アメリカ青年・日本への旅・・・キッド君の一の宮参詣記
(入江孝一郎・日本ペンクラブ会員)

一の宮神社は、1200年も前の創建以来、清浄な空気を今日に伝える。そして、この地に人々は、目然に神を感じてきたのである。,一の宮を巡拝する人は、それを目分の体で確認しようとしているのかも知れません。現在、全国一の宮巡拝会山陰プロック世話人であるアメリ力青年キッド君か日本全国にある一の宮神社の巡拝をほぼ完了しようとしています。かつては、アメリ力のハ一バード大学の学生が、夏期ゼミナールの研究テーマに四国ハ十ハ力所巡りを行ったことがあります、来日する外国人で伊勢神宮に参拝した人々は、一同に素晴らしいといい「気」を感じとっています、日本人自身がむしろ気付かない良さを初めて訪れる外国人か直感的に感じているともいえるでしょう。

企画意図
 
21世紀を迎えようとする現在、宗教は二つの面で再び多くの人々の心をとらえようとしています。ーつは、環境汚染、海洋汚染、地球温暖化等の地球の荒廃を救う力です。「今や社会主義は消滅し利益追求のみを目的とする資木主義が全世界を覆ってしまった。地球の資源を使い果たす道を突き進み、自然破壊は終わりないように見えます。今、資本主義に対抗できるのはおそらく宗教です。仏教もイスフム教もキリスト教も物質主義への反対を内包している。」これは、かつて'新聞記事に載せられたアメリ力のピューリッツア賞詩人ゲーリー・スナイダー氏の言葉です。

 もう一つは、人の生き方の指針です。
20世紀人類は、物質文明によって未曾有の繁栄をとげました。しかし、物質的な豊かさは精神的な豊かさに決して直ちに結びつくものではなく、かえって、国々や人々の間の矛盾や貧冨の差を広げ、富や資源をめぐる争いを激しくし、地球環境の悪化や人の心の荒廃を生んでしまったことに、今人々は気付き始めています。アメリ力の詩人ゲーリー・スナイダーは「西洋の宗教は、倫理的責任は人間同士の間だけで、人間以外の自然に対しては何をやっても許されるという考え方です。仏教には、一切衆生すべての生き物を大切にし殺すなという深い倫理がある。その教えに従えば、目然と共によりよく生きることができる」と述べています。

 現在、未曾有の不況の中で、世界中から日本が問い直されています。十年前には喧伝されていた日本的経営が批判され、日本的習慣や慣行に代わって、グローバル・スタンダードで政治や経済を行うように、世界中から要求されています。また、国内を見れば中学生の校内殺人や家庭内殺人といった異常な犯罪が増え、既存の社会規範の綻びが目立っています。21世紀に向けて、新たな社会の構築が今我々目本人に求められているのではないでしょうか?

 この重要な変革の時期に当たって、「日本」とは何か「日本人」とは何かを、日本人一人一人が深く自分目身に問いかける必要があると思われます。その手がかりとして、我々は今、先ず「日本的信仰」を訪ねる旅を提案します。「過去から学ぴ、己を知る者のみが、未来を制する」からです。そして、この「日本的信仰」への旅の道しるべとして、「全国一の宮巡拝」が最も相応しい旅だと考えます。何故なら、「一の宮」も亦「日本的信仰」と同様に、この数々の謎に満ちた一の宮は大変興味深く、目本において最も古い信仰の形を残していると思われます。

 この企画『アメリ力青年・日本への旅/キッド君の一の宮巡詣記』はこれら多くの謎に満ちた社を訪れ乍ら、「日本」と「日本人」そして世界を考えて行こうとするものです。それは正に、日本入のアイデンティティを訪ねる21世紀の旅なのです。

日本各地に創建以来祀られる一の宮

 
全国各地に「一の宮」という神社が全国に散在していることを、正確に知っている人は少ない。年輩者の中には、子どものころに聞いた手鞠唄の「一番始めは一宮、二は日光中禅寺(東照宮)」という数え唄が心に残って、一の宮への親しみをもっている人もいるが、一般的には一の宮に対する認識はまだうすいと思われます。一の宮とは何かと考えてみたい。山城国などの日本の旧六十ハ国ごとに、一宮・二宮・三宮と呼ばれる神社がある.その一の宮は、制度として'決められたものでなく、自然に、その国の古い神社に、一の宮と順位がつけられた。いま、愛知県一宮市をはじめ、一宮を町名とするのが7町ある。なかでも神戸の三宮は、繁華街の中にあって名高い。日本の旧国に、一の宮が創建以来、千余年も同じ場所に継承され、祀られていることは、外国人からみると奇跡にちかいことであり、それだけで感動を覚えるという。

原点に還るのは本能

 
地球的規模における自然破壊は、大きな環境問題として目々深刻な課題をもたらしている。反面、大量生産・大量消費という高度経済成長期からモノ・力ネを追った夢が忘れられない社会システムは、繁栄を求めて、不況と不安心の蟻地獄のなかにいる。明治維新以来近代国家への変身を学校教育と軍事力を中心にして、ヨーロッパ文明を追い求めてきた日本は、進歩・発展を念頭に20世紀の戦争時代、そして敗戦をへて:戦後の繁栄を築いてきた。しかし科学技術の進化と、情報システムの急激な変化に既存のシステムでは、追いつかず、新たな構造改革に迫られている。今だにその模範解答は見あたらない。

 いま、不安な先行きの世相を反映してか、心のやすらぎを求める傾向がみえてきた。NHKテレビの四国遍路や地球自然の放映がうけている.人間は困ったときに母を思い、原点に還る本能をもっている。ヨーロッパが力トリックとプロテスタントがいかに殺しあいをしたか、その影響で新天地を求め、アメり力合衆国ができた。アメリ力に渡った人々は森林を伐採し開拓し、200年で世界一の国家を築いた、そして、最後の森林を伐採するとき、この森林を伐採すれば、二度とこの森林を得る事ができないと気ずき、ナショナルパーグが誕生した。国立公園であるが、日本の国立公園とは違い、日本の神社の神域に近いものである。目然:をそのままにしたものが、アメリ力のナショナルパークである。信仰する宗教のほかに、自然に「神」の存在を知ったのかもしれない。人間は行き詰ったとき、原点に還り出直す本能が備わっている。

求めていた精神世界の旅


 
人類は聖地巡礼が、世界各地で行われている。一神教と多神教の違いはあるが、目己を捨て無意識のうちにする行為は、本能のようなもので、人間の原点復帰の行為は、いまもつづけられている。日本もバブルが弾けて景気が回復しないなかに、精神世界を求めようとする本来の「旅」の原点に還ろうとする傾向が見えてきた。四国ハ十八ヶ所、西国三十三ヶ所の巡礼の旅が一つのブームになっている。日本の原点に還るというのか、四国遍路のように、御朱叩帳を手に、日本の各地にある「一の宮めぐり」をする人が増えて'きている。醍醐天皇の命により延喜5年(905)に編集延長5年(927)に完成した『延喜式神名帳』に、3000余社の神社が記載されている。

 
この神社は創建以来1500〜2000年の継承と現在も生きている。規模の大小はあるが、自然の神域は護られ、「神」は存在しているのである。日本で初めて明確にエコロジーの立場から環境保全運動を展開した南方熊楠は、明治39年(1906)に発令された神社合祀令に反対した。寺院には廃寺跡はあるが、神社には廃社跡というものはなく、いずれかに遷座されて継承され祀られているのである。

 
世界遺崖に奈良の春日大社、安芸国の宮厳島神社が選ばれている。いずれも広大な原始林を背後にもった最古の神社である,最近は」週刊神社紀行』(学研)『週刊日本遺産』(朝日新聞社)などの刊行が相次ぎ、古い神社が取上げられ紹介されている。神社の神域は、禁足地として、植物、昆虫など生き物の最後の砦である。昨年は「社叢学会」が設立され「鎮守の森」保全に力を注いでいる。