モンゴル共和国訪問

ガンダン寺迎賓室ハンパラマ管長猊下
全国一の宮巡拝会世話人代表
入江孝一郎
(社団法人日本移動教室協会理事長)
記念写真
元寇の敵味方鎮魂供養を721年目の今年秋、壱岐一の宮・壱岐国分寺で行うことになりましたさらに元軍側からもという願いでモンゴル国ガンダン寺八ンバラマ管長猊下が来日していただくことになりました。それを壱岐島で、敵味方鎮魂供養・地球平和祈願を行うことに、壱岐島から占部英幸・有馬黎子・竹富鉄一・巡拝会東北ブロック世話人小椋唯一の5人で、モンゴルヘ表敬訪問の旅をいたしました。到着した日の夕食後、日没がおそいので先ずガンダン寺を参拝しました。その時刻でも参拝者が多ぐ本堂の扉は閉まっていましたが、参拝者は扉に頭をつけて祈り、信仰の厚さを感じました。中には五体投地で御堂の回りを左回りしで参拝する熱心な姿が見うけられました。

御堂の中には1997年に建立された26mの観音立像が祀られています。この像ができてからモンゴルに本当の平和がもたされたといわれています。モンコルが社会主義革命のとき、宗教廃止の中で5つの寺だけは信仰が根強く残り、その筆頭がガンダン寺です。猊下とは、6月16日11時に面会の予定でしたが、重要な法要がおくれたため、幸いにも法要中の法堂に入ることができました。法要中の猊下のお姿を拝見したのですが、面会室で間近に下と接し、表敬者一同、何か尊いものと温かいものを感じました。猊下に今回の訪問の目的を説明するとともに、721年前、北条時宗は敵味方供養のため鎌倉円覚寺を建立したことを申し上げますと深い関心をもたれていました。

モンゴルには
元冠の役の記録は少なく、むしろ日本との関係はノモン八ン事件がモンゴル人の心に傷ついていたことを猊下のお話から感じました。1939年(昭和14)5〜9月のノモン八ン事件は、日本軍とソ連軍との国境紛争事件と当時15歳の私は記憶していました。ソ連軍はモンコル人で編成されていたことを言葉で知りました。モンゴルでは紛争の起きた地点を流れる川の名をとり、ハルハ川戦争と呼びます。殴ったことは忘れるが、殴られたことは忘れないといわれますが、怨みは深く残るものです。後で日本大使館で当田日本大使とお目にかかったとき、ノモンハン事件の遺族が遺骨収集で、何かとトラブルがあることを聞きました。「ノモン八ンの夏」半藤一利著(文芸春秋)をぜひお読み下さい。改めて敵味方供養の重要さを感じました。

壱岐での元冠の役敵味方供養・地球平和祈願は、見えない世界からのはたらきかけによるものと確信いたしました。私たちは目に見える世界、お金の世界だけで計ることばかりに走り大切なものを失っているようです。猊下の壱岐島での元冠の役敵味方供養・地球平和祈願は高野山東山大阿闍梨が助力、修法の準備を整えますことを申し上げました。日本密教の総本山高野山にまだ行っていないことをお聞ききし、それら日程をつくり、通訳のニンジンさんを通じて、旅の用意をいたしますことをを申し上げ、快くお受け下さいました。
猊下の日本訪問は、モンゴル人への日本理解を深める最高の親善友好です。猊下の行程の中に古代神道・真言密教・仏教の聖地を入れ、あわせて現代の真の日本を見ていただくことに心を尽します。猊下の旅が、日本にとり、モンゴルにとり、真に有意義になることを願い同行してご案内いたします。


貌下とのお話しや記念写真などで長引き、室を出たら次の室に、貌下の面接に大勢の僧侶が待っていて心ならずも申し訳ないことをしました。ガンダン寺をあとに、日本大使舘に行き、今回のモンゴル訪問とガンダン寺貌下との面会の報告をし、何かとご協力をお願いしました。大使との面談には清水武則参議官が同席され、趣旨を了解していただきました。ツァンジット文部大臣との面会が予定されていましたが、大臣が急に地方に出張になり翌日に延期されました。それで20時ぐらいまで明るいというので、明日の予定のウランバートル郊外のマンジュシュリヒードへ、車で約2時間草原の中を走りました。草原から力ラマツ林の茂るマンジュシュリヒードは、ウランバートルと違った雰囲気のある全体が聖地であった所です。社会主義革命で宗教を否定して、ここにあった仏教寺院は破壊されました。今は廃寺跡ですが、巨石が広い地域にころがり、瞑想するいい場所がいたる所にあり、かつては大勢の修行者がいたということです。帰路の飛行機で読売新聞の記者と一緒になりましたが、マンジュシュリヒードが一番印象に残ると話してしまいまし。黙っても何か感じるもののある所です。


前日約束していた。
ツァンジット文部大臣との面会ができました。八ンバラマ貌下の壱岐島で修法を報告し、大臣に来日をお願いしました。歴史に強いものを代理で派潰することを考えておこうということでした。"翌日大使からコビの砂漢の飾り物をお土産にいただき恐縮しています。今後、モンゴルの子どもたちのために日本の役割りが大きいことを感じました。モンゴル国立音楽学校で先生をしている根岸健一教授が.私たちにあわせて同じ飛行機でモンゴルに来て、何かと心配していただきました。思いもよらぬモンコル外務省参事官フレルパートル前日本駐在モンコル大使との面会を設定していただきました。この方は2年前、壱岐島に来られ日本を理解していただいています。モンゴル・日本親善友好協会事務局長をされています。(モンゴル訪問雑感)

今回のモンコル訪問のことを説明申し上げると、全面的に賛成し自分もこのとき壱岐に行きますと約束をしていただいた上に、日本駐在大使をさそって行きまと嬉しいことを言われました。そのうえにモンゴル・テレビで歴史もので元冠の役を取り上げたいと考え、監督を連れていこうと思っていると言われました。モンコルのテレビで放映するとモンゴル人が元寇の役を知ることになる有難い話です。元冠の役敵味方供養・地球平和祈願は、721年もそのままにされた怨念が、救われる機会が来たと、目に見えない力が加わっているように思えます。秋の計画が無事に済み、壱岐の人でお礼に10月初旬の霜が降る前に、モンゴルの旅を計画し、より一層の交流を深めたいと思います。


根岸教授に連れられて1921年設立のゴンチクスムラ音楽・舞踊専門学校で、特別に馬頭琴などの民俗音楽や生徒の音楽演奏会を開いていただいた。楽器が高いので学校で用意し生徒に楽器を貨しています。各家庭で不要の楽器の寄付の希望がありました。このあと、根岸教授が援助しているウランバートル郊外の孤児院を訪問し子どもたちと楽しい時を過ごしました。

個人の力でモンゴル人に援助する人々をこの旅で出会いました。いま、
権力や利害だけでなく、人間と人間の関係で、今までと違った動きが生まれている。それは小さくっても目に見えない力が加わり、やがて小さな光が輝こうとしている。壱岐島における元冠の役敵味方供養・地球平和祈願は、目に見えるものとして具現する証拠である。全国一の宮巡拝会会員は、9月19日11時、壱岐まで行けない方は、同時刻、諸国一の宮で元冠の役敵味方鎮魂・地球平和祈願に参拝して、全国一斉に気持を同じくしたいと存じます。巡拝会としてお玉串を奏典いたします。以上



蒙古の使者=刑死者を弔う為に出来た寺l