トインビー博士歓迎会の記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
" "読書人の多い日本で 完訳版が出たよろこび" A・J・トインピー博士は、夫人とともに十一月九日三度び 来日され、十二月十三日帰国されるまで、一月余にわたって講演や 視察旅行を重ねられた。七十八歳という高齢にも拘らず、終始元気で わが朝野に大きな感銘を与えたが、当刊行会では十二月六日、東京パ レスボテルで歓迎の午餐会を催した。松永安左エ門会長とは、旧知の 間柄だけに会合は至極なごやかで、松永会長が別項のように英語で 敏迎の言葉を述べたのに対し、トインビー博士はイェス…イェス…と いちいちうなずいておられ三時間余にわたっていろいろの話をされた。 とくに「自分の膨大な著作の全訳が、読書人の多い日本で出版された ということは非常なよろこぴである。その労をとられた松永さんや刊行 会の方々にお目にかかることができて大変うれし」冒頭されたのち次のあ ような講演をされ、また終りにのぞんで、「自分はさらに東洋の文明 について研究に努め、それによって西欧のこれまでの考え方をさらに 発展さすため、啓蒙の仕事を今後も続けるつもりだ」と、老碩学の決意を 語られて、一同にさらに大きな感激を与えられたのであった。 |
松永 : 『歴史の研究』の全訳日本語版の刊行に協力下さいま
した友人の方々とともに、トインビー博士御夫妻を、この席に
お迎えすることが出来ましたことは、私の何よりの喜ぴでござ
います。 全世界が哲学的に、社会的に、経済的に混乱しておりますこの
時に、京都産業大学がトインビ−御夫妻を日本に招待ざれまし
たことは、まことに意義深く、時宣を得たものと信じておりま
す。世界の人々はもちろんのこと、われわれ日本人にとりましても、トィンビー博士が京都や東東でなされた講演や談括を通
じて、多くの教訓を得ることができたと確信しております.
また『歴央の研究』日本語板が日木の読者に尊重され、認識sa
れていますので、大変嬉しく思っております。この普及版ができ
ますと、より広く日本の読著に歓迎されるでありましょう。
本日この席に出ている一同に代りまして、トインビー博士ご
夫妻のご健康をお祈り致します。 トインビー: 松永さん、私は松永さんと比ぺますとたいへん 年少でございますけれども、松永さんのひそみにならい、お言 葉にしたがって、坐ったままで話をさせていただきます。 長年にわたりまして松永さんが数々のご好意を私に与えてく ださったことに、たいへん感謝をしておるものであります。と くに私の主著と申しますぺき『歴史の研究』を日本語に訳出す るということについて、いろいろなアレインジをしてくださっ たことに対して、たいへん感謝をいたしております。いま、私 のすぐうしろに、すでに訳出されました『歴史の研究』の日本 語版が並んでおりますが、伺うところによりますと、これが全 巻完成すると二十五巻になるとのことであります。 ここで、まず最初に松永さんについて少しく申しあげたいと 思います。そしてその後に、私自身の仕事についてお話を申し あげたいと思います。と申しますのは、日本の皆さんは、読書 ということに非常に多くの時間をさかれる方々ですが、この日本の読者の皆さんに、私の著作を読んでいただくことができる ようになりましたのは、じつは、一にかかって松永さんのご労 苦にあったからであります。 申しあげるまでもないことでありますが、西欧文明というも のに果しました古典ギリシア文明の役割は、ちょうど東におい て中国の古い文明が果しました役割と、非常によく似ておるの であります。私はじつは、古代ギリシア文明の教養を少しく身 につけた者でありますが、いま、紀元前六○○年に、ギリシア の詩人、ソロン(Solon)が書きました詩の一節を思い出して おります。 この詩人は、松永さん、ちょうどあなたと同じよう にビジネスマンでもありましたし、また哲人でもありました。 そしてステーツマンでもあったのであります。おそらくは、松 永さんご自身も詩をお書きになるのではないか、もしそうだと すれば、このギリシアの持人と松永さんとの間にある類似点と いうものは、非常に大きいわけでありますが、この詩人が書き ました詩の一節に、「年老いるに従って学ぶべきことが多くな る」という言葉があります。このような詩の一節は、ちようど 松永さんにぴたりと当てはまるものであるように思えます。 それでは、私自身の、知的に歩んでまいりました道と申しま すか、道程と申しますか、そういうことについて、ちょっとお 話し申しあげます。と申しますのは、このうしろにございます 私の著作は、じつは私の歩んでまいりました知的な歩みを代表 しているものだからであります。 私の年代の西欧の人間と同じように、私の受けました教育と いうのも、非常に狭隘なものでしかなかったのであります。た とえば、ギリシアあるいはラテンの文化につきましては、徹底 的な教育を受けました。また、西欧というものにつきましても かなりの程度の教育を受けたのであります。しかしながら西欧 以外の、あるいはギリシャあるいはラテン以外の世界の歴史とか 、文化とか、宗教的遺産とかいうものにつきましては、殆どなん の教育も受けないままに過ごしてきたのであります。 しかしながら、 世界全体をとってみますと、西欧というのは世界のほんの小さい 部分にしかすぎない。その大きな部分については、私どもはなにも 知るところがなかったのでございます。ところが、私ども暫くして 理解するに至ったのでありますけれども、世界人類の多くをしめる 非西欧の人々というのはれわれ西欧に生まれましたものよりも、 より広い世界観をもっていたのだ、ということにわれわれはやっと 気づくようになったのであります。こういう非西欧の人々が、 われわれよりも広い世界的な視野をもっていたということは、 これは、彼らがそういうものをもたざるを得ない立場に置かれていた。 彼らの上に、いわぱ押しつけられたものであったということが 言えるのであります。 ご存知のように、たとえばロシアのピョートル大帝以来非西欧の 国々は、どうしても西欧といろいろな形でのかかわり合いをもっ ていかなければならない。そしてまた、西欧の科学技術とか、 西欧の活き方といったようなものを身につけていかなければならない ように追い込まれてきたからであります。そういった事情が あるにもせよ、とにかく非西欧の人々のほうが、人類の歴史、 人間全体の歩んできた道に対して、われわれ西欧の人間よりもより 広い視野をもっていたという事実を、私はここで指摘したいと恩います。 このような、西欧の、非西欧社会に対する影響が原因になりまして 世界がだんだんと統合されつつある・・・全世界が一つの家族になり つつあるということが言えるのではないかと思います。しかし、 家庭内にも家庭内の争議、兄弟喧嘩があるのと同様に、全人類が だんだんと統一を深めてまいります過程におきまして、これが、 必ずしも仲良く行われてきたということにはならないのであります。 科学技術が非情に進歩しましたたあめに、距離が短縮された、 そのために全人類が非情に近づいてきたわけでありますけれども しかしそこにまだ間題が残るということを、私は申しあげたいと思います。 このように、世界がだんだんと統一の方向に向ってまいりますにつれ、 まず最初にイニシャテイヴをとりましたのは西欧でありました。そして世界の 人々の生き方が、共通のものへとなりつつあるのでありますが、 それはあくまでも、西欧という いわば枠組のなかにおける共通性であったのでございます。 しかしながら、将来を展望いたします際には、世界人類が統 一されるということが西欧の枠組のなかにおいてのみなされて いいとは思わないのであります。むしろ、将来においては、こ の地球に存在いたします全人類の、あるいはすぺての文明が、 この新しい統一された世界に対して貢献、寄与をなすべきであ る、またそうであろう、と考えております。私がまだ大学の学 生でありました頃には、世界を支配すると申しますか、支配的 な勢力を世界においてもっておりましたのは、たしかに西欧で ありました。 しかし、この西欧による支配というものは、長い 歴史を考えてみますと、つい最近の出来事でしかないのであり ます。たまたま近代的な科学技術を西欧が他に先がけて発見を したということの故に、西欧による支配が存在をしていたにす ぎないのであります。私はこの西欧による支配は、非常に短い ものであろう、短命でしかないであろう、というふうに考えた のであります。やがては非西欧の国々も近代的な科学技術を手 に入れるであろう。そうすれば、西欧による支配は、やがては 消え去っていくものではないが、というふうに考えました。 私、いまここで一八九四年の目清戦争のときのことを思い浮か べるのであります。当時私の父がよく、「絵入り新間」を見 せてくれました。その新聞には、日本の軍艦であるとか、近代 的な武器とかが、絵入りで解説されていました。そのときに思 いましたことは、すでに日本はこういう近代的な科学技術の所 産である武器を手に入れたのだ、今日日本がやっていることを、 やがて他の非西欧の国々もやるに違いないと思ったのであります。 従ってやがていつの日か、西欧が非常にノーマルな立場に 戻るであろうと考えました。私がここでノーマルと中しますの は、要するに西欧がたまたま世界に覇を唱えているのは異常な 状態なので、これはしかも非常に短い生命のものでしがない。 やがて、西欧の、非西欧世界に対する優越が、非西欧社会との 平等に戻る日があると考えたのであります。 そこで、私は、どうしても西欧世界に住むわれわれがその日 のために備えるべきである、と考えたのであります。暦史の新 しい第一章が、早晩訪れてくるにきまっている。その日のため に、われわれは備えなければならない。そのために、われわれ は、他の文明社会のもっております歴史であるとか、文明であ るとか、あるいは宗教であるとかいうものを、これから一生懸 命に勉強していかなければならないと思ったのであります。 そ うすることによって、はじめて、われわれは、人類の精神的な 遺産に対して非西欧社会の文明が果した寄与を充分に認識し理 解することができるだろう。ただ単に認識するだけではなくて、 これを好み、愛するようになるであろうと考えたのであります。 そこで、私は決心をいたしまして、これからの私の一生の仕 事は、西欧にあるわれわれの仲間に対して、他の文明社会の遺 産を理解するように啓蒙のための仕事をする。これが私の一生 の使命である、というふうに感じたのであります。 西欧の人々に対して、私は、たとえば日本でありますとが、 中国でありますとか、インドでありますとか、イランでありま すとか、他のアラブ世界の国々でありますとがが、人類の文明 に対して西欧に優るとも劣らないだけの偉大な寄与、貢献をし たのだということを啓蒙したいというふうに決心をいたしまし た。 そして、西欧が他の世界に対して平等な地位を将来におい て確保するためには、どうしても、このような非西欧の文明が 編み出した遺産を、われわれ自身のものとして埋解し、これを 評価し、これを愛し、そしてお互いに頒ち合っていく必要があ るというふうに感じたのであります。 最後に結論めいたことを申しあげますが、私にとって非常に 大きな、しかし意外な喜ぴであり、また驚きでもあったのは、 私が一生の仕事として考えましたことは、要するに自分を含め て西欧の人たち、これは全人類にとっても少数勢力でしかない のでありますが、この西欧の少数派に対して啓蒙の仕事をやっ ていきたいということであります。彼らの啓蒙に資するところ があれぱ、と思って始めた仕事であったのでございます。 しかしながら、私の当初の期待あるいは予想に反しまして、 じつは世界の人々にとってのみ役立つものでなくして、非西欧 の人々にも、私の仕事が非常に喜ぴ迎えられているということ に気がついたのでございます。お国にまいりまして、そして松 永さんがご臨席のこの場所でこういうことを申しあげることが できることを、たいへん喜ぴとするわけでございます。とにかく、 私のなしました西欧の人々を啓蒙したいとして始めた仕事を、 日本の読者に紹介するために松永さんが非情に大きなお仕事を してくださった、その松永さんを前にして、このような形で お話できることを、たいへんな喜びとするのでございます。 申し上げることでもないことでありますが、日本の皆さんは 、世界でも最も読み書き能力の普及度が高く、また書物を非常に よく読む方々でいらっしゃる。 その日本の皆様方に、私のささ やかな仕事を紹介してくださった。そしてそれが幸いにして迎 えられているということは、とりもなおさず、私の仕事が非西 欧の人々にも多少の意味があったことの証左であろうと思いま して、私は大きな喜ぴとしているのであります。 この人類の住む全世界が一つになっていきますためには、ど うしてもお互いがよく知り合うことが必要になってまいります。 そして、非西欧の皆様方が、まず最初にこの世界を一つにする という運動に先鞭をおつけになったわけでございます。つまり、 西欧についてもっとよく学ぼうという意欲を示されることによ って、皆様方は全人類統一への仕事を始められた。さてそれか らはわれわれの番である、というのが、西欧人としての私の感 じでございます。われわれが、非西欧的の文化的な遺産を学ぶ ことによって、はじめて、人類の希求するところの家族へと近 づいていくことができると思うのでございますo その意味におきまして、松永さんのたいへんなご労苦に対し、 また松永さんをたすけて私の著作の翻訳に当たられました先生 方に対して、心からのお礼を申しあげたい。たいへん大著であ りますために、ご苦労がおありであったろうと思います。 松永: 只今のトインビー博士のスピーチは、一つはわたし個人 の努力ということのみに話がとどまり、あるいはそれだけであろ うかと思っておりましたが、話は大きく発展してまいりまして、 要するに、トインビーさんは、東洋の文明、東洋と申しますか 非西欧の文明をさらに学ぶことによって、西欧文明をさらに大 きく発展させるものであり、そしてそれが世界の統一、融合をするゆえんであるという大きなお話に発展いたしまして、 同時に、ご自身のご努力がこれからそういう方面にさらに発展 し得るものであるという、非常に深いご信念に立っておられる ことを承りまして、いっそう敬服する次第であります。 どうか、ますますご健康に注意されまして、いまのお説の目 的を、だんだん達していかれんことを祈る次第であります。 トインビー: 私の健康に、たいへんありがたいお言葉をいた だいたのでありますが、私の妻が私の健康を管理してくれてお りまして、彼女によって私は生かされておるという状態であり ます。たいへん温いお言葉を松永さんから頂戴いたしまして心 から感謝いたしております。 永野: わたくしは、東洋を勉強することが同時に西欧人の前 進のためだというお気持ちを伺って、松永ざんとおなじような 感じをもつのですが、西欧から見て、東洋のアジアの諸国内に いろんな混乱がありますね、そういう間題に対して、将来どう いうふうにこれが向かって行くであろうか、どういう結果を来 すであろうかということを、お話し願えれば…・ 。 トインビー: まず、非西欧と申しましても非常に広範な区域 を含むわけでございますし、それぞれ文明その他が異っている のでございますから、当然、非西欧社会自身のながで、いろい ろ違ったことになるであろうと思います。たとえぱ、熱帯、ア フリカ地方に住んでおる比校的未開な人々について申しますな らば、急に独立をかち得た、そして近代社会国家群のなかに入 ろうと努力をしておるけれども、こういう人たちは、非常に困 難な過渡的な状態が、かなり続くであろうというふうに考えま す。 しかしながら、アジアのように非常に古い文明をもっている ところ、そして歴史の古い、ヨ−ロッパをはるかに凌ぐアジア 文明に属する国々は伝統的、在来的な行き方と、新しい、近代 的な行き方との問の調整を、あまり困難なしに、そしてあまり 時間をかけることなしに成し遂げていくであろうと思います。 日本について私の予測を申しあげるならば、日本は過去一世 紀、明治維新以来、国運にいろいろな変化がみられました。非 常にたくさんの成功をおさめられましたけれども、また同時に 若干の失敗をも経験しておられます。しがしながら、将来につ いて言うならぱ、われわれが今やまさにそこに入ろうとしてい る新しい世界において、日本が指導的な役割を果される、その ための素地は充分にできている、と私は思います。 アジアの偉大な国のなかで、非常に不安定で、まだ将来をト するに至らない国は、中国とインドであろうと思います。現在 の段階におきましては、中国よりもインドのぽうが、むしろ安 定をし、また秩序も立っているように見えるのでありますけれ ども、しかし、こと将来の間題になりますと、私はインドは非 常に大きな困難に逢着するであろうと考えておるのであります。 なるほどインドは近代国家としての装いを身にまといました。 しかしながら、例のカー一スト制度というものは、いまだに根強 く生き残っております。また、非常に不幸なことでありますけ れども、言語的な複雑性、しかも地域々々の方言的なものが、 また悪を吹き返しつつあるような傾向も見られるのでありまし て、この複合言語の間題というのは、過去半世紀の間、東ヨー ロッパの国々が非常に手をやいた間題でありますが、それがイ ンドにおいてまた復活のきざしがある。 そういったようなこと を考え合せますと、私は、インドの将来に非常に憂慮の念をも っておると申しあげたいのであります。 一方、現在中国が経験しております混乱は、インドのそれを 遥かに上回るものだと恩いますが、中国史をひもといてみまし て、また中国人の民族性、国民性を考えますと、将来はインド よりも遥かに楽観ができるのではないかと考えるのでございま す。中国の歴史を見ますと、過去におきましても幾度となく非 常に大きな混乱でありますとか、不統一な状態をさらけ出した ことがあるのでございますが、しかし、その度ごとに中国人は 見事に秩序を回復し、また再統一を成し遂げてきたのでありま す。こういう歴史が再ぴ繰返されるであろうと考えております。 中国は、やがて、世界において嘗て占めておりましたよう な立場、位置を回復するに違いないと考えております。 とくに 一八四○年代、例のアヘン戦争でイギリスが中国を攻撃いたし ました以前のポジションに、遅かれ早かれ戻るであろうと思い ます。とくに東ブジア大陸における中国の地位というものは、 新世界におけるアメリカ合衆国の地位と相等しいような地位に まで高まるのではないかと思うのでございます。 そこで私、考えるのでございますが、非常に長い将来にわた って展望を試みると、中国を現在以上に挑発すべきでないと考 えます。いつかば、中国が、諸国民のいわば家族のなかに戻っ てくることは明かでありますし、またそのときにフレンドリー な国として戻づてくるか、それとも非常にアンフレンドリーな、 敵意をもった国として諸国間に戻ってくるかということによっ て、将来の歴史の帰趨は大きく変るであろう。 もしアンフレン ドリーなものとして戻ってくる場合には、これは将来の歴史に おいて非常に危機をはらんだ要素として残るであろうと思いま す。 とくに、日本は、文明社会のなかで最も中国に隣接した国で もありますこととて、日本の受ける影響が大きかろうと思いま すので、中国をこれ以上挑発することはしないほうがいいとい うのが私の考えであります。 松永: 日本も含めて、欧米各国は、支郡をいじめてきた。こ こに、はじめて、支那が目を覚まして、活動を始めようという のは、当然じゃないか。それをまた、兵力とか権力で押えよう ということは、とうていできるものじゃない。 トインビー: たいへんデリケートな間題ですけれども・…。 松永: ええ。デリケートでありますけれども、デリケートに 現われている現象は、トインビーさんの指摘されたアヘン戦争 後の支那に対する武力圧力、あるいは実際の損害、そういうも のへの反発とごらんになっているのは、正しいと思いますね。 トインビー: ありがとうございます。松永さんにご賛成いた だいて、たいへん激励されました。 松永: そこで、それをそのままにして置くということではい けない。アメリカといえどもやっぱり反省すべきときが、今で も来ておるのであろうけれども、それをどう受け取るかという ことが、同時に日本が、現在、中国に対する立場上、どっちが というと非常に徴妙な矛盾にさらされているわけですね。 トインビー: イェス。 永野: 長い歴史をみる観点から、こういうことはどうでしょ う。日本の掌ての戦争、二十数年前の戦争は、われわれは非常 に後悔している。しかし、長い目でみた場合、一千年、二千年 の暦史から考えてみた場合、日本のためによかったか、わるか ったか……。赤んぼうが火鉢に手をつっこんでやけどしたと同 じような意味で、これをお聞きしたいのです。 トインビー: どの国でも、そういうミステークをする。日本 が第二次世界大戦で負けたが、中国のはうは日本よりももっと 深刻な痛烈な経験をした。そして、今や日本は、そういうこと から学んだら、なにか役割をもつぺきではないか。日本はアメ リカに対して影響力をもっているし、実際的な方法でアメリカ を影響することができる。 掘江: 永野さんの質問の「ながい日本の歴央からいって、支 那との戦争で目本が痛い目にあったのは、よかったか、わるか ったか」ということに対して、トインピー博士は、どこでもミ ステークをやる。日本も、そういったことで、第二次戦争で反 省をしたら、いい教訓を得たという意味で、よかった。同時に、 これからはそういう反省に基づいて日本が果す役割があるだろ う。それは、日本も含め、ほかの国も、国のやりかた、ふるま いによづて中国に対して影響を与えることができる。結局、 最初の話の、中国とアメリカの問を日本は調整し得る立場にあ る、合理的な方法でそういうことができる、というご意見のよ うですね。 トインビー: 日本は、米国が変わり得るし、また中国自身も 考え方を変えるということを認識すべきです。 永野: トインビー博士が高野山にいらっしゃって古い日本の 真髄をつかもうとされた。しかし、アメリカにしても、ドクタ ー・トインピーのお国のイギリスにしても、あるいは西欧諸国 すべてにそういう人が非常に少ないですね。だから、日本を知 らん。東洋を知らん。そういう関係で犯しているミステークも 相当あるのじゃないかと思いますね。 トインビー: 永野さんにそう言われて、たいへん嬉しいです。 出席者 :アーノルド・トインピー夫妻 松永安左工門 値村甲午郎 小林中 永野重堆 桜田武 掘江薫堆夫妻 横山通夫 谷 川徹三 松本はな子 荒木俊馬 下島連 富田英一 増田 秀夫 長谷川松治 若泉敬 国弘正雄 下村亮一 川脇達 郎 田山方南 杉山吉良 本多次郎 井上繁 長瀬誠次 (順不伺・敬称略) 次回(第十回)配本 (二月発行) 第六巻文明の成長(続) C |