松永安左エ門翁の精神に学ぶ」 壱岐国ルネッサンスに賛同して                
  
メガロポリス東京応援団有志         

18歳まで壱岐で過ごし、ふるさとを後にして以来、42年間、思えば長くもあり、一瞬でもあるような気がします。この間何を考え、何をしていたのか、定年と共に振り返るようになって早くも5年を過ぎました。「おまえ暇なんだからふるさとのために働け」と、雪州会幹部(同級生)から言われ、「そげんこたあ、俺にゃあでけんばい」と断っていましたが後輩のため、ふるさとのために働くのは先輩の義務じゃろがという言葉には、返す言葉がありませんでした。なんとなれば、さんざん先輩という先輩にはお世話になっていたからです。また、翁の「愛郷心のない者は、どんなに世間で偉くとも、人間としての価値はない」という雪州会誌をよみ、感動もしておりました。引き受けたのが壱岐高東京同窓会会長の大役でした。引き受けた以上は責任を持ってとは思いましたが現実は優秀な後輩たちに支えられた、お人形だった事も事実であります。この間、なんと言っても、壱岐高の春高バレーと翌年のインターハイ出場での活躍は壱岐の歴史に残る快挙だったと思います。このための、メガロポリス壱岐人の、または壱岐の人々の結束力には感謝と感動の言葉以外ありません。特に、先輩の後輩たちへの計算抜きでの支援は、やはり、東京雪州会という壱岐人の心の支えであり、その歴史・伝統の精神そのものではないかと思わされたしだいです。

 大役を終え、のんびりしながらも雪州会等には出席していましたが今回は雪州会副会長として末席を汚しております。また、すべてから開放され、マイペースの人生(ストレスなし)の素晴らしさ、「
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ・・・云々」(マッカーサーの執務室の壁にあったサムエル・ウルマン作)という詩に出会い、それが翁の訳だという事を知り、これまた感動しております。これら一連のふるさとへの思いは、静に己を振り返れば、俗に云われるようなもの以外に特別なものはなにもない。個々人のそれぞれが育った風土、それがすべてであり、心の支えになっていて、それが価値観として育ち、世間の荒波にもまれ、耐え忍んできた力をくれたのがふるさとであろうと改めて再認識しています。

 かかる背景の中、壱岐との交流の中で今回の”壱岐国ルネッサンス”に出会ったのです。それが”
壱岐卜部”を知るきっかけとなり、壱岐卜部の子孫の占部英幸様との出会いであります。鮭も、生まれた川を下り、太平洋の荒波にもまれ、傷つき、疲れはて、最後に生まれ故郷の川にかえってくるという本能を持っています。人間様も同様に、古来よりふるさとへの想いを共通に持っています、育んでくれたふるさとの大自然が何時の頃からか、だれが、作ったかすら知らない鎮守の森やそこに座すお地蔵さんやお神様の意味や、先人の智慧を思い出すのもまた自然な感情ではないのだろうかとの思いをしている時に一の宮巡拝する事で、先人達の智慧を再認識でき、これが「目に見えない力を感じ」、今日の心の荒廃を救う一助になるという話を聞き、日頃のふるさと観と一致したという事であります。

 従って、これらは個々の心の問題であり、組織として動く問題ではないことは当然ですが、メガロポリス東京応援団有志として応援すべくホームページを立ち上げております。その思いの原点は一の宮巡拝の考えに殆ど網羅されていますのでホームページをご訪問いただければ幸甚です。特に強調したかった事は、殆ど壱岐人は知らないであろう、司馬遼太郎の書かれた”
特異なシャーマン壱岐神道”の壱岐卜部を知ることは壱岐の島民の歴史を知ることと共に、先人達が何を、考え、何をしてきたかが、また地勢学的な状況からも、壱岐の気候風土の厳しさ、玄界灘の恐ろしさ(春一番の碑)、または、古来からの日出づる国として黄金の島の姿を想像力で、感性で振り返る事は素晴らしい事ではないでしょうか。そこには、「文化は東から」という言葉があるように、中国から見た東海(=日本)に位置する壱岐・対馬そして日本は不老不死の仙人の国・黄金の島だったという漢書にある伝説は夢を掻き立てる話です。叙福伝説の蓬莱島・壱岐に行けば日本が分かるといっても過言ではない。と

 歴史は学者が、学会が認めたものでなければ歴史ではないとよく日本の歴史を否定する要素になっていますが例え、どんなに偉大な学者であろうともその時代に行くこともできないし、証明することもできません。できることは、その時代に生きた人たちは何を、考え、どの様な生活様式をもっていたのか、などを今日の科学の総力を挙げて想像する事しかできないのです。その時代の、それを問題にした人たちが創造したとしてもその中には、その時代の想像力が感性が今の人間と同じかもしれませんし、そうでないかもしれません。そこに充分にアイデンテイテイーを感じ取る事ができるのです。今日生きている人がこれらを抹殺する権利はありません、むしろ先人を冒涜することになると思います。

 世界の歴史を日本人はすべて西洋から学んでおり、特に、大航海時代以降の歴史は侵略(植民地化)の時代といわれていますが日本は唯一その災いからのがれました。唯一、元寇の役では
壱岐・対馬が国の防波堤となっています。これらの犠牲者を時宗公は臨済禅で救いを求めています。以来、720年忘れられてきたものがNHKの大河ドラマで復活し、少弐像の建立が完成してその記念式典が終わったばかりの時であり地元としては経済的負担をご心配されるかもしれませんが国が、県が支援策を出しておりそれを神仏習合の伝統行事でボランテイア的支援のイヴェントとなれば素晴らしい事になるのではないでしょうか。国分寺も壱岐神道会も伝統にのっとり国境を越えた関係者が集い、昔を偲び、未来を語る、世界へ発信する。これこそ、国が求める県が求める理想の姿と思います。

 おわりに、今回、壱岐国ルネッサンスに出会い、円覚寺への初詣、常陸の国一の宮鹿島神宮、そして今回の壱岐国ルネッサンス成就祈願を一有志として行いましたがこの間、いろいろと知ることが多くありました。又もや感動的だったのは、翁が"
歴史の研究"の翻訳を進められた鈴木大拙先生が臨済禅の修業をされアメリカに留学され禅を説き、広められたということとその鈴木大拙先生が歴史の研究を翁に紹介する縁は円覚寺だったのです。また、円覚寺の禅僧が禅を広めるべくアメリカ・ワシントン州に両忘庵USAを建立され、仏教の伝導が根をおろしています。

 歴史の研究の著者”
アーノルド・トインビーは日本の神社を訪問して、その静寂な雰囲気への感動を書き残されています。アインシュタインも同様の日本人賛歌を残しています。世界は、今や、すべての面で行き詰りを起こしています。すべからく、民族間の紛争であり、その根底にあるのは、怨みつらみ、復讐です。中国・朝鮮は反日教育に利用し政治問題化しています。この解決なくしては永遠に平和はこないでしょう。これらの問題解決の智慧を持っていたのが日本人であり、先人達の叡知なのです、決して威張る事ではありませんが大いに誇ってよい事ではないでしょうか。その原点が壱岐対馬に、玄界灘にあることを再認識したいとの思いで、知識もない一人間が壱岐卜部に感動し、これが、壱岐の心のルネッサンスにならないかと考えたしだいです。

願わくは、翁の

「限りある 命をもちて 限りなき欲を求むる 人ぞ悲しき」
&

"名刺を欲せずして名刺在り
生死を超越して長寿存す
耳庵の鵬志だれかよく判ぜんや
呵々大笑白雲を看る"
&
「日本人はいかにも視野が狭い。そのためにあんな戦争を始めて負けてしまったんだ。
これからの日本人は広い視野に立たねばならない。
それには、この「歴史の研究」を読ませるのが一番だね」



の言葉を詩を一緒にかみ締めたいと・・。念じてやみません。

 松永安左エ門翁の問題解決方

              
   ”電力の鬼、松永を殺せ”とプラカードに書かれていた。
            松永はこれよりのち、「電力王」から「電力の鬼」と呼ばれるようになる。しかし、松永は怯み   はしなかった。「どのような問題も着実に段階を踏んでいけば解決できないものはない」という強い信念で・・・「俗論に耳を傾けるな」と言って止まなかった。


1)民衆が反対するのは事実が分からないからだ。

2)産業人や政治家が反対するのは、民衆に媚びているからだ。

3)松永を悪く言っておけば人気が良くなるからだ。

4)人を陥れて己のみ良い子になろうとするさもしい根性なのだ。

5)良薬は口に苦い。憎まれ役はわしが一切引き受けるから「頑張れ」と部下を励ました。


・・・自宅に押し寄せてくる客には快く会い、議論をつくす。・・・国の危急存亡のときだ。何を言うか」と叱りつける。雑誌や新聞にどんどん原稿を書く・・・・。

1)電気事業は自立できなければだめだ。

2)利益が出ず、借金を返済する能力もない事業に、資金が集まるわけがない。

3)ましてや外国資本は集まらない。

4)資金がなければ、電源開発は望めない。

5)電源開発ができなければ、産業は興らない。

6)日本は立ち行かず、国民の生活向上は望めない」

 
 結果はどうなったか。電力需要は年率8%以上の伸びを示し、各地で大規模な電電開発が大いに進んだ。現在はダムは環境破壊の悪役にされているが、戦後の経済発展期に電源開発の果たした大きな役割まで否定するものはいまい。まぎれもなく、電力は日本が世界の経済超大国にのし上がる原動力に、後世は謝すべきである。(情報源:爽やかなる熱情 水木楊著 日経新聞社¥1700 ページ319から)