元寇720年記念事業「少弐資時公像建立」(2001,5,20)

壱岐国ルネッサンス
(2003,9,16〜18)

・・・大使は、公、私、どの席でも、永い間、ソ連の圧制に耐えてきたのは、モンゴルという国を守るための止むを得ない方法であったこと。日本の五十分の一という二百五十万の人口を五百万人ぐらいに増やしたいこと。三十五歳以下の若者が人口の七〇%を占め、展望は明るいものの、教育が大切であること。モンゴル支援の三分の一は日本であり、今後も期待していることを訴えていた。・・・・

これは、去る2001年に催された元寇720年記念事業(少弐資時公像建立)「元寇720年誌」の頁52から、当時駐日モンゴル大使、フレル・バートル氏の言葉である。


このとき、大皿川町長は挨拶の中で日本⇔モンゴル国間の友好交流の第一歩と言われた。それが二年して、早くも第二歩が今度は「元寇の役」敵味方の霊を慰霊・鎮魂するということを聞かれ前大使フレル・バータル氏は大変感動された。

モンゴル国では元寇に関する史料は皆無であり、歴史の見直しという大きな国の流れの中で絶好の機会と捉え、モンゴル国営TVカメラマンとアナウンサーを引き連れて取材に行くと約束されたのである。この神仏習合による敵味方鎮魂地球平和祈願という壮大な発想にモンゴル国は、国を挙げて協力されたのである。この経緯は「モンゴル訪問記」にその詳細が書かれている・・参照。

当初の計画では9月13日〜22日までであったが、チベット仏教ダライラマ法王、とガンダン寺管長猊下が9.11ニューヨーク、テロ一周年記念慰霊祭に出席される事になり急遽ガンダン寺管長猊下の予定が変更され、二日遅れて9,15日に来日16日に壱岐を訪問されたのであり大変な強行軍だったのである。

 ニューヨークでは、世界への暴力否定の平和メッセージが出され、アメリカの絶大なる力をもってしても地球に平和は取り戻せない、非暴力の知恵を全人類が考えるときだというメッセージが発せられた。その模様はニューヨーク・セントラルパークでのダライラマの講演に20万人という人々が集まったということをインターネットで発信されている。

このことは二日遅れての来壱岐はニューヨークのメッセージと熱気が壱岐国ルネッサンスにもたらされ、壱岐国ルネッサンスの目的である、心と願いに、通じたのではないでしょうか。政治・宗教・民族を超越した人類共通の願いでもある。

偶然とはいえ、大いに誇りとなるとともに21世紀壱岐市の誕生にも精神的な支へとなることではないだろうか。
・・・・壱岐国ルネッサンス・・のこころよ永久に・・・・