペデイアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88
罰当たりな禅僧: http://homepage1.nifty.com/mangetsu/bn/siryo/s038.html ・・・・これじゃあ!電力の鬼もびっくり仰天!???

『罰当たりな禅僧』

  明治時代の禅僧に、竹田黙雷(たけだもくらい)という人がいました。
  この人の祈祷法というのが凄まじいのです。他の宗派から見ると、罰
  当たりと言っていいかも知れません。こんな具合です。

  「さあ、八百万の神々よ、おれの言うことを聞け! 俺の言うこと
   を聞けば尊敬してやるが、もし聞かなかったらただではおかない
   ぞ! 神々の奴隷ども、なにをぐすぐすしておるのだ! 十分の
   守護もせずにそれで役目が立つと思っているのか! おれが主人
   公でお前ら神々はおれの家来だぞ! 主人の命令を守らない神々
   ならば、どんどん放逐してしまうぞ!」

  祈祷というよりも、ほとんど脅し、恐喝に近いものがあります。それ
  も脅しているのは神々ですからね。ところが、罰が当たるどころか、
  これで実際霊験あらたかな名僧だったというのですから、凄い話です
  よね。

  黙雷には、こんな話も伝わっています。ある臨済宗の寺で、大法会が
  催されたときのことです。予想より多くの雲水(千人以上の修行僧)
  が集まり、食料が足りなくなくなってしまいました。

  すると、黙雷は台所に守護神として祀ってあった韋駄天尊を荒縄でグ
  ルグル巻きに縛り上げ、「貴様がぐずぐずしておったから、こんな始
  末になったのだ!」と、その韋駄天像を打ち叩きはじめたのです。す
  ると、間もなく、全国から新しいコメなどの食料が送られてきたとい
  います。なんか、神様が可哀相にさえなってくる話です(^^;

  禅宗というのは、基本的に現世利益の祈祷や呪法は行わない(建前と
  して)。あくまでも『坐禅』による修行を第一にしていますから、祈
  祷法らしい祈祷法はないと言えます。ですから、こういった物凄い祈
  祷が行われることもあったようです。

  怨霊を退散させるのも、「喝ーッ」の気合い一発です。有り難みはあ
  まりないように感じますが、霊験は格別のものがあったようです。そ
  の人自体に力が在れば、方法はなんでもいいということなのでしょう
  ね(^^)(naku)


奇品堂「黙雷古墨蹟」http://www.kihindo.jp/koten/0808.html
麻生圭子 DIARY:http://www.keiko-aso.com/blog/sb.cgi?day=20050922
黒木城:http://www.ne.jp/asahi/kokura/mcqueen/new_page_299.htm
建仁寺専門僧堂:http://homepage3.nifty.com/zentoin/shugyoudoujou.htm
竹田黙雷 左辺亭と号す 壱岐の人: http://web.kyoto-inet.or.jp/org/jikyu-an/j7315.html

淡彩猪突図  竹田黙雷老大師 自画賛: http://web.kyoto-inet.or.jp/org/jikyu-an/jetodetail.html
[名僧の書  建仁寺 竹田益州]: http://www.gihodo.jp/sales/detail/ekisyu.htm
雪州会: http://www.sesshuukai.com/HTML/Ikino-Ijin.html
蓮慈光美術: http://www.jikoh.com/detail/51012197.html
何でもお宝ギャラリー: http://www.eonet.ne.jp/~hidemaru/page019.html




十六 左辺低の故事・日蓮の禅機、などなどユーモアに満ち満ちています。