観光と一の宮めぐり 入江孝一郎 観光は個々の人の「光」の発見 観光とは「光」を観ると書き、古くから名所旧跡をめぐり物見遊山とよばれてきたが、空間に自らを「そこに投げ出す」行為が「旅」であり、旅行とは違う意味があった。自然や古くから継承されてきたものに出会うと、時間・空間を超えた感動をそれぞれの「個」を感じるのである。 われわれは学校から社会へと、集団で学び、集団で行動することに慣らされてきた。その集団のエネルギーが高度成長へ発展させたのである。フレッシュであるべき旅行も団体旅行が主になり、観光地も目然景観は別として均一化してしまった。やがてバブルの崩壊とともに不況がおとずれたが、海外旅行だけは、上昇気分であったが、これも同時多発テロで伸ぴが期待できなくなった。 一方、心の旅を求める四国ハ十ハ霊場めぐりをはじめ巡礼・巡拝の旅はまずますさかんで、個々の人が歩いて遍路する人が増えてきている。学校で集団教育から個の教育へと見直されようとしているとき、一足先に個々による精神世界の旅が求められようとしていることは喜ぱしい傾向である。 古代が生きている諸国一の宮 全国に一の宮という神社が散在していることを知っている人は少ない。68州とよばれる68州の旧国に一宮・二宮・三宮がある。愛知県一宮市をはじめ6町が地名とし、神戸の三宮は繁華街と名高い。日本中の旧国に創建以来、一宮が祀られていることは、外国人からみると奇跡にちかいことであるし、感動を覚えるという。平成3年7月、一宮を地名とする行政・商工会議所が「一宮サミット」を開催した。これに刺激されてか一宮の宮司か呼び掛けて全国の一の宮会が結成され、一の宮の存在を各地にある一の宮から知らせる行動にでた。 平成10年12月には「全国一の宮御朱印帳」を作成し、一の宮をめぐる仕掛けがつくられた。全国102ヶ所の一の宮で御朱印帳を用意し、巡拝希望者に頒布するようになった。翌年7月には「巡拝会報」第1号を発行し社頭に置いて配った。現在第13号になる。江戸時代、23年間かけた一宮をめぐった橘三喜を小説で連載して興味を引くようにした。巡拝する人は、一宮をめぐることにより、日本中を旅する目標ができることや、お宮さんに行くのであるから健康にもよく、中高年層の生きる目的を得たという人も多い。世界中をバイクで駈けた賀曽利隆さんが旧国一宮をるぐり日本一周バイク旅4万キロ」(昭文社)をだしてから、バイクで一宮巡拝を走る若い人が出ようになった。一宮に関する本も出版されるようになり、いままでと違った観光資源の役割を一宮が担うようになりつつある。 平成12年秋、近畿ツーリスト「心の旅」で一宮めぐりを企画、この秋に一巡し、また募集、JTBも全国一の宮参拝シリーズを募集した。全国におよぷ一の宮巡拝は観光の再発見諸国一の宮の社頭から参拝者に呼ぴかけて始まった一の宮巡拝も、「全国一の宮御朱印帳」を持つ人が5000人を越え、巡拝する人も人を誘ってその数を増してきた。はじめ観光で始めた人も、巡拝の目標に熱心になり、新しい旅を発見したようである。人も動くと、物も動き、巡拝を完拝させるには1人100万円以上の出費となり、100万人が動くと10兆円の観光資源となり、大きな影醤をおよぼすものと思われる。 この巡拝の波の流れが大きくなると、世界遺産の安芸国一の宮厳島神社に参拝した人も壱岐・対馬の一の宮にも参拝することになる。まだ一の宮への知名度は薄いが、社前町を形成している観光関係者が、巡拝者に理解してくれると、さらに大きな励みとなる。四国遍路は、遍路みちの人が「お接待」の気持ちが溢れ、人情に接し、真の観光を体で感じている。諸国一の宮には社前町は少ないが、百万入巡拝を目標に近づけば、各一の宮に社前町が出現するのも夢でない。 |