な風土は、物事を白か黒かで割り切ることのない精神性も育んできた。その日本文化は21世紀、ポストモダンの時代に国際的に大きな存在感を示し平和に貢献し得る。我々は自らの歴史と文化の深みと価値に気付かねばならない。 道義国家を体現した抑留者大使として3年を過ごしたウズベキスタンの首都タシケントに、ナヴォイ劇場という素晴らしい建築物がある。壁面のプレートに、「45年から46年にかけ極東から強制移送された数百人の日本国民がこの劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と刻まれている。「日本人捕虜」という表現を、91年、ソ連からの独立後初の外交案件として「日本国民」に改めたとカリモフ大統領から伺ったことがある。「日本と戦争したこともなければ日本人を捕虜にした覚えもないから」との理由である。 シベリアに抑留され中央アジアで重労働に従事させられた「日本国民」の働きぶり、生活ぶりは現地の人々に感銘を与え、今も語り継がれている。66年に首都を大地震が襲い、周りの建物は全て崩壊したにもかかわらず、この劇場はびくともしなかったという。 戦争に負け帰国できるかすら分からない中にあってなお、若者達は日本人として恥ずかしくないように陰日向(かけひなた)なく働き、良い物を残した。彼らは各地で任務に就いていた混成部隊である。当時の若者達に、「お天道様が見ている」という教えが家庭や社会を通じて広く浸透していた証左だろう。 和を重んじ、家族を大切にし、嘘をつかず、卑怯を恥とし、清潔に規律正しく暮らす。素朴な徳目を、日本人らしい立ち居振る舞いを、国民一人一人が思い起こし実践することで国全体のたたずまいまで美しくなると信じている。 その意味で「国民の憲法」要綱は示唆に富む。さらに言えば、憲法とは物の根底の事柄を扱うもの であり、法律で対応可能な項目はできる限り法律に委ねるのが日本の風土に合致する。西洋の法理論に則った多くの条文と章建てを前提とせず、日本独特の雰囲気を湛える憲法の制定に動き出そう。(なかやまきょうこ) 情報源:産経新聞「正論」H25.5.9 モンゴル国 ウランバートル・オペラハウス |
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